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ネオユニヴァース列伝~王道の果てに~

『乗り替わり』

 きさらぎ賞で重賞初制覇を果たしたネオユニヴァースは、その後皐月賞トライアルを一度使って皐月賞(Gl)、そして日本ダービーへと向かうローテーションが有力視されるようになった。だが、いよいよクラシック戦線を目前にしたネオユニヴァース陣営は、ここで大きな問題に直面しなければならなかった。・・・クラシック本番でのネオユニヴァースの鞍上が、宙に浮いてしまったのである。

 きさらぎ賞までの4戦のうち、勝った3戦の手綱をとったのは、福永祐一騎手である。しかし、福永騎手には前年の朝日杯フューチュリティS(Gl)を制した2歳王者のエイシンチャンプがいた。8番人気で勝った朝日杯FSの時点ではフロック視する声もあったが、その後に弥生賞(Gll)も勝ったとなると、そんな声はもはやかき消されるしかない。

 エイシンチャンプとネオユニヴァースは、いずれも瀬戸口厩舎の馬であり、かつて併せ馬をしたこともある2頭である。福永騎手も複雑な思いはあったが、決断を長引かせると、選ばなかった方に迷惑をかけてしまう。・・・福永騎手は、クラシック戦線ではエイシンチャンプに騎乗する意志を明確にした。現時点で実績上位なのはエイシンチャンプの方だし、さらに「エイシン」という冠名のとおり、福永騎手にとっての出世馬ともいうべきエイシンプレストンと同じ馬主の所有馬である以上、彼のなすべき選択は、最初から見えていた。

 福永騎手の選択により、瀬戸口師はエイシンチャンプではなくネオユニヴァースの新しい主戦騎手を探す必要に迫られた。そして、最終的に瀬戸口師が白羽の矢を立てたのは、当時短期免許によって来日中のミルコ・デムーロ騎手だった。

『ミルコ・デムーロ』

 ミルコ・デムーロ騎手は、1979年生まれの当時24歳ながら、既にイタリアでトップジョッキーとしての地位を築いた「天才」騎手である。1994年に見習騎手としてデビューした彼は、97年に初めてリーディングジョッキーに輝くと、その後2000年まで、4年連続でリーディングジョッキーに輝いている。また、本国では「勝利数は多いが大レースに弱い」という声もあったものの、99年にジョッキークラブ大賞を制してようやく悲願のGl制覇を果たすと、その後は2000年にイタリアオークス、02年にイタリアダービーを制し、その懸念も払拭しつつあった。

 かつて伝説の馬産家フェデリコ・テシオを擁して欧州を席巻した時代もあったイタリア競馬だが、日本競馬とはそう縁が深いわけではない。イタリアの騎手の短期免許による来日も、制度ができて間もない95年にサンチャゴ・ソト騎手が来日したものの、ソト騎手自身のみならず他の騎手もその後に続くことはなく、そう盛んなわけではなかった(なお、ランフランコ・デットーリ騎手はイタリア人だが、騎手としての本拠地は英国)。

 だが、パリで偶然出会った社台ファームの吉田照哉氏と森秀行調教師に誘われたのがきっかけで、1999年暮れに初めてJRAの短期免許を取得したデムーロ騎手は、それ以来毎年のように来日しては、着実に勝利を積み重ねてきた。2001年2月にはミスズシャルダンに騎乗した小倉大賞典(Glll)でJRA重賞初優勝を飾り、その後も重賞制覇を重ね、この時まで通算4勝を挙げている。

 20歳だった初来日時には既にイタリアのリーディングジョッキーの栄光を手にしていたデムーロ騎手が、その後も日本競馬にこだわる理由として挙げているのは、

「スローの競馬ばかりのイタリアと違い、日本競馬は様々なペースのレースがあって、騎手としての感性が磨かれる」

ということである。日本でよく「スローペース症候群」が問題となっていることを考えると意外な理由といえるが、もともと「スローペース症候群」が世界的な傾向で、特にイタリア競馬は欧州の中でも比較的長距離レースが多いとされていた。それだけに、その傾向の弊害が日本より顕著であり、かつマスコミ等による批判も十分ではなかったのかもしれない。もちろん他に世界最高水準の賞金額と外国人トップジョッキーに対する好待遇、欧州競馬の開催が無い年末年始に騎乗すれば本国での騎乗にも影響がないといった現実的な理由もあったであろう。・・・それらは現在からたった20年前ではあったが、その後にデムーロ騎手は完全に日本へ本拠地を移し、さらに近年イタリアから国際Glが消滅し、国自体がパート2国に転落することなど、当時はまだ予想できるはずもない時代だった。

 瀬戸口師から依頼を受けたデムーロ騎手は、ネオユニヴァースの調教にまたがり、

「素晴らしい馬だ」

と確信したという。デムーロ騎手の手応えは、当時のネオユニヴァースが与えられている評価は不当なものであることを教えていた。

「スプリングSの目的は、レースに勝つことではない。もっと先をにらんで、この馬の可能性を探るべきだ」

 それが、デムーロ騎手の直感だった。

『明日のために』

 福永騎手からデムーロ騎手に乗り替わり、ネオユニヴァースが次に臨んだレースは、皐月賞トライアルのスプリングS(Gll)だった。

 スプリングSで断然の支持を集めたのは、通算3戦2勝、2着1回のサクラプレジデントである。新馬戦、札幌2歳S(Glll)を連勝し、その後間隔の空いた朝日杯フューチュリティS(Gl)でもエイシンチャンプの2着に入ったこの馬は、2002年に死亡したサンデーサイレンス産駒の牡馬の大将格として、デビュー前には期待されながらもその後期待を裏切ったダンシングオン、ブラックカフェらに代わる大きな期待を集めていた。勝利数はサクラプレジデントよりひとつ多いネオユニヴァースだが、単勝人気は280円で、170円のライバルに水をあけられる形となった。

