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阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(下)~

『それから…』

 古川騎手とのコンビで見事阪神3歳牝馬Sを制し、3歳女王に輝いたアインブライドには、同じ阪神芝1600mコースで行われる桜花賞への期待も高まったが、翌春はまずきさらぎ賞(Glll)から始動することになった。

 古くはダイコーター、マーチス、タニノムーティエ、ヒカルイマイ、キタノカチドキといったクラシックの主役級の登竜門として機能してきたきさらぎ賞は、その後、しばらく凋落していたものの、90年代に入ってからは、有力な関西馬がクラシックへの試金石として出走するケースが甦り、その価値が見直されようとしていた。

 この年のきさらぎ賞の目玉は、ダービー候補の呼び声高い大器スペシャルウィークだったが、阪神3歳牝馬S勝ち馬であるアインブライドは、スペシャルウィークからこそ大きく離されたものの、2番人気に推されていた。牡馬15頭に牝馬ただ1頭の紅一点で立ち向かう彼女への期待は、決して小さなものではなかった。

 ところが、この日のアインブライドは、スペシャルウィークに歯が立たないどころか、明らかに実績に劣る馬たちにもついていくことができず、9着という屈辱的な結果に終わった。

「牡馬にはかなわないのか・・・」

という失望を背中に浴びながら、アインブライドはクラシック戦線、それもチューリップ賞(Glll)から桜花賞(Gl)という、阪神3歳牝馬Sと同じコースの王道のレースへと戻ることとなった。

『涙のクラシック』

 桜花賞トライアルの中で唯一、桜花賞と全く同じ阪神芝1600mで行われるチューリップ賞(Glll)に出走したアインブライドは、ここではダンツシリウスの3着に頑張っている。

「牝馬同士のレースなら、戦える・・・」

という自信を持ちかけたアインブライド陣営だったが、悲しいかな、彼女が残したまともな戦績は、それが最後となった。

 チューリップ賞の後、予定通りに桜花賞(Gl)へと進んだアインブライドだったが、阪神3歳牝馬Sと同じ舞台であるにも関わらず、単勝1360円の6番人気という穴扱いにまで評価を落としていた。ちなみに、この年の桜花賞出走馬のうち、阪神3歳Sに引き続いて出走したのは、わずか5頭だけだった。阪神3歳牝馬Sの出走馬には当時クラシックへの出走ができなかった外国産馬も含まれていたとはいえ、わずか4ヶ月半ほどの間に、同世代の牝馬たちの力関係、そしてファンの支持は残酷なまでに移ろっていた。

 そして、桜花賞でのアインブライドは、中団のまま見せ場なく、10着に敗れた。このレースを制したのは、阪神牝馬3歳Sには出走しておらず、チューリップ賞では彼女との3着争いにクビ差敗れて4着に沈んだはずのファレノプシスだった。

 その後のアインブライドは、優駿牝馬(Gl)へと進んだ。阪神3歳牝馬S優勝直後には古川騎手が「楽しみ」と言ったレースだったが、ここでは距離も嫌われて単勝3390円の10番人気にとどまり、結果も12着に沈んだ。古川騎手の夢と野望は、無残なまでに砕け散ったのである。このレースを制したエリモエクセルも、アインブライドとはこの日が初対決だったが、阪神3歳牝馬Sは出走していないどころか、その時点ではデビューすらしていなかった。

 ファレノプシス、エリモエクセルといった阪神3歳牝馬Sには出走すらしていない馬たちが牝馬三冠戦線で主役を張る中で、主役から端役へと転落したアインブライドは、オークスの後、しばらくファンの前から姿を消した。

『復帰はしたけれど』

 アインブライドの復帰は、99年3月7日のマイラーズC(Gll)にずれ込んだ。優駿牝馬からは、9ヶ月の時が経過していた。

 しかし、3歳時の活躍は遠い過去になったかのように、アインブライドはろくな成績を残せなかった。ダートのマリーンC(統一Glll)に出走してみたり、Gl馬のプライドを捨ててOPに出走してみたり、ついにはデビューからずっとともに走った古川騎手以外の騎手とコンビを組んだりもしたが、特筆するべき結果は、何も残せなかった。

 アインブライドは、99年のマーメイドS(Glll)11着を最後に、通算14戦3勝で現役生活を終えることになった。主な戦績は、阪神3歳牝馬S(Gl)優勝、野路菊S(OP)優勝といった勝ち鞍や、きさらぎ賞(Glll)3着といった主な実績は、そのすべてを古川騎手とともに挙げている。

『途絶えた血』

 現役生活を終えたアインブライドは、生まれ故郷の北星村田牧場ではなく、塚尾牧場で繁殖生活に入ることになった。しかし、彼女の繁殖牝馬としての生活は、決して幸せなものではなかった。

 初年度となる2001年にはフォーティナイナーと交配され、翌年3月26日に牡馬を出産したものの、アインブライドは、その2日後の同月28日に死亡したと伝えられている。出産による負担に耐え切れなかったのであろうか。

 アインブライドの死によって、彼女の血を引く唯一の産駒となった牡馬は、アインノールと名付けられて母と同じ宮厩舎へと入厩したものの、いっこうに出走する気配すらなく、3歳夏になってようやく登録された唯一の未出走戦も出走前に取り消され、未出走のまま旭川競馬へと移籍していった。彼が旭川では2戦したものの勝利を挙げることなく引退し、乗馬へと消えたことで、アインブライドの血を引く子孫は途絶えた。

 サラブレッドとしてその血統を後世の血統表に残すことはできなかったアインブライドではあったが、彼女によって運命を切り拓いた者たちの息吹は、現在の競馬場にも残っている。

 アインブライドで初めてのGlを制した宮師は、現在も栗東の中堅調教師として健在であり、2014年にはコパノリチャードで高松宮記念(Gl)を制している。また、古川騎手も、40代半ばが近い今なお現役騎手として頑張っており、Gl勝ちはないものの、いくつもの重賞実績を積み上げている。

 近年、有力馬のトップトレーナーやトップジョッキーへの寡占状態が進む中で、目立った実績を残すことができない調教師や騎手の淘汰も早まっている印象がある。そんな中で、競馬界で息長く生き残る宮師と古川騎手にGl制覇をもたらしたアインブライドは、彼らの存在を通じて日本競馬に足跡を残していると言うべきだろうか。宮師、古川騎手に初めてのGlをもたらしたという事実は、まぎれもない彼女の物語なのだから。

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