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ネオユニヴァース列伝~王道の果てに~

『三冠へ挑む』

 宝塚記念で4着に破れたネオユニヴァースを待っていたのは、ほんのわずかな休養だった。その後の彼は、21世紀で初めてとなる「三冠」に挑む。

 ネオユニヴァース以前に三冠を賭けて菊花賞に挑んだ二冠馬は11頭いるが、夢をかなえて至高の存在へと自らを昇華しえたのは、わずかに5頭にすぎない。残る6頭は、クラシック三冠の最後に立ちはだかる淀の壁の前に退けられ、夢破れている。近いところでは、92年に挑んだミホノブルボンは距離の壁に敗れ、94年に挑んだナリタブライアンは、次元の違う競馬で7馬身差の圧勝を遂げた。果たしてネオユニヴァースがどちらの仲間入りを果たすのか、それが03年秋競馬の最大の焦点であった。

 ネオユニヴァースのローテーションの特異性は、歴代三冠馬はもちろん二冠馬の中にも、日本ダービーの後1ヶ月以内のレースを使った馬がいないことからも明らかである。それどころか、探索の範囲を「三冠が成立した39年以降のダービー馬」まで広げてみても、日本ダービーの後1ヶ月以内のレースを使ったのは54年のダービー馬ゴールデンウエーブだけ(他に68年のタニノハローモアが35日)で、菊花賞では7着に敗れている。そんな彼に残された希望といえば、実際の出走には至らなかったものの、84年の三冠馬シンボリルドルフが、ダービー後すぐには放牧に出ず、1ヶ月後の高松宮杯(Gll)への出走に備えて調教を積んでいた事実だろうか(実際には出走せず)。

 もっとも、ネオユニヴァースの背中には、追い風も吹いていた。JRAの規則の改正によって、当初は騎乗不可能と思われていた菊花賞でのデムーロ騎手の騎乗が可能になったのである。

 JRAは、この年のダービー後、ただちに規則の改正に取りかかり、当該年においてある騎手の騎乗によってJRAのGl競走で2勝以上した馬がJRAのGl競走に出走する際、その騎手がそのGlレースに騎乗することを可能になるように改めた。・・・これは、明らかにネオユニヴァースとデムーロ騎手のための規則改正だった。

 知らせを聞いた瀬戸口師は、より完璧な形で三冠に挑むことができることを喜ぶ一方で、オグリキャップの時代を思い、時代の変化を感じずにはいられなかった。オグリキャップの現役時代、彼の前に立ちはだかった規則の壁は、彼の引退までに変わることはなかった。ネオユニヴァースのための迅速な規則改正は、オグリキャップの犠牲があったからこそ実現したものではあったが、JRAの対応の違いは、15年の間に様変わりした時代の移ろいを感じさせるものだった。

『よどむ不安』

 前例のほとんどないローテーションで、歴代三冠馬たちより明らかに短い夏の休養を終えて栗東に戻ってきたネオユニヴァースに対し、ファンの間には明らかに戸惑いがあった。ネオユニヴァースが復帰戦に選んだのは菊花賞トライアルの神戸新聞杯(Gll)だったが、単勝240円の1番人気は札幌記念(Gll)で古馬を破ったサクラプレジデントに集まり、ネオユニヴァースは290円の2番人気にとどまった。前記の11頭の中で、秋の初戦が1番人気でなかった馬はいない。Glではないために騎手がデムーロ騎手ではなく福永祐一騎手だったという不安材料を割り引いても、ファンはネオユニヴァースの臨戦過程に困惑し、手がかり皆無の復帰初戦に対しては懐疑的な視線を向けていた。

 そして、神戸新聞杯でのネオユニヴァースの競馬も、こうした視線を退けるのではなく、むしろ裏づけるものでしかなかった。中団から競馬を進め、第3コーナーからまくり気味に進出を開始するまではよかったが、それからがいけない。後方からネオユニヴァースを超える勢いで上がっていったサクラプレジデントにかわされると、そこで勢いが止まってしまう。・・・それは、まるで宝塚記念の再現のようだった。違うのは、前回の相手は未対戦の古馬の一線級だったが、今回の相手は春までに勝負づけを終えたはずの同世代のライバルたちだったことである。

 後方からかなり強引に仕掛けたサクラプレジデントにすらかわされるようでは、内を衝いて巧妙にその位置を押し上げ、ついに満を持して動いたゼンノロブロイにかなうはずもない。ネオユニヴァースの末脚は、先頭に立ったゼンノロブロイ、2番手で粘るサクラプレジデントとの差をつめられず、逆にリンカーンとの「クビの上げ下げ」の激戦を制して3着に入るのがやっとだった。

 この日の結果は、「同世代との勝負づけは、もう終わった」という楽観論を完全に覆すものだった。もともとネオユニヴァースが早熟タイプである可能性も指摘されていただけに、オッズが示した不安よりさらに悪い結果が出たことで、ネオユニヴァースと菊花賞の行方は、たちまち不透明なものとなっていった。3歳春に完成したサラブレッドは、秋以降は晩成の同期生に追われ、並ばれ、いずれは逆転される運命にあるのだから・・・。

『三冠馬の資格』

 菊花賞を前にして、ネオユニヴァースに対する見方は見事なまでにふたつに割れた。神戸新聞杯の結果によって勢いづいたのは、彼に対する否定的な見方だった。

「ネオユニヴァースには、三冠を勝つために必要な何かが決定的に欠けている・・・」

 かつて三冠を制した名馬たちは、そのすべてが歴史的名馬と比べても抜きん出た「何か」を持っていた。シンザンの勝負強さ。ミスターシービーのスケール。シンボリルドルフの精緻さ。ナリタブライアンの破壊力・・・。ネオユニヴァースにはそれらと並ぶ「何か」がなく、それゆえに三冠馬となるには足りないという。いわく、宝塚記念に続いて神戸新聞杯でも敗れたことは、彼の落日の象徴である、と。

 これに対し、神戸新聞杯の結果を過大に見積もるべきでないと主張したのは、ネオユニヴァースを擁護する人々である。思えば、三冠馬たちの中で秋の初戦を勝ったのはシンボリルドルフだけであり、シンザン、ミスターシービー、ナリタブライアンはすべて負けている。中でも京都新聞杯でのミスターシービーは、勝ったカツラギエースから1秒2も遅れての4着だった。彼らはすべて、そこから巻き返して三冠馬となったのである。

 もともとネオユニヴァースを過去の三冠馬に例えるならば、ミスターシービーやナリタブライアンではなく、シンザンやシンボリルドルフと似たタイプである。その賢さゆえに不要な着差をつけず、また絶対に勝つべきレースすら知ることができるとすれば、それもまた三冠馬の器と言える。彼に足りないものがあったとしても、それは彼が三冠を奪った瞬間に正当化される。三冠とは、そういうものだ・・・。

 両者の相克に、答えなどあるはずがない。それは、菊花賞の結果によってしか表されない。競馬ファンたちの熱い視線を集めながら、第64回菊花賞・・・運命のレースの日は、刻一刻と迫りつつあった。

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