 だが、いざゲートが開いてレースが始まってみると、サクラプレジデントがわずかに立ち遅れたのを尻目に、ネオユニヴァースは順当なスタートを切った。

 この日のデムーロ騎手が意識していたのは、ネオユニヴァースに調教で感じた可能性がレースでも実践しうるものかどうかを試すことだった。1800mまでの競馬をすれば勝てることは分かっているが、クラシックの距離延長を見据えて、中団につけて脚をためる競馬を試すことは、もうここでしかできない。控える競馬は、馬にとっては実に難しい。調教ではできたとしても、実戦ではできない馬も、決して少なくない。

 自らの賭けの結果に固唾をのんだデムーロ騎手だったが、ネオユニヴァースは何事もなかったかのように折り合いをつけ、中団へと居座った。この時デムーロ騎手の直感は、確信へと変わった。

「この馬は、競馬というものを知っている・・・」

 ・・・彼の確信は、瀬戸口師らのスタッフにとっては、半信半疑なものだっただろう。彼らは、ネオユニヴァースの「現在」だけでなく、「過去」も知っている。過去のネオユニヴァースは、サンデーサイレンス産駒らしい激しい気性で、レースももっと荒かった。だからこそ、ひとつやふたつのレースで彼に対する認識を改めることはない。もし2歳時から騎乗してきた福永騎手がこの日引き続き騎乗していたとしても、それと似たような感触を抱いたに違いない。

 しかし、デムーロ騎手にネオユニヴァースの「過去」はない。「現在」の彼は、レースに勝つために完璧な競馬を実現しうる馬。ならば、話は早い。この馬に乗る騎手は、折り合いのように無駄なことは考えず、どのあたりで競馬を進め、いつ仕掛け、いつ抜け出すかという作戦だけを考えればいいのだから・・・。

『暁の宇宙へ』

 ネオユニヴァースとの「過去」を共有せず、「現在」のみを共有するからこそこの馬の現在を誰よりも早く理解したデムーロ騎手は、自らの本能が命じるままに従い、第3コーナー付近から進出を開始した。ここまでためてきた末脚ならば、ゴールまでに先頭を奪うことはそう難しくないはず。そう信じたデムーロ騎手の判断だが、ネオユニヴァースの反応も、彼の想定を全く裏切らないものだった。勢いよく外を回ったネオユニヴァースは、距離のロスがあってもなお余りある加速で先行馬たちとの差を詰め、スタートでの失地を挽回して4、5番手で競馬を進めてきたサクラプレジデントにも第4コーナーで並びかけていった。

 第4コーナーから直線にかけてのこのレースは、馬体を併せたネオユニヴァースとサクラプレジデントの完全な一騎打ちとなった。旋風のような仕掛けによって、それまでに築いてきた先行策によるリードを一挙に失ったサクラプレジデントと武幸四郎騎手だったが、彼らにもまだ余力は残っている。それでも、ここで一度置かれてしまえば、すべては終わるだろう。ネオユニヴァースの旋風の末脚には、それだけの勢いがあった。

 サクラプレジデントは、直線入口でようやくネオユニヴァースの奔流のような脚を受け止めた。2頭の位置は、わずかにサクラプレジデントが前か。奔流に押し流される事態は防いだ。・・・だが、それはあくまで初撃をかわしただけの話で、本当の戦いの号砲にすぎなかった。

 武幸四郎騎手がサクラプレジデントに必死の右鞭を飛ばすと、馬も迸る衝撃とともに、前に出る。敵襲を凌いだ今こそ、反撃の時であるとでもいうかのように。他の馬たちは、この時点でついていくことができず、脱落していく。

 だが、サクラプレジデントの懸命の反撃も、ネオユニヴァースは余裕を持って受け止めていた。第4コーナーで標的を一気にかわすことこそできず、直線入り口では馬体を併せた一騎打ちの形となったネオユニヴァースだったが、初撃の勢いをそのまま生かして直線へとなだれ込んだネオユニヴァースは、そこからさらに加速していた。直線に入ってからのデムーロ騎手は、鞭に頼る必要すらなく、ひたすらネオユニヴァースを押す。

 ネオユニヴァースは、一瞬前に出たサクラプレジデントをすぐにとらえ、そのまま飲み込んでしまった。彼らの勝負は、事実上この時既についていたのかもしれない。

 それからは、ネオユニヴァースの怒涛の進撃の時間だった。決死の抵抗を見せるサクラプレジデントを退けて、ネオユニヴァースは前に出た。サクラプレジデントとの脚色の違いは、歴然としている。そして、サクラプレジデントの抵抗も残り100mほどで力尽き、ネオユニヴァースはサクラプレジデントを完全に競り落とした。それで、終わりだった。

 こうしてネオユニヴァースは、圧倒的な強さでスプリングSを制し、皐月賞・・・クラシック戦線に向けて幸先のいいスタートを切った。サクラプレジデントにつけたその着差、1馬身4分の1。だが、その内容の差は絶対のものと言えた。きさらぎ賞でクラシック戦線に名乗りをあげたネオユニヴァースは、スプリングSで一気に本命の地位へとのし上がった。ネオユニヴァースは、デムーロ騎手とともにクラシック戦線という宇宙へと飛び立ったのである。

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