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バブルガムフェロー列伝~うたかたの夢~

『明日の蜃気楼』

 府中のスタンドを埋め尽くした大観衆は、凱旋するバブルガムフェローと蛯名騎手を称えて大歓声をあげた。第1回帝室御賞典を勝ったハッピーマイト以来、実に59年ぶりとなる4歳での天皇賞制覇は、サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガンという当時の古馬中長距離戦線を代表する強豪たちをことごとく向こうに回し、それも先行してそのまま力で押し切っての栄光である。

 レースの後、蛯名騎手は、

「今年の4歳が強いんじゃない。この馬が、別格なんです」

と言い切った。

「僕にとっては初めてのGl制覇。こんな凄い馬に乗せてもらって、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。『岡部さんじゃないから負けた』とは言われたくない一心でレースに臨みました。バブルには頭が上がりませんよ」

とも語る彼にとって、バブルガムフェローというサラブレッドは、わずか1分58秒7の間に、決して忘れられないサラブレッドとなったのである。

 3歳時から「大器」と言われ続けながら、故障という悲運によって春を棒に振り、皐月賞、日本ダービーとも無縁だったバブルガムフェローだったが、彼は菊花賞で目指す同世代の頂点を一足飛びに飛び越し、一気にサラブレッドの頂点まで駆け上ったことになる。それは、新たな王者の誕生と新たな時代の到来を告げるもの・・・蛯名騎手のみならず、誰もがそう思った。まだ来ぬ未来は、誰にも見えない。

『翳り』

 バブルガムフェローが成し遂げた快挙は、すぐにカナダにいる藤澤師へも伝わった。ブリーダーズCに挑戦したタイキブリザードが惨敗して沈んでいた藤澤師だったが、日本の妻に頼んで、電話を通じてリアルタイムで天皇賞・秋を「実況」してもらっていた。

 日本へ帰国した藤澤師は、自分では見ることができなかったバブルガムフェローの天皇賞・秋のビデオを繰り返し見たという。

「まず、強いと思った。先行して、並ばれて、そしてまた突き放したバブルの競馬は、本当に強い競馬だ・・・」

 もともと「バブルガムフェローには、彼にしかできない仕事がある」と言って、あえて世代限定戦の菊花賞ではなく世代混合戦の天皇賞・秋に挑戦させた藤澤師である。だが、バブルガムフェローはその課題も見事にクリアし、サクラローレルをはじめとする古馬たちを退けて頂点に立った。そんな彼の次なる目標は・・・?

 藤澤師は、バブルガムフェローが天皇賞・秋の次に挑戦するレースをジャパンC(国際Gl)に定めた。タイキブリザードでのブリーダーズC挑戦が惨敗に終わり、世界の壁の厚さを痛感させられたばかりの藤澤師の選択は、ある意味ではもう分かりきったものだった。

 この年のジャパンCには、4歳にして凱旋門賞(国際Gl)を制したエリシオを筆頭に、キングジョージIV&Q.エリザベスll(国際Gl)を勝ったペンタイア、前走のブリーダーズCターフ(国際Gl)で2着に入り、後にドバイワールドCをも制するシングスピールといった、伝統ある大レースで実績を残して国際レーティングで上位を占める外国馬たちの多士済々たる顔ぶれが揃っていた。

 ところが、その一方で迎え撃つべき日本勢をみると、サクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーの「古馬三強」は、早々にジャパンC回避を表明していた。無論、それぞれに事情があった。特に大将格のサクラローレルについては、天皇賞・秋で横山騎手の騎乗ミスによって馬群に包まれるという不利があり、ファンや評論家たちの間では

「まだバブルガムフェローとの勝負づけはついていない」
「ジャパンCでの巻き返しを狙ってほしい」

といった声が強かった。それでも境師は、以前にたびたび骨折を経験してきたサクラローレルに過酷なローテーションは強いられないということで、最初から公言していたとおりにジャパンCを回避し、有馬記念(Gl)へ直行するというローテーションを変えなかった。

 とはいえ、「史上最強」といってもいいほどの豪華な外国馬たちに対し、日本馬だけは一流馬が出ないというのでは、寂しさも否めない。そんな中で敢然とジャパンCに挑むバブルガムフェローは、天皇賞・秋で古馬三強をすべて下していることもあって、4歳馬でありながら「日本の総大将」としての期待を一身に背負うべき立場となっていた。

 あえて次走にこのレースを選んだ藤澤師の視線の先には、世界的な強豪と戦うことで、バブルガムフェローの将来・・・翌年の海外遠征、ひいては世界の最高峰である凱旋門賞の夢につなげたいという思いがあった。バブルガムフェローの生産者である社台ファームの担当者も、天皇賞・秋のレース後、

「まだ身体が大人になりきっていないので、今以上に素晴らしい馬に成長するはずです・・・」

とコメントしている。サクラローレルらをことごとく破ったバブルガムフェローならば、エリシオをはじめとする世界的な強豪ともわたりあえるはず。それが、藤澤師らの気持ちだった。

 だが、天皇賞・秋以前のバブルガムフェローの凄みとされていたのは、「未完成であること」そのものだった。荒削りで、競馬をしていないように見えるのにあっさりと勝ってしまう・・・それがバブルガムフェローの「強さ」だった。

 バブルガムフェローが天皇賞・秋で展開したレースは、そんな競馬とは一線を画していた。好位につけ、力を出し切って勝つというそれは、完成した競馬そのものである。何よりも、このレースでの彼は、すべてを出し尽くして勝利をつかんだように見えた。それは、それまでの彼の最大の「強さ」が、ひとつの限界につきあたったということでもあった。・・・思えば、天皇賞制覇によって大きく膨れ上がったうたかたは、その完成の瞬間に、はじけ飛ぶ運命もまた定まっていたのかもしれない。

『知るがゆえに』

 ジャパンC当日の単勝オッズを見ると、340円の1番人気がフランス馬のエリシオで、バブルガムフェローは370円と僅差の2番人気につけた。エリシオといえば、バブルガムフェローと同じ4歳馬で戦績は7戦6勝、前走では世界の最高峰のレースのひとつとされる凱旋門賞を5馬身差で逃げ切ったという、掛け値なしの世界的名馬である。バブルガムフェローは、日本馬で唯一となる単勝3桁配当に推されただけにとどまらず、同世代の世界的名馬と拮抗し、ペンタイア、シングスピールを大きく上回る人気を得ていた。

 しかし、この日彼の鞍上に復帰した岡部騎手は、それまでのバブルガムフェローのこともよく知っているだけに、久々に競馬場で会う彼の中に、言い知れぬ違和感を感じていた。

「馬に前向きな気持ちを感じない・・・」

 気のせいかとも思ったが、やはりおかしい。岡部騎手が騎乗する時にも、逃げるようなそぶりを見せる。返し馬が終わった時には、

「どうも口向きがおかしい」

と厩務員を呼んだりもした。厩務員は、

「悪いとこなんてひとつもないんだけどなあ」

と岡部騎手の真意をいぶかるばかりである。彼の不安は、誰にも理解されない。

 思い返すと、天皇賞・秋の直前、テン乗りの蛯名騎手は、バブルガムフェローに様々な不安を感じていたが、レースでは見事に優勝を果たしている。だが、それは蛯名騎手が、「バブルガムフェローを知らないがゆえの不安」だった。一方、岡部騎手が感じ取っているのは、「バブルガムフェローを知るがゆえの不安」である。・・・彼の予感にも似た不安は、やがて最悪の形で的中することになる。

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