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ネオユニヴァース列伝~王道の果てに~

『負けるはずがない』

 第63回皐月賞戦線は、トライアルレースの弥生賞、スプリングSを経て、少しずつその全貌を現していた。スプリングSの1着、2着馬であるネオユニヴァースとサクラプレジデント、朝日杯FSに続いて弥生賞を制したエイシンチャンプ、きさらぎ賞2着の後に皐月賞へ直行したサイレントディール、弥生賞では6着に破れたものの、ラジオたんぱ杯2歳S(Glll)優勝の実績があるザッツザプレンティ・・・。大衆の支持は、この5頭に割れた。ちなみに、弥生賞、スプリングSに並ぶもうひとつのトライアルレースである若葉S(OP)は、ただでさえ手薄なメンバーと言われていた上に、掟破りで参戦した牝馬のアドマイヤグルーヴに勝利を献上する結果に終わったため、皐月賞への影響はほとんどないとされた。

 ふたを開けてみると、ネオユニヴァースは単勝360円の1番人気に支持された。・・・とはいえ、2番人気のサクラプレジデントが430円、前記5頭のうち残る3頭が600円台で並ぶ展開だっただけに、混戦の中で押し出された1番人気であることも間違いない事実だった。

 皐月賞へ向けた馬の仕上がりは、万全だった。しかし、瀬戸口師の胸から不安は消えない。95年のオグリワンや97年のゴッドスピードで皐月賞に挑んだ経験がある瀬戸口師ではあっても、1番人気のネオユニヴァースと3番人気のエイシンチャンプの2頭出しとなる今回の前評判と重圧は、以前とは比べ物にならない。

 それに対し、本番が近づくにつれて自信を深めていくのは、デムーロ騎手だった。

「これほどの馬、負けるはずがない」

 デムーロ騎手がネオユニヴァースと戦いをともにしたのは、スプリングSの1分48秒2の間だけ。しかし、そのわずかな時間は、彼にネオユニヴァースに対する絶対の信頼を与えるに十分なものだった。彼は、皐月賞を戦う前から勝利を確信していたという。

『開かれた門』

 2003年4月20日、第63回皐月賞当日。2000年春に生を享けたサラブレッドたちの中で、厳しい戦いを勝ち抜いてようやくこの日のゲートにたどりつくことを許された18頭の出走馬たちが、決戦の舞台となる中山競馬場へと集った。

「力で第一章を、旅立て」
「若い力が時代を突き破る。壮大な物語の幕開けだ。クラシック第一章。この日のゴールが、旅立ちである」

 ・・・皐月賞当日に発行されたレーシングプログラムは、クラシック第一冠をそう煽っている。そう、これは幕開けであり、始まりにすぎない。だが、この日が終われば、今年の「三冠馬」となる資格を持つ馬は、ただ1頭に絞られるという現実がある。王道の重みは、後から取り返しがつくものではない。

 瀬戸口師は、

「レースでのネオユニヴァースのことは、デムーロが一番よく分かっている。だから、レースでの注文は特に出しませんでした」

という。指示の代わりに信頼を託されて、デムーロ騎手はうなずいた。今さら彼と瀬戸口師の間に、言葉などいらない。彼とネオユニヴァースの間がそうであったように。

 この日の鞍上を務める船橋の名手・石崎隆之騎手がレース前から「逃げ宣言」を発していたエースインザレースが先手を取るかに思われたその時、皇帝シンボリルドルフの血を継ぐチキリテイオーがこれをかわし、自ら先導役を買って出た。エースインザレースもそれを深追いすることなく2番手で控え、一瞬かかって前に行きかけたザッツザプレンティも折り合ったため、レースの流れは落ち着いた。

