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ネオユニヴァース列伝~王道の果てに~

『天王山』

 淀のセオリーを無視して強攻策を採ったザッツザプレンティは、下り坂でテイエムテンライ、そしてシルクチャンピオンをもとらえて先頭に立った。ネオユニヴァースも、それに続く。デムーロ騎手の手応えは、まだ楽である。勝負どころを控えて、ネオユニヴァースにはまだ余力がある。そう思わせるに十分な、その余裕。

 その時、彼らの後方の馬群の内側では、有力馬の一角であるゼンノロブロイが、馬の壁に包まれて行き場を失っていた。京都競馬場芝コースの第4コーナーは、直線入口でそれまで内側の蓋をしていた植え込みの切れ目を迎えて進路が一気に広がるため、本来前が詰まりにくい構造になっている。しかし、先に動いたザッツザプレンティとネオユニヴァースを見送って勝負を先送りにしたゼンノロブロイとオリビエ・ペリエ騎手は、植え込みの切れ目を迎える前に、行き場を見出せないまま外から殺到する他の馬たちに押圧されてしまい、立ち往生していた。その惨状たるや、ペリエ騎手の腰がほとんど上がりかけている。

 戦いには、動くべき時がある。それを見誤ったゼンノロブロイが、まず菊花賞戦線から脱落した。だが、彼とはまったく無関係に、ザッツザプレンティとネオユニヴァースの位置は次第に接近し、第64回菊花賞、ネオユニヴァースの王道は直線の攻防、決戦の最終局面を迎えた。

 デムーロ騎手と安藤騎手は、戦いの時が来たことを感じ、それぞれのステッキを抜いた。振るうステッキは馬に意思を伝え、馬はそれに応えて封印していた末脚を解放する。3000mの長丁場の勝敗を決する最後の400mに、スタンドから大歓声が湧きあがる。・・・この時彼らは、直後にネオユニヴァースがザッツザプレンティをとらえ、抜き去る光景を予想したに違いない。この時点での脚色は、ネオユニヴァースが上であるように見えたのだから。

『逢魔が刻』

 だが、鞍上のデムーロ騎手は、ネオユニヴァースの末脚に、変調を感じていた。

「春の切れ味がない・・・」

 いったん直線を迎えれば、あるいはデムーロ騎手が一発ステッキを振るえば、それに応えて空飛ぶような末脚で他の馬たちを抜き去っていく、それが春のネオユニヴァースだった。ところが、この日の彼からは、そんな手応えが返ってこない。

 それが3000mという距離への限界か、それとも時の経過による早熟さゆえの優越の喪失かは、分からない。確かなのは、その結果。・・・ネオユニヴァースは、ザッツザプレンティをとらえられない。あと1馬身まで迫ったところで、2頭の差は縮まらなくなった。

 心は折れかけているというのに、身体はそれを懸命に否定する。否、まだ戦える。三冠への誓いは、まだ消えていない。デムーロ騎手の左ステッキが、何度も飛ぶ。そんなはずはない。ここで終わるネオユニヴァースではない。皐月賞、閉じかけた馬群を一瞬の隙間から抜け出した一冠目を思い出せ。日本ダービー、追いすがるゼンノロブロイを無慈悲なまでの堅実さで寄せつけずゴールした二冠目を思い出せ。お前は、王道の果てに三冠馬となるべき存在ではなかったか・・・。

 だが、ネオユニヴァースの馬体は軋みをあげていた。ステッキの乱打にも関わらず縮まらぬ差が、彼の限界を告げていた。

 本当は、初撃の時点で、敗北の運命は決まっていた。勝つならば、最初に仕掛けた時点でとらえなければならなかった。ザッツザプレンティがネオユニヴァースに仕掛けたのは、ステイヤーとしての適性比べ。直線だけの瞬発力勝負に持ち込むことなく、早めに脚を使う消耗戦へと打って出ることで、スタミナ勝負に持ち込む作戦。・・・それはステイヤーが近年の菊花賞を勝つための定跡そのものであり、サンデーサイレンスのみならず最後の英国三冠馬Nijinsky llの血をも受け継いだザッツザプレンティが自らの領域にレースを引き込むための、乾坤一擲の賭けだった。

