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ネオユニヴァース列伝~王道の果てに~

『最後の王道』

 2003年10月26日、京都競馬場。この日の淀のスタンドには、「史上6頭目の三冠達成」という偉業の歴史の証人となるために、多数のファンがつめかけた。歴史が動く、菊の坂。競馬史に輝く希有な瞬間を、彼らは目撃できるだろうか。

 京都競馬場に姿を現したネオユニヴァースは、まさに二冠馬の風格を漂わせていた。その威風堂々たる馬体からは、宝塚記念、神戸新聞杯の敗戦の傷跡などどこにも感じられない。そんな彼の手綱をとるのは、当然ながらデムーロ騎手である。JRAの規則を変えさせた男は、母国イタリアには既にない「三冠」を手にするために、日本へと帰ってきた。

 大衆は、デムーロ騎手とともに偉業に挑むネオユニヴァースを、単勝230円にまで押し上げた。神戸新聞杯で彼を破ったゼンノロブロイが、250円。以下、サクラプレジデントが610円、リンカーンが1440円、ザッツザプレンティが2020円と続く。神戸新聞杯の1着から5着までのうち、上位3頭の順位が微妙に入れ替わったのが、この日の人気である。

 ネオユニヴァースは近走の戦績に不安を抱えているものの、その近走が最も安定しているゼンノロブロイは母の父がマイニングという血統・・・本来1600m程度が限界という血の宿命を背負い、サクラプレジデントは気性の激しさによる成績の波が大きい。リンカーンはいまだに重賞未勝利で、ザッツザプレンティは04年に入ってからの特筆すべき戦績がダービー3着だけ・・・と、それぞれが問題を抱えていた。単勝230円といえば、89年からこの年までの15頭の菊花賞1番人気のオッズでは6位タイにすぎないが、まぎれもなき二冠馬であった。ファンの視線は、王道の果てに淀へとたどり着いたネオユニヴァースに集まっていた。

『運命の先導』

 第64回菊花賞・・・三冠の歴史に残る戦いは、好スタートを切ったサウスポールをシルクチャンピオンが外からかわし、そのまま逃げ態勢に入る形でその幕を上げた。

 先頭争いはそう熾烈なものとならず、シルクチャンピオンが先導役に落ち着いたことで、レースの流れは次第に緩やかになっていった。・・・シルクチャンピオンは、三冠馬ナリタブライアンの甥にあたる。三冠のかかったレースでこの馬が先導役を務めるこの「偶然」に、運命を感じたファンも多いだろう。だが、彼に導かれた果てにあるものが栄光なのか奈落なのか、それは誰にも分からない。

 有力馬の中で最も前方に位置したのは、ゼンノロブロイだった。ザッツザプレンティ、リンカーンも差のないところで続き、ネオユニヴァースは中団に陣取る。サクラプレジデントは、そのすぐ後方から。・・・それが有力馬たちそれぞれの思惑を秘めた布陣となった。

 淀の決戦は、渓流のように淡々と下流へ向けて流れていく。2周目の第1コーナーで、シルクチャンピオンの単騎逃げに対してテイエムテンライが抑えきれなくなって並びかける形となったが、時計を見ると、それでペースが大きく上がったわけでもない。「スローペース症候群」は、サンデーサイレンス産駒の中距離馬にとっては望むところである。渓流はやがて急流となり、そして激流へと変わるだろう。その時勝利をつかむのは、果たしてどの馬なのか。

『相容れぬ意思』

 有力馬たちのうち最初に動いたのは、ザッツザプレンティだった。向こう正面で早くも進出を開始し、その位置を押し上げていく。

 ザッツザプレンティは、上位人気5頭の中で唯一サンデーサイレンス産駒ではない。戦績を見れば、まだ5番人気にいるのが不思議ですらある。2歳時には3戦2勝、2着1回で社台ファームの大将格と言われた彼も、3歳時は4戦未勝利で、目立った戦績といえば日本ダービー3着のみである。それでも彼が5番人気に支持されたのは、彼の父親が日本ダービーで2着に終わった無念を直線での爆発的な末脚で晴らし、その代償に競走生命を失った96年の菊花賞馬ダンスインザダークであり、その血の中に淀3000mという過酷な戦場を凌ぐ力を期待されたからにほかならない。彼を管理するのは、父と同じ橋口弘次郎調教師である。父の菊花賞以来、Gl未勝利のまま2着を重ねること8度、「銀」の勲章をひとつ増やすたびに天を仰いできた男が、幼駒時代から惚れ抜いた騎英にほかならない。

 7年の時を経て父と同じ戦場に戻ってきた息子に、かつての父が誇った爆発力はない。神戸新聞杯で5着に敗れ、

「サクラが(第4コーナーで)来た時に、反応し切れなかった。瞬発力がもっと備わってくれば・・・」

と悔やんだ安藤勝己騎手は、この持ち味を長くいい脚を使う持久力と知り、この日は作戦を変えて、早めに動いてスタミナ勝負を仕掛ける作戦に出た。

「せめて最後の一冠、菊を奪る・・・!」

 すると、その後方からもう1頭の黄黒縦縞の勝負服が追走を開始した。・・・ネオユニヴァースが、動く。スタンドは、揺れた。

「淀の坂は、ゆっくり上がってゆっくり下れ」

 それは、あまりに言い古された京都競馬場でのセオリーである。向こう正面から第3コーナーまでの長い上り坂、第3コーナーから直線入口までの長い下り坂を特徴とする京都の芝コースでは、いつまで、どこまで仕掛けを我慢できるかが勝敗の鍵を握ると言っても過言ではない。彼らの戦法は、その一点において淀のセオリーを無視している。

 かつてこのセオリーを無視することで三冠に輝いた馬もいる。ミスターシービー・・・83年の三冠馬で、安定とは程遠い出遅れ、追い込みなどの競馬で人気を博し、破天荒の代名詞ともなった馬も、菊花賞では向こう正面からの進出、早め先頭という奇策で頂点に立った。ミスターシービーは、歴代三冠馬の中で、おそらくネオユニヴァースとは最も異なる存在であろう。そのネオユニヴァースが、この大舞台でミスターシービーと同じ軌跡をたどるのか。

 当然のことながら、デムーロ騎手の耳に、そうした声は届いていなかった。日本で20年も前に三冠を達成した馬のことも、果たして意識していたかどうか。彼に確かにあったのは、皐月賞、日本ダービーと戦いをともにした戦友とともに目指す「三冠」に引き寄せられる思いのみである。三冠を失った国からやって来て、この国で三冠に魅入られた彼の意思はただひとつ、三冠達成の夢だった。

 ゼンノロブロイ、リンカーン、サクラプレジデントは、2頭の動きに耐えた。セオリーに従い、「早すぎる」仕掛けを黙殺した。ほかの馬たちがいまだに動かない状況だけに、ザッツザプレンティとネオユニヴァースの動きは際立っていた。互いに相容れぬザッツザプレンティ陣営とネオユニヴァース陣営の思いが交錯し、強い意思の嵐が淀の坂にこだました。

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