TOP >  年代別一覧 > 1990年代 > 阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(下)~

阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(下)~

『遠ざかる夢』

 休養から復帰したスティンガーは、今度は武豊とのコンビで京王杯スプリングC(Gll)に臨むことになった。フルゲート18頭の出走馬の中には、グラスワンダーを筆頭に、日本のGl馬6頭、外国招待馬1頭がいた。出走馬の面子から言えば、もはや下手なGlよりもずっと手ごわい水準である。

 しかし、スティンガーはこのレースを勝ち、重賞2連勝を飾った。レース内容も、東京の長い直線を生かし、第4コーナーでは後方から2番手にいたにもかかわらず、直線だけですべてを差し切っての1馬身4分の3差の圧勝である。1マイル未満のレースへの出走が初めてとは思えない力強い競馬は、皆の期待を集めずにはおかない充実したものだった。

 今後の海外遠征に備えて夏のビバリーDS(米Gl)に登録を済ませ、ジャック・ル・マロワ賞(仏Gl)にも参戦するプランも検討されていたスティンガーは、今度こそ、並々ならぬ期待とともに安田記念(Gl)へと駒を進めた。

 しかし、この日は武騎手を確保できず、田中勝春騎手がスティンガーに騎乗した。この日も自身を含めて7頭のGl勝ち馬、2頭の外国招待馬が参戦したが、単勝オッズ1000円以下が7頭揃うという大混戦の中、単勝450円とはいえ、堂々の1番人気に支持された。

 この日のスティンガーは、中団から競馬を進めたものの、馬が行きたがるのを前に壁を作って懸命に抑える状態だった。それでも第3コーナー過ぎで前が空いたところを馬が見逃さず、一気にまくり気味に進出してしまった結果、直線では一時先頭に立つ気配も見せたものの、直線半ばでいっぱいになって4着に敗れた。勝ったのは香港のフェアリーキングプローンで、安田記念では95年のハートレイク以来、5年ぶりに外国馬に名を成さしめる結果となった。

『見えなかった本質』

 その後のスティンガーは、調整に順調さを欠いて思うようにレースを使えなくなり、海外遠征はもちろんのこと、前年と同じく秋の目標にするはずだった毎日王冠から天皇賞・秋にも間に合わなかった。

 この頃のスティンガーは、若かった頃と比較して、気性の悪さが正面から出るようになっており、右回りとの相性の悪さも相まって、調整も困難を増していたようである。

 結局、復帰戦となった12月の阪神牝馬特別(Gll)は、右回りとの相性か、トゥザヴィクトリーの10着と大敗して、スティンガーの2000年は終わった。

 2001年もマイル路線を歩むことになり、東京新聞杯(Glll)3着の後、前年と同じように休養に入り、復帰戦を京王杯スプリングC(Gll)に据えたところ、1年ぶりの勝利をあげ、同時に京王杯スプリングC連覇を達成した。しかし、その後は再び不調に陥り、安田記念15着、関屋記念5着、札幌記念7着…と、馬券にも絡めない着順が続いた。

 2001年の最終戦となった阪神牝馬S(Gll)で3着と久しぶりに馬券に絡んだものの、同年を1勝だけで終えると、2002年はもう年齢のことを考えて、春のうちに1~2戦だけ走って、引退することが決定された。とはいえ、東京新聞杯に出走して6着に終わり、引退レースは高松宮記念(Gl)に決まった。 スティンガーは、2000m以下のレースに良績が集中しているものの、1200mのレースには出走歴すらなかったことから、

「そこまで無理に引退レースを使う必要はないのではないか」

という声もなくはなかったが、レースが終わってみると、意外な結果に驚かされることになった。逃げたショウナンカンプが1着、2番手につけたアドマイヤコジーンが2着という先行馬有利の展開の中で、最後方から追い込んだスティンガーが3着に入って現役最後のレースを飾ったのである。

