阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(下)~
『意味不明の依頼』
スティンガーの次走は、デビュー戦から中2週の赤松賞(500万下)とされた。鞍上は新馬戦と同じく岡部騎手で、ファンからの指示も、単勝150円とデビュー戦を上回る断然の1番人気となった。
赤松賞の発走直前、この日は東京競馬場にいたものの、赤松賞には乗り鞍がなかった横山典弘騎手は、突然藤澤師に捕まって、
「馬なりで勝つようなら頼むから、来週を空けておいてくれ・・・」
とだけ頼まれたという。…とはいっても、横山騎手にとっては突然のことで、藤澤師が自分に何を頼んでいるのかもよく分からなかったが、日ごろから管理馬によく騎乗している藤澤師からの頼みでもあり、勢いで承諾してしまった。
事情すら呑み込めていない横山騎手も見守る中で、スティンガーは、2着に2馬身半をつけて赤松賞を快勝した。それも、藤澤師の言葉通り、楽な馬なりである。
すると、横山騎手のもとに、次週の阪神でのメインレースである阪神3歳牝馬Sでのスティンガーへの騎乗依頼が届いたため、彼はようやく藤澤師の依頼の真意に気づき、仰天したという。
実は、藤澤師は、赤松賞のレース前、スティンガーの馬主である吉田照哉氏に、
「もし消耗の少ない競馬で勝つようなら、阪神3歳牝馬Sを使いたい」
と申し入れ、既に了承をとっていた。当初、藤澤師にスティンガーを阪神3歳牝馬S(Gl)に出走させる予定はなく、念のため予備登録をしていただけだったが、想定を上回る成長と器の大きさを見せる彼女の様子を見て、赤松賞を楽に勝つようなら、一気にGl登頂を目指すのも面白いのではないか…という思いに駆られたのである。また、阪神3歳牝馬Sは、桜花賞と同じ阪神芝1600mで行われることも、彼の選択を後押しした。もしこのレースに対応できないようなら、翌年の大目標は桜花賞ではなく優駿牝馬に切り替えることもできる。それでは、対応出来たら…?その夢はより広がっていくに違いない。
ただ、このローテーションには問題がひとつあった。スティンガーの阪神3歳牝馬S参戦はもともとの予定になかったため、主戦騎手である岡部騎手が、その週は阪神に遠征するのではなく中山に残ることを前提に、中山で多数の騎乗依頼を既に受けていたのである。そこで、次週の阪神に遠征する予定の騎手の中で、メインレースの阪神3歳牝馬Sには乗り鞍がない横山騎手に、白羽の矢が立った…というのが真相だった。
『迷いの中の決断』
こうして横山騎手を鞍上に迎え、藤澤師が発表したスティンガーの異例のローテーション・・・勝った11月29日の赤松賞の翌週に連闘、しかも長距離輸送もある12月6日の阪神3歳牝馬S(Gl)へと臨むという構想は、ファンから驚きをもって受け止められた。新馬戦に続いて赤松賞も楽勝したことで「クラシックの有力馬」と言われ始めた矢先のことである。もともと体調の消長が激しいといわれる牝馬、それも3歳馬の話だけに、その衝撃は、賛否両論というより色濃い批判として表れた。
しかし、赤松賞直後はもちろん、その後もスティンガーに疲労の翳は見えなかった。藤澤師は、
「これなら、行ける!」
と、スティンガーの西上と阪神3歳牝馬Sへの出走を正式に決断した。・・・とはいえ、彼自身も自分の選択に迷いがあったようで、阪神3歳牝馬Sの最終出馬登録をしたのは締切時刻直前で、しかも、なかなか踏ん切りがつかなかったのか、締切時刻直前まで窓口前をうろうろしていた藤澤師の姿が目撃されたという。
『見えざる不安』
1998年12月6日、第50回阪神3歳牝馬S当日。阪神競馬場へ姿を現したスティンガーに対し、ファンの評価は分かれた。無駄な動きのない静かなたたずまいを「落ち着き払った」ととるか、「元気がない」ととるか。赤松賞から1週間で8kg減った馬体重を見て「余裕のあった前走に比べてぎりぎりの仕上げ」ととるか、「強行軍のローテーションによる疲労の表れ」ととるか・・・。
スティンガーは、出走する13頭の中でも血統的背景は断然であり、重賞勝ちはないながらも2戦2勝という戦績とそれらのレース内容も、人気上位の存在だった。問題は、長距離輸送と連闘という目に見えない不安で、スティンガーの単勝オッズは520円と3番人気にとどまった。単勝410円で1番人気のゴッドインチーフは、3戦2勝、前走のファンタジーS(Glll)ではプリモディーネの2着に敗れており、単勝520円で2番人気(同オッズながら投票数の差で2番人気)のコウエイロマンは、小倉3歳S(Glll)を含めて3連勝中ながら、その小倉3歳S以来3ヶ月ぶりの実戦というそれぞれの弱みを抱えていたが、スティンガーの不安は、それらの中でも特に大きなものとしてとらえられていた。
ただ、藤澤師は、スティンガーの状態から、折り合いさえつけば勝負になるとみており、横山騎手に対しても
「折り合いにだけは気をつけてほしい」
と注意を与えていた。…そんな藤澤師と横山騎手にとっての天恵は、スタートとともに訪れた。