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ダイイチルビー列伝~女は華、男は嵐~

『偉大なる母』

 ダイイチルビーの母であるハギノトップレディは、「華麗なる一族」の中で最も輝かしい実績を残したばかりでなく、日本競馬史に残る名牝としても知られている。それまでは単なる有力な牝系のひとつだったマイリー系を、日本を代表する名牝系として認めさせたのは、このハギノトップレディの力であるといっても過言ではない。

 1977年4月4日にイットーの初子として生まれたハギノトップレディは、伊藤修司厩舎に入厩し、3歳夏に函館でデビューを果たした。そして、ハギノトップレディがそのデビュー戦で見せた競馬は、とてつもないものだった。馬なりのままで後続に影も踏ませず大差勝ちしたハギノトップレディの勝ちタイムは、「57秒2」・・・。それは、当時の3歳レコードやコースレコードを飛び越えた、芝1000mの日本レコードだった。

 戦慄のデビュー勝ちを果たしたハギノトップレディは、そのあまりの能力の代償か、その後に脚部不安を発症して、早速長期休養を余儀なくされた。年が明けても復帰のめどさえ立たないハギノトップレディは、一時桜花賞への出走さえも絶望視されていた。

 桜花賞に何とか出走するために、1戦1勝、仕上がり途上ながら桜花賞指定オープンに出走したハギノトップレディは、ここで3着に入ることで、かろうじて桜花賞への切符を確保した。・・・2戦1勝というミステリアスな戦績ながら、桜花賞の2番人気に支持されたハギノトップレディは、ハイペースで逃げながら後続を寄せ付けず、2着に1馬身4分の1の差をつけて完勝したのである。この時の勝ちタイムは桜花賞史上通算3番目の好タイムであり、3戦目の桜花賞制覇は、当然のことながらクラシック最速制覇だった。

 桜花賞に続く牝馬二冠を目指したオークスで、ハイペースで逃げたものの今度は壮絶に逃げ潰れ、勝ったケイキロクから5秒5も遅れた19頭だての17着に沈んだハギノトップレディは、

「ハギノトップレディは距離の壁がある」

と言われるようになった。そのため、舞台こそ東京から京都に変わるものの距離はオークスと同じ2400mである秋のエリザベス女王杯では、2連勝で本番に駒を進めながらも、3番人気に甘んじた。ところが、ハギノトップレディはここでは緩やかな単騎逃げに持ち込み、鮮やかな逃げ切りを決めた。周囲の騎手たちが、

「ハギノトップレディが逃げている、ならばハイペースでないはずがない」

と思い込んで自重した結果、ハギノトップレディのマイペースに持ち込まれて翻弄されたのである。

こうして自身の卓越したスピードと競馬センスを見せ付けた二冠牝馬ハギノトップレディは、古馬になってからも高松宮記念、巴賞を制し、引退まで通算11戦7勝という成績を残して引退した。彼女こそ、まさに「華麗なる一族」の栄光を代表する華麗なる逃げ馬だった。

『天馬の娘』

 そんな歴史的な名牝ハギノトップレディには、当然のことながら繁殖牝馬としての期待も高く、毎年期待の種牡馬が交配された。彼女の弟であるハギノカムイオーが1億8500万円で競り落とされ、宝塚記念をはじめ重賞を6勝したこともさらに「華麗なる一族」への注目度を高め、ハギノトップレディ産駒への視線をより熱いものとすることとなった。

 ・・・しかし、ハギノトップレディの子供たちは、なかなか人々の期待にこたえることができなかった。その中には、デビュー前に大きな故障で安楽死になったり、生後すぐ死んでしまった産駒もいたという不運もあったが、一部では

「華麗なる一族の歴史もハギノトップレディで終わるのか・・・」

という声もささやかれていた。

 そんなハギノトップレディに、1986年春の交配相手として選ばれたのは、かつて競走馬として数々の栄光をほしいままにし、人々から「天馬」と呼ばれた内国産の名馬トウショウボーイだった。

 トウショウボーイといえば、現役時代に皐月賞、有馬記念、宝塚記念などを勝ち、1976年の年度代表馬にも選出された名馬の中の名馬である。宿敵テンポイントとの6度にわたる対決、彼らにグリーングラスを加えた「TTG時代」の伝説は、今なお多くのファンの胸を熱くする。

 そんな名馬トウショウボーイは、競走馬としての実績もさることながら、さらに種牡馬としても、既に代表産駒となる三冠馬ミスターシービーを輩出し、その他多くの重賞馬を送り出すことで、大種牡馬としての道を歩み始めていた。トウショウボーイ産駒はよほどの故障でもない限り高値で売れたし、そうであるにもかかわらず軽種馬農協所属種牡馬として供用されていたことから、トウショウボーイの種付け料は、実績と比べてかなり安いものだった。それゆえにトウショウボーイの馬産地での人気は高く、種付けを実現させるためには競争率の高い抽選を経なければならなかった。・・・だが、この年荻伏牧場、そしてハギノトップレディは、見事にその幸運を手にしたのである。こうしてハギノトップレディとトウショウボーイという、当時の競馬を知る者が見れば涙を流して喜ぶ夢の配合は、現実のものとなった。

『予期せざる問題』

 無事トウショウボーイの子を受胎したハギノトップレディは、翌1987年4月15日、無事にその子を産み落とした。この時産声をあげた黒鹿毛の牝馬こそ、後に「華麗なる一族」の歴史を伝える伝承者となるダイイチルビーである。父に天馬、母に華麗なる一族を持つ彼女は、生まれながらにきらびやかな光彩を身にまとい、競走生活の結果に関わらず、引退後の繁殖入りは約束された存在であり、競走馬の中でも銀の匙をくわえて生まれたエリート中のエリートだった。

 ただ、生まれたばかりの彼女の馬体をくまなく見回した荻伏牧場の人々は、彼女のある欠陥に気がつき、絶句することになった。

「なんだ、これは・・・」

 並々ならぬ期待とともに生まれたダイイチルビーだったが、彼女の脚には先天的な奇形があった。彼女の前脚の蹄は、左と右とで大きさが異なっていたのである。馬体のバランスが重視される競走馬の世界で、この体型は致命的なものだった。生まれる前には輝かしい未来を約束されていたかに見えた彼女は、まず

「そもそも競走馬になれるのか・・・?」

というきわめて深刻な問題に直面しなければならなかった。

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