「まさか、スプリントの適性があったとは…」

と度肝を抜かれたファンも多いだろう。

 いろいろと常識破りのローテーションを歩んだスティンガーではあったが、能力の衰えを隠せない年齢になって初めて出走したスプリントGlでまさかの3着に入ったことで、本当の距離適性はどこにあったのか、ますますわかりにくくなった感はある。

「もっと早い時期に、あるいは何度かスプリントGlに挑んでいれば、阪神3歳牝馬S以外にもGlを勝てたのではないか・・・?」

 そんな詮無い問いかけに思い切り説得力を投げかけたまま、スティンガーは現役を退き、繁殖牝馬として生まれ故郷の社台ファームへと帰っていったのである。

『生き続ける血』

 繁殖牝馬となったスティンガーは、供用初年度の2003年にフレンチデピュティとの間で牝馬(フレンチアイドル)を産んだのを皮切りに、2017年までの15年間で11頭の子を送り出した。その中には、米国へ渡ってKingmambo、Smarty Jonesと交配されて生まれた産駒も含まれる。

 そんなスティンガー産駒からは、中央での重賞級の産駒は現れなかった。とはいえ、代表産駒のサトノギャラント(父シンボリクリスエス)は38戦8勝、谷川岳S(OP)優勝、皐月賞(Gl)や安田記念(Gl)への出走を果たしており、またキングオブザサン(父チチカステナンゴ)は、27戦3勝ながら京成杯(Glll)2着、そしてNHKマイルC(Gl)3着の実績を残している。また、スティンガーの全姉ベルモットの子、すなわちスティンガーの甥にあたるレッドファルクスは2016年、17年のスプリンターズS(Gl)で連覇を達成していることも、彼女の血統の活力を物語っている。

 スティンガーの子や孫で繁殖入りしている牝馬も多く、今後、彼女の血統から活躍馬が現れる可能性は十分に残っていると言えよう。

『早すぎた女傑』

 スティンガーの現在を語る上では、馬だけではなく人についても語らなければならないであろう。彼女を管理した藤澤師は、2018年朝日杯FS(Gl)で3着に入ったグランアレグリアで、19年桜花賞にぶっつけ本番で挑み、レコード勝ちを収めた。そんな彼女が、これを皮切りとして短中距離界でどれほど活躍したかは、もはや語るまでもないだろう。スティンガーでは実を結ばなかった挑戦が、失敗を通じた学びの中から、グランアレグリアという新たな輝きにつながったことを物語っている。

 そういえば、藤澤師と直接の関係はないものの、開成高校出身でありながら競馬界に身を投じたことで知られる矢作芳人調教師が管理するモズアスコットも、2018年安田記念(Gl)で重賞初制覇をGlで飾ったが、この時のローテーションは、OP2着からの連闘だった。従来の競馬界の常識にとらわれない数々の新方式で話題を呼びつつ、その背景には常に合理性の裏打ちがあることが多い矢作師も、スティンガーと同じ道を歩み、そして結果につなげている。20年の時を超えて、ようやく時代がスティンガーに追いつきつつあるのかもしれない。

 常識外れのローテーションによって競馬界を騒がせたスティンガーだが、もし現代に生まれていれば、もっと実績を残せた可能性はある。調教技術やシステムの進歩によって牝馬の活躍馬も増えているし、東京1600mの舞台としてヴィクトリアマイル(Gl)も加わっている。だが、スティンガーが道を示したからこそ、現在の競馬、そして牝馬たちの活躍があるという側面も、間違いなく存在しているのである。その戦いの意味は、阪神3歳牝馬S以降に別のGlを勝った牝馬たちを超えるものと評価されてもおかしくないものである。

 時代の先駆者として戦い、苦しみながらも新しい可能性を探り続けたスティンガーの物語は、阪神3歳牝馬Sの歴史の中でも、輝かしい1ページなのかもしれない。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
TOPへ