『夢と王道の果て』

 ネオユニヴァースは、それまでサラブレッドの王道を歩んできた。皐月賞とダービーを勝って二冠馬の誇りを手にした時、彼らは三冠馬となる誓いを立てた。三冠馬・・・それは誰もが夢み、憧れる、サラブレッドの理想形である。

 結果的に、その誓いは、彼らを縛る鎖となった。誓いに忠実であろうとし、完璧を求め、究極を望んだ結果、彼は3歳馬の身で宝塚記念という覇道の領域にまで踏み込み、菊花賞でもザッツザプレンティの挑戦を王者として正面から受けて立った。

 その点、ザッツザプレンティは違っていた。人気を集めた春に大敗を重ねた彼らには、誇るべきものなどとうにない。その結果が、菊花賞での大胆な早仕掛けという奇策となって表れた。2頭の明暗を分けたのは、それぞれが背負い、積み重ねたものの違いだった。

 そんな彼らの戦いも、ついに最期の刻を迎えた。1馬身で張り付いたように動かなかったザッツザプレンティとの差が、残り100mを切ったところで一気に半馬身ほど広がった。代わって後ろから迫り来るのは、直線での末脚勝負に賭けていたリンカーンである。・・・脚色が違う。瀬戸口師が天を仰ぎ、スタンドからは悲鳴にも似た喚声があがる。ザッツザプレンティに置かれ、リンカーンにもかわされた向こう側が菊花賞のゴールであり、また彼らの夢と王道の果てだった。

『消えた夢』

 菊花賞、3着。ネオユニヴァースは、敗れた。三冠を賭けた最後の戦いでの敗北は、ネオユニヴァース陣営を絶望にも似た虚脱へと陥れた。瀬戸口師は

「力を出し切って負けたのだから仕方ない」

というコメントだけを残して、早々と京都競馬場を後にした。デムーロ騎手は

「展開は最高だった。だが、ここぞというところでザッツザプレンティに迫ることができなかった。最後まで同じペースでしか走れず、アンドウ(安藤)にもうまく乗られてしまった。早めに動きすぎた気はするし、距離も長かった。ゴールした時は最悪の気分。三冠は本当に難しい」

と敗北を認めるしかなかった。仕上がりは良く、レース中のアクシデントもなかっただけに、なすべき言い訳もなかった。

 この日彼らの快挙を阻止したザッツザプレンティは、ネオユニヴァースが生まれたわずか5日後に、同じ社台ファームで産声をあげた馬である。社台ファームの生産馬であるネオユニヴァースの三冠を、社台ファームの生産馬であるザッツザプレンティが阻止するという皮肉な結果だった。宿願を果たして歓喜を爆発させる橋口師や安藤騎手とは対照的に、夢阻まれた瀬戸口師、デムーロ騎手の失意の様子は、残酷なコントラストを描き出していた。

 こうしてネオユニヴァース陣営が見た三冠の夢は、うたかたと消えた。三冠というサラブレッドの王道が21世紀になっても健在であることを最初に示したネオユニヴァースだが、彼の挑戦が幻に終わることにより、その過酷さはもちろんのこと、レース前に一部からあがっていた

「ネオユニヴァースには、三冠を勝つために必要な何かが決定的に欠けている・・・」

という声をも、結果によって裏づけることになってしまった。では、彼に欠けていたものは、果たして何だったのだろう。後付けとなることを承知の上で言うならば、それは「なりふり構わず菊花賞を勝ちにいく」という意思ではなかったか。日本ダービーの後に宝塚記念へも出走したことは、菊を制するという観点のもとでは、むしろ足かせに過ぎない。戦績、種牡馬としての価値、それらのすべてに完璧を求め、結果だけでなく過程まで求めた結果、彼は王道を踏み越えてしまった。・・・それは、三冠を狙う3歳馬の身にはあまりに重い挑戦であり、すべてを求めた結果、ネオユニヴァースは敗れたのである。20世紀の最後の三冠から9年、21世紀の競馬界に再び三冠の炎が燈るまでには、あと少し、時が必要だった。

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