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ダイイチルビー列伝~女は華、男は嵐~

『忘れ得ぬ面影?』

 北海道へと帰っていったダイイチルビーは、早速その春のうちに、ノーザンテーストと交配されることになった。ノーザンテーストといえば、1982年から92年まで11年連続でリーディングサイヤーに輝いた名種牡馬の中の名種牡馬である。華麗なる一族の正統な後継者である彼女との間に生まれる産駒への期待は大きなものだった。

 しかし、ダイイチルビーとノーザンテーストの子は、不受胎に終わった。ダイイチルビーの場合、5月の安田記念で負けた後に急遽引退と繁殖入りが決まったため、繁殖牝馬としての体作りの準備期間もなければ、不受胎だった後に、さらに繰り返し種付けをするだけの繁殖シーズンの余裕も残されていなかった。さらに、22歳を迎えて年老い、この年を最後にリーディングサイヤーの地位から陥落するノーザンテーストの生命力自体に陰りが見えていたことも否定できない。

 こうして考えてみると、ダイイチルビーの不受胎自体はそれほど異例のことともいえない。だが、期待が大きかっただけに失望も大きく、彼を取り巻く人々を落胆させた。もっとも、ファンの間ではひそかにこんな噂もささやかれた。

「ルビーはヘリオスのことが忘れられないのさ・・・」

 現役時代は常に彼女の前に立ちはだかり、大きな舞台になればなるほど力を発揮した好敵手だったダイタクヘリオスだが、いまや「忘れえぬ想い馬」であり、不受胎も、その面影を忘れ得ないダイイチルビーのせめてもの抵抗だった、というから、なんとも楽しい想像である。ちなみに、彼女が引退した後も競走生活を続けたダイタクヘリオスは、秋に毎日王冠(Gll)を勝っただけでなくマイルCS(Gl)連覇も達成し、おおいに男を上げている。そんな彼の姿を、果たして彼女はどんな思いで見つめていたのだろうか。

『今は雌伏の時を』

 結局引退したばかりの92年の交配は不受胎に終わったダイイチルビーだが、翌93年には、抵抗むなしく(?)トニービンとの子を受胎した。ちなみに、マイルCS(Gl)の連覇を達成したダイタクヘリオスも、そのまま前年限りで現役を引退して種牡馬入りしたため、くしくも彼らの初年度産駒は、同じ年にデビューすることになった。

 ダイイチルビーの初子となったダイイチシガーは、2勝馬として臨んだ桜花賞で母と同様に除外を食らったものの、その後オークストライアル(Gll)で2着に入ってオークスの出走権を獲得し、オークス(Gl)ではメジロドーベルの3着に入り、

「さすがは華麗なる一族!」

とファンをうならせ、古馬になってからの彼女の成長、そして彼女の弟妹たちの活躍にさらなる期待を抱かせてくれた。

 ・・・もっとも、「華麗なる一族」の歴史は、今もそこで止まったままである。オークスの後放牧に出されたダイイチシガーは、なぜかその後ターフへ帰ってくることなく繁殖入りしてしまった。母のダイイチルビーのみならず、祖母のハギノトップレディ、曾祖母のイットーと古馬になっても味のある戦績を残した血統だけに、なんとも残念な結末となった。また、トニービン、サンデーサイレンス、ブライアンズタイムといった当代のトップ種牡馬と交配されて生まれたダイイチシガーの弟妹たちからも、さしたる産駒は出なかった。

 ファンの間では、「ダイタクヘリオス×ダイイチルビー」という「夢の配合」を待望する声が非常に根強かった。その声は、種牡馬としてあまり期待されていなかったダイタクヘリオスの初年度産駒から、2000年スプリンターズS(Gl)で並み居る良血馬たちをなで斬りにしたダイタクヤマトが登場したことから

「もしや・・・」

という期待の声も上がったが、結局実現はしなかった。もっとも、有名競馬ゲームの中で「ダイタクヘリオス×ダイイチルビー」が今なお名物配合として扱われている事実は、当時の競馬ファンの認識を物語っている。

『華と嵐の物語』

 競馬において決して欠かせないのが、時を越えて連綿と続いていく牝系・・・血の連続の物語である。これは、ダイイチルビーの引退から約30年が経った現在でも・・・というより、競馬の歴史が続く限り、変わることはないに違いない。判官びいきの日本人は、良血よりは「雑草」の方が好むといわれるが、母、祖母、曾祖母と日本で実績を残し、ファンに親しまれてきた名血から生まれた名馬については、いつの時代でも並々ならぬ人気を集めてきたことは事実である。また、「雑草」という表現も、「良血」のアンチテーゼとしてこそ輝く存在であり、親の競走成績や特徴とはまったく無関係に子が走るとすれば、競馬はなんとも味気ないものとなってしまうだろう。

 2003年2月、ダイイチルビーの主戦騎手だった河内騎手は、惜しまれながらステッキを置いた。「牝馬の河内」そんな二つ名をほしいままにした河内騎手だが、ダイイチルビーの鋭い瞬発力は、彼が騎乗した多くの名牝たちの中でも印象に残っているという。河内騎手は去っても、「華麗なる一族」、そして競馬の血の連続の物語は、限りなく続いてゆく。

 日本競馬を代表する名族「華麗なる一族」に生まれた「良血」のダイイチルビーが、底力は溢れるながらも地味とされてきた血統から生まれた「雑草」の代表格であるダイタクヘリオスと同じ時代に生まれ、同じ短距離戦線を戦ったことも、競馬界を彩る素晴らしきひとつの運命だった。それぞれが強烈な個性を持っていたこの2頭は、ダイタクヘリオスがターフに暴風雨を巻き起こしてスタンドに戦慄を巻き起こす嵐だったとすれば、ダイイチルビーはターフに華麗に咲き、そしてスタンドに歓喜を呼び起こす華のような存在だった。対照的な個性を持った名馬たちが死力を尽くし、しのぎを削りあってこそ、競馬は一番盛り上がる。彼らのライバルストーリーが競馬界の歴史に大きな足跡を残したことは、彼らの引退から約30年が経過した今も、彼らが繰り広げた数々の戦いが名勝負として語り継がれ、ダイイチルビーとダイタクヘリオスがファンの間で魅力的な存在として強く支持され続けているという事実が何よりも雄弁に物語っている。

 そんな彼らの戦いを、現在、そして未来に語り継ぐとともに、彼らに並び、そして彼らを越える伝説を築く新世紀の血の物語、そしてライバルストーリーを待つことは、私たちが競馬をながめるひとつの楽しみである。そのためにも、近年は雌伏の時を過ごしているとはいえ、長い時間をかけて日本に根付いてきた「華麗なる一族」には、ぜひ今後も活躍してもらいたいのだが・・・。

 あらゆる意味で対照的な存在だった彼女と彼は、華のように華麗な追い込みと嵐のような激しい逃げで幾度となく名勝負を繰り広げ、多くのファンの心を、そして魂を虜にしたのである

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