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ダイイチルビー列伝~女は華、男は嵐~

『輝ける道』

 ファンは、安田記念で牡馬、それも競走馬として完成された古馬に混じってGl勝利を果たした内国産の良血の中の良血・ダイイチルビーの快挙に酔い、彼女とその血の力を絶賛した。良血といっても、評価の高い馬が走ったからといって、ファンがただちにその馬を支持するわけではない。血の継承による人気というものは、ファンがかつて父や母のレースを自分の目で見たことによって生じる場合が多い。理想的なのは、父、母ともに国内で走った名馬で、その間から生まれた子が両親と並び、超えていくという物語である。

 その点で、ダイイチルビーという馬は、「良血馬」の中でも最もファンの心に訴えかける魅力を持っていた。ダイイチルビーは、父、母とも日本で生まれ、日本で活躍した純国産の良血馬である。それどころか、ダイイチルビーの父は「天馬」と呼ばれた日本競馬史上屈指の名馬であり、牝系は古くから日本で結果を出して「華麗なる一族」と呼ばれた名族だった。この点、血統表を2代も遡れば馬名が全部アルファベットになってしまう馬とは、日本での親しまれ方がまったく違っていた。

 そんなダイイチルビーが、当初は成績を残せず、一族の宿命ともいうべき「逃げ」という呪縛から解き放たれることで一流馬へと成長したという事実は、彼女への人気をより高めたかもしれない。伝統の中に生まれ、伝統のもとで育って注目を集めた彼女が、牝馬三冠未勝利どころか出走にこぎつけたのもオークスのみという決定的な挫折の中から立ち上がり、一族の宿命を離れて正反対の「追い込み」という脚質を選んだとき、彼女はようやく自分自身の輝かしい栄光へとたどり着くことができたのである。

 ダイイチルビーを取り巻く人々も、彼女の本格化を確信した。この勝利はダイイチルビーの戦績の終わりではなく、始まりに過ぎないのである。これからの彼女がどのような道を歩むのか・・・それぞれの思いと夢は、それぞれの胸の内にあった。

 しかし、次走を尋ねられた伊藤師が答えたレースの名前は、おそらく彼女を取り巻く人々の全員が一致する答えだったに違いない。伊藤師が挙げたのは、中京競馬場の真夏の名物レース・高松宮杯(Gll)だった。

 高松宮杯・・・それは、ダイイチルビーの一族にとって非常に縁の深いレースである。祖母のイットーが勝ち、そして母のハギノトップレディもまた勝ったこのレースをダイイチルビーが勝てば、母子3代高松宮杯制覇の快挙となる。

 現在と異なり、高松宮杯は2000mで施行されていた。ダイイチルビーの適性をマイル前後と見ていた伊藤師としては思い切った決断である。だが、このレースを勝ちにいくことは、彼女の血が背負った宿命だった。伊藤師が最初に見た時は競走馬にもなれないと思って預かることを断ろうとした、ダイイチルビー。その彼女にGlを勝たせた一族の血の流れを断ち切ることなど、誰にもできはしなかった。

『宿命に賭けて』

 中京競馬場へ姿を現したダイイチルビーを待っていたのは、単勝140円の圧倒的支持だった。それまでの先行策から思い切った脚質の転換を図り、追い込みに転じてついに安田記念を制したダイイチルビーを、ファンは「華麗なる一族」の正統なる継承者として認めたのである。その後継者が、一族の宿命を果たすべく乗り込んできたのだから、支持しないはずがない。

 この日の出走馬は、ダイイチルビーを恐れた回避馬が続いたこともあって、わずか8頭だてとなった。この中でGl優勝歴を持つのは、彼女だけである。本来の適正距離はマイル前後のダイイチルビーだったが、この相手関係に加えて、中京競馬場が平坦コースということもあって、断然の人気を集めたのである。

 ただ、河内騎手はこの日の芝コースの状態に、若干の疑問を持っていた。良馬場ではあっても、馬場状態は決してよくない。直線も短い中京では、安田記念のような競馬をしようとしても、そうそうはまることはないだろう・・・。

 河内騎手は、高松宮記念母子三代制覇を確実なものとするため、ある作戦を立てていた。

『再転換』

 高松宮杯のスタート直後、ダイイチルビーは積極策で好位につけた。かつて忘れな草賞で完封されたことがあるトーワルビー、安田記念で2着に破ったダイタクヘリオスの2頭を前に置く競馬は、古馬になってから開眼したはずの後方一気の競馬ではなく、むしろそれ以前の先行策に近いものだった。

