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ダイイチルビー列伝~女は華、男は嵐~

『遅れてきたお嬢さま』

 1990年2月25日・・・クラシックを中心に動く4歳牝馬の有力馬としてはあまりに遅いデビューとなったダイイチルビーは、いきなり単勝120円の圧倒的な1番人気に支持された。鞍上に迎えられたのは、武豊騎手である。騎手時代に「ターフの魔術師」と呼ばれた武邦彦調教師を父に持ち、自らも88年にスーパークリークで菊花賞(Gl)、89年にイナリワンで天皇賞・春(Gl)と宝塚記念(Gl)、スーパークリークで天皇賞・秋(Gl)を制するGlハンターぶりを見せつける武騎手は、輝ける血とともに競馬界へ乗り込んでいくダイイチルビーには、この上なくお似合いのパートナーに思われた。

 ダイイチルビーは、まず一生に一度のデビュー戦で、ヒダカアルテミスを5馬身突き放しての圧勝を遂げた。お嬢さまに敗北など似合わない。天性のスピードでハナに立ち、そのまま押し切るその競馬は、まさに母ハギノトップレディを髣髴とさせる内容だった。

 デビュー勝ちに自信を持った伊藤師は、まずダイイチルビーを桜花賞トライアル・4歳牝馬特別(Gll)に登録したが、こちらは賞金不足で除外され、自己条件のアネモネ賞(500万下)へと回った。ここでもやはり単勝120円の支持を受けたダイイチルビーは、今度は2番手からの競馬となったものの、やはり直線に入るとまったく危なげなく抜け出し、2馬身差で2連勝を飾った。これでダイイチルビーの戦績は、2戦2勝である。

 かつて、彼女の母であるハギノトップレディは、2戦1勝のキャリアで桜花賞へ臨み、逃げ切った。「華麗なる一族」の血のドラマは、果たしてここでも娘に継承されるのか。人々がダイイチルビーに寄せる期待は、否が応にも高まっていった。

『微笑まなかった女神』

 しかし、かつて母のハギノトップレディに微笑みかけた運命の女神は、娘のダイイチルビーには微笑まなかった。本賞金800万円のダイイチルビーは桜花賞への登録を済ませたものの、最終的に800万円の馬は10頭が登録し、出走できるのはわずかに2頭だけ、という情勢となったのである。そして、10分の2の可能性に賭けた抽選でダイイチルビーが引き当てたのは、10分の8の方だった。・・・こうしてダイイチルビーの桜花賞母娘制覇の夢は、レースが始まる前に終わりを告げた。

 それまで順風満帆に見えたダイイチルビーの競走生活には、この時を境に影が差し始めた。桜花賞と同日の忘れな草賞(OP)に出走したダイイチルビーは、必勝を期したこのレースで、トーワルビーの逃げの前に2馬身半差の完敗を喫した。生涯初めての敗北である。それも5番人気の格下に喫したこの屈辱は、それまで追い風だった彼女の運命の変化を象徴していた。

 オークストライアル・4歳牝馬特別(Gll)に出走したダイイチルビーには、増沢末夫騎手が騎乗することになった。武騎手が天皇賞・春(Gl)でスーパークリークに騎乗するために京都へ行ってしまったためであり、それ自体はやむをえないものだったが、桜花賞除外以来、崩れてしまったリズムの中では、当然の乗り代わりにすら、やはり象徴的な何かを感じずにはいられない。

 増沢騎手の手綱で好位につけたダイイチルビーは、直線に入って抜け出す横綱競馬で一度は先頭に立ったものの、この日も大外から飛んできたキョウエイタップの急襲に遭い、クビ差差し切られての2着に敗れた。2連勝の後、2戦続けての2着。無論普通の馬ならば十分満足すべき戦績なのだが、ことその馬が天馬と華麗なる一族の血を引く継承者となると、物足りなさを感じずにはいられない。勝ち運ともいうべきものが、彼女の手から離れてしまったかのようだった。

『逃れえぬ宿命』

 ただ、オークストライアルで2着に入ったことで、ダイイチルビーはオークスへの優先出走権を手にした。伊藤師は、ダイイチルビーでオークスに挑戦することを明言した。オークス・・・それはダイイチルビー、「華麗なる一族」にとって鬼門ともいうべきレースだった。一族の歴史の黎明期にヤマピットがオークスを逃げ切っているとはいえ、その後の末裔たちは、ろくな思い出を残すことができなかった。なにせイットーは脚部不安で出走すらできず、ハギノトップレディは17着に沈んでいる。先行して持ち味を発揮し、2000mまでの距離を得意とする彼女たちの一族にとって、直線も広くて長い東京コースの2400mで行われるこのレースは、決して有利な舞台ではなかった。

 この日は武騎手に手綱が戻り、2番人気に支持されたダイイチルビーだったが、オークスを苦手とする一族の歴史にならうかのように、スタートで完全に出遅れてしまった。・・・伊藤師によれば、この時期ダイイチルビーの調子自体も落ち気味だったらしく、そのことも影響していたかもしれない。

 それまで経験のない後方からの競馬となったダイイチルビーの位置取りは、逃げたトーワルビーがハイペースでレースを引っ張ったことによって「塞翁が馬」となるようにも思われた。ハイペースで前崩れの展開になれば、有利になるのは後方待機の馬である。

 しかし、やはり競馬はそううまくいくものではない。直線に入ったダイイチルビーは、力尽きる先行馬たちを前にしてじりじりと押し上げ始めたものの、他を一気に差し切る鋭い切れ味はない。ダイイチルビーが伸びきれない中、先頭に立ったのは、桜花賞馬アグネスフローラと河内洋騎手である。希代の名牝の二冠制覇で決着するかに思われた第51回オークスだが、最後にそのアグネスフローラを見事差し切ったのは、5番人気のエイシンサニーと岸滋彦騎手だった。

 結局先頭で繰り広げられた死闘には加わることができないまま5着に敗れたダイイチルビーについて武騎手は、

「良馬場だから内心かなり期待していたんですが・・・どうして伸びなかったのかな」

と首をひねった。だが、伊藤師はこの日のレース内容から、武騎手の問いに対するひとつの答えを出しつつあった。

「やはりダイイチルビーは、マイル前後の馬なのではないか・・・」

と。

 ダイイチルビーは、オークスの後しばらくの休養に入ることになった。だが、秋の戦場となることが予想されるエリザベス女王杯(Gl)は、舞台こそ東京から京都へ変わるものの、距離はオークスと同じ2400mである。ダイイチルビーはどうするのか。ダイイチルビーにとって、それは課題を先に残したままの夏休みだった。

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