 ・・・そんな前の動きをよそに、ネオユニヴァースは当然のように中団につけた。デムーロ騎手がスプリングSで試したとおりの競馬だが、それでいい。違うといえば、スプリングSで15番枠だった発走枠が皐月賞では3番に変わったために、馬群という壁の中に自らを潜める形にならざるを得なかったことだが、2000mにわたる戦いならば、侵攻の時はきっと来る。そう信じた。・・・この時点では、デムーロ騎手もまだこの日の戦いを読み切ってはいなかった。

『予期しえぬ乱気流』

 第63回皐月賞は、先導役がエースインザレースからチキリテイオーに変わったこと以外にさほどの波乱はないかと思われた。しかし、実際には、それは「波乱がない」ことこそが最大の波乱要因となって、レースそのものに脅威をもたらす展開だった。

 レースが後半に入るころ、騎手たち、特に馬群の後方にいる馬たちの間で、苛立ちにも似た感情が渦巻き始めた。

「遅い、遅すぎる!」

 彼らの感情の渦は、緩やかな流れでレースを引っ張るチキリテイオーと、その後方の2番手で折り合っているエースインザレースに起因していた。エースインザレースから一見強引に主導権を奪ったチキリテイオーだったが、彼が形成したペースは、むしろスローに属するものだった。スタート後にエースインザレースから先頭を奪うまでは速い流れを作り出していたチキリテイオーだが、その後エースインザレースが競りかけてこないと見るやただちにペースを落とし、そのままレースの流れをスロー、それも「超」がついてもおかしくないほどのペースまで落とし込んでしまったのである。

 これに焦ったのは、後方待機策から瞬発力勝負に持ち込もうとしていた馬たちだった。こんなスローペースでは、先行馬たちの脚は止まらない。先行馬たちが止まらなければ、自分たちが末脚を爆発させたところで、ゴールまでに届かない。

 そんな彼らに残された道は、いつもより早め・・・第3コーナー手前から一気に進出を開始して、直線までに先行馬との差を可能な限り詰めておくことだった。こうして後方の馬が早めに動き始めたことで、それまでスローで流れていたペースが一気に吊りあがる。しかも、追い詰められた末の彼らの動きは不規則で、計算によって想定可能になるだけの統制すら欠いていた。

『絶望の第4コーナー』

 デムーロ騎手が気づいた時には、ネオユニヴァースは既に危機的状況に陥っていた。・・・いや、事前に気づいたとしても、何かができたかどうかは疑問である。もともとスローペースで前がごちゃついた展開で馬群の中にいたために選択の余地が限られていたことに加えて、ペースが一気に吊り上がった結果であるだけに、事前に流れを察知したとしても、対応することは難しかったかもしれない。

 だが、中山競馬場の第4コーナーは、狭い。東京競馬場や京都競馬場とは違って、内ラチ沿いで馬の壁に囲まれた場合、前は空かない。そんな状況の中で後方の馬たちが早く上がってきたために外側の壁が厚くなり、さらに彼らに押し出されるように前に出た馬たちが、ネオユニヴァースの前方でもうひとつの壁を形成する。ネオユニヴァースが置かれた状況・・・内側をラチ、外側と前を分厚い馬の壁に取り囲まれて第4コーナーを迎えるという展開は、中山競馬場の芝コースで考えうる最悪の状況だった。

 調教師席のテレビで第4コーナー手前での攻防を見守っていた瀬戸口師は、ネオユニヴァースの位置どりに天を仰ぎ、次いでもう1頭の出走馬に残された希望を託すため、エイシンチャンプの姿を探したという。それどころかデムーロ騎手ですら、

「ダメか」

とレースをあきらめかけたという。手綱の感触は、前が空きさえすれば抜け出せるという手応えを伝えている。・・・だが、彼らの行く手には、ラントゥザフリーズ、エースインザレース、ダイワセレクションらによる、何重もの馬の壁が立ちはだかっている。それでも強行すれば、そこにあるのは降着か大事故か。第4コーナーでのネオユニヴァースの位置どりは、それほどに絶望的なものだった。

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