 河内騎手の頭の中には、本格化した今のダイイチルビーの実力、そしてこの日の相手関係ならば、先行策でも押し切れるという読みがあった。ならば、展開の助けに左右される後方一気より、3番手につける競馬の方が安全だ・・・。

 レースはトーワルビーが快調な逃げを刻み、1000m58秒3のハイペースを形成していた。ダイタクヘリオスも、それを追いかけていく。ダイイチルビーは彼らを前に見ながら、いつ勝負に出るかを測っていた。

 すると、レースは第3コーナーのあたりで動き始めた。逃げたトーワルビーの脚色が鈍り始め、逆に2番手のダイタクヘリオスが勢いよく進出を開始したのである。河内騎手は、この日の目標をダイタクヘリオスに定めた。ダイタクヘリオスを差せば、そのまま押し切れる。そして、ダイタクヘリオスとは京王杯SC、安田記念で二度対決し、二度とも破っている。その2戦では、いずれもダイタクヘリオスをいったんつかまえると、そのまま一気に置き去りにする形で、完勝を収めてきた。この時河内騎手は、ダイイチルビーとダイタクヘリオスの力関係は、既に見切ったと考えていた。彼は、後続を引き離し始めたダイタクヘリオスをゴール前で捕まえられるよう、ゴーサインを出した。

『悔やみきれぬ敗北』

 ところが、ダイイチルビーとダイタクヘリオスとの差は、河内騎手の思惑通りにはなかなか縮まらなかった。ダイイチルビーの伸びが、安田記念に比べると劣っていたこともあるが、何よりもダイタクヘリオスの粘りが、河内騎手の想定を完全に超えていた。河内騎手は、ダイタクヘリオスの実力を見誤っていたことを認めなければならなかった。

 残り100m地点に入り、ダイイチルビーはようやくダイタクヘリオスとの差を一気に詰め始めた。安田記念の時は、一度並んだ後は一気に差し切り、かわすことができた。だが、この期に及んでもダイタクヘリオスは食い下がる。馬体を併せても、ダイイチルビーが前に出ることを許さない。・・・ゴール板が近づくとともに、母子三代制覇の夢は、逆に遠ざかっていく。

 ダイイチルビーは、それでもゴール板の前でダイタクヘリオスとほぼ並ぶところまで持ち込んだ。だが、ダイタクヘリオスの凄まじい粘りの前には、わずかにハナ差及ばなかった。ダイタクヘリオス・・・天馬トウショウボーイと「華麗なる一族」ハギノトップレディの間に生まれたダイイチルビーとは対照的に、華やかさとは無縁な血統に生まれ、これまでにも重賞2勝の実績はあるものの、その実力や血統とは無関係に、むしろレース中に常識では考えられないほどにかかったり、追い切りでも前半に飛ばしすぎ、最後はバタバタになって未勝利馬にちぎられたり・・・というヘンなところでばかり話題になっていた馬だった。だが、そのダイタクヘリオスの前に、ダイイチルビーは敗れた。それも、ただの敗戦ではない。母子3代高松宮杯制覇の夢が、水泡に帰した。

「距離が少し長かったかもしれない」

 伊藤師と河内騎手は、レース後にそう漏らした。馬場状態を考えて採った先行策が、彼女の瞬発力を鈍らせた部分もあるかもしれない。だが、そうした部分を考慮に入れたとしても、勝ち馬とハナ差の競馬は決して恥じるべき内容ではない。ただ、相手が強かった・・・。

 それまでのダイイチルビーにとって、ダイタクヘリオスはライバルでもなんでもなかった。京王杯SCではまったく相手にせず一蹴し、安田記念でも1着と2着とはいえ、内容的には完勝している。

 だが、ダイイチルビーは、そのダイタクヘリオスによって、「華麗なる一族」の後継者としては、あまりにも重い敗北を喫することになった。それまで見くびっていた相手に敗れたその時、ダイイチルビー陣営は初めて「ダイタクヘリオス」の名前を意識した。・・・そして、このレースを機に、ダイイチルビーとダイタクヘリオスの戦いは、新たな局面へと入っていくのである。

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