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バブルガムフェロー列伝~うたかたの夢~

 1993年4月11日生。2010年4月26日死亡。牡。鹿毛。 社台ファーム(千歳)産。
  父サンデーサイレンス、母バブルカンパニー(母父Lyphard)。藤澤和雄厩舎(美浦)
 通算成績は、13戦7勝(旧3-5歳時)。主な勝ち鞍は、天皇賞・秋(Gl)、朝日杯3歳S(Gl)、
 毎日王冠賞(Gll)、スプリングS(Gll)、鳴尾記念(Gll)、府中3歳S(OP)。

(本作では列伝馬の現役当時の馬齢表記に従い、旧年齢(数え年)を採用します)

『未完の大器』

 競馬界ではよく「未完の大器」という言葉が使われる。しかし、実際に注意深く見てみると、そうした馬たちの中には、「未完の大器」というより、単なる見込み違いだったのではないか、という馬も少なくない。本当の意味で「未完の大器」という言葉にふさわしい馬は、そうそういるものではない。その点、バブルガムフェローは「未完の大器」という言葉がよく似合う、数少ないサラブレッドの1頭である。

 そう言うと、

「バブルガムフェローは、天皇賞・秋(Gl)と朝日杯3歳S(Gl)で、Glをふたつも勝っている。『未完』とは言えないのではないか」

という疑問が返ってくるかもしれない。しかし、バブルガムフェローが当時の人々から寄せられていた期待の大きさは、天皇賞・秋と朝日杯3歳Sを勝っただけで「完成した」と言い切れる程度のものではなかった。その卓越したレースセンスと底知れない大物感は、同じ時を共有した競馬関係者やファンに

「どこまで強くなるのだろう・・・」

と思わせ、そんな彼が積み上げていく実績はその期待をますます高めていった。彼に寄せられた期待は、やがて彼が1996年の天皇賞・秋(Gl)でサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーといった当時の最強古馬たちをことごとく封じ込め、59年ぶりとなる4歳での天皇賞制覇を果たしたことで、ついに頂点へと達した。

 だが、天皇賞・秋の次走となったジャパンC(国際Gl)で謎の大敗を喫したバブルガムフェローは、その後まるで成長が止まってしまったように足踏みするようになった。彼が単なる早熟馬だったわけではない。バブルガムフェローは5歳時にも5戦走っているが、常に安定した結果を残し、馬券に絡まなかったことは一度もない。古馬になってからの彼に「衰えた」という評価は当てはまらないのである。

 それでも、彼に対して寄せられた期待の重さを思えば、Gl2勝という実績だけでは不完全燃焼だったのではないかという感が否めない。あるいは、大きすぎた期待が彼のくびきとなったのかもしれないが・・・。

 今回のサラブレッド列伝では、そんな「未完の大器」バブルガムフェローの軌跡を追うことによって、我々が彼に何を求めたのか、そして我々は競馬に何を求めるのかという疑問の答えを探ってみたい。

『バブルガムフェロー』

 バブルガムフェローは、千歳の社台ファームで生まれた。父はサンデーサイレンス、母はバブルカンパニーである。

 バブルカンパニーは、もともとフランス、アメリカで繁殖生活を送っていたところ、セリで社台ファームの吉田照哉氏に見出されて日本へ輸入された繁殖牝馬である。

 彼女が日本へ輸入された時、彼女は既に15歳(旧表記)になっていた。牧場が新たに繁殖牝馬を手に入れる場合、「今後何頭の産駒を取れるか」という問題に直結する牝馬の年齢は、極めて重要な意味を持つ。15歳という年齢は、新たに手に入れる繁殖牝馬としては、かなり高いリスクを負うものである。しかも、バブルカンパニーの価格は37万ドルと、年齢を考えるとかなり高額なものだった。

 それでも社台ファームがバブルカンパニーを手に入れる決断をした背景には、彼女の優れた血統的背景があった。バブルカンパニー自身の競走成績は12戦1勝にすぎないが、彼女の母Prodiceはサンタラリ賞(仏Gl)優勝、フランスオークス(仏Gl)2着などの実績を持つ名牝であり、その産駒でバブルカンパニーの全妹にあたるSangueも、米国のGlを3勝している。また、バブルカンパニーがフランスで生んだ産駒からは、仏2000ギニー(仏Gl)で2着となり、現役引退後はアルゼンチンに渡ってチャンピオンサイヤーとなったCandy Stripes、クリテリウム・ド・サンクルー(仏Gl)を勝ったIntimistが出ている。

 これほどの血統背景を持つ馬だけに、社台ファームがバブルカンパニーに寄せる期待は、非常に大きなものだった。しかも、年齢を考えると、そう多くの子は取れそうになく、悠長に構えている時間もない。

 バブルカンパニーは、1991年、92年とたて続けにサンデーサイレンスと交配された。サンデーサイレンスは、89年に米国三冠のうち二冠とブリーダーズCを制し、80年代の米国競馬の最強馬とも称される名馬である。そんなサンデーサイレンスは、吉田善哉氏が率いる社台ファームによって日本へ輸入され、91年春から種牡馬として日本で供用を開始したばかりの期待の種牡馬だった。

 93年4月11日にサンデーサイレンスの2年目産駒として生まれたのが、バブルガムフェローである。生まれたばかりのバブルガムフェローは、「ちょっと華奢にみえるくらい線の綺麗な馬」だった。バブルカンパニーの輸入後の産駒たちのうち91年生まれの持込の牡馬は故障で競走馬になれず、生まれた直後から「凄い馬になるかも・・・」と期待されていた92年生まれのサンデーサイレンス産駒も、デビュー前に病気で急逝している。それだけに、牧場の人々がバブルガムフェローに寄せる期待は大きなものだった。

『溢れる才気』

 血統と馬体の線の細さゆえに、生まれた直後から期待を集めていたバブルガムフェローは、実際の動きを見てみると、予想以上に素早く軽い動きを見せた。当時は産駒がまだデビューしていないが、サンデーサイレンス産駒の一流馬は、共通して高い身体能力を備えている。他の馬とは次元の違う身体的能力を生まれながらに備えた彼に対し、牧場の人々が

「どんな馬になるんだろう」

と希望に満ちた夢を抱いたのは、むしろ当然のことだった。

 もっとも、生まれた直後に分かる資質である肉体面では「サンデーサイレンス産駒らしい」長所を備えていたバブルガムフェローだったが、成長するにつれて初めて分かる資質・・・気性面では、他のサンデーサイレンス産駒とはまったく違った長所を持っていた。

 サンデーサイレンス産駒は、初年度産駒がそうであったように、2年目産駒もやはり癇性が強く、牧場のスタッフが馬の扱いに苦労することも珍しくなかった。まして、バブルガムフェローの場合は、父のサンデーサイレンスだけでなく、母の父であるLyphardも気性の激しい血統として知られている。バブルガムフェローの血統だけを聞いたスタッフたちは、

「けがをさせられないように、気をつけないと」

と身構えた。

 ところが、バブルガムフェローは、血統からのイメージとは正反対に、人間の言うことをよく聞く素直な馬だった。狂気と表裏一体の闘争心を武器とするサンデーサイレンス産駒において、バブルガムフェローのような馬は珍しい。

「(同期の)ダンス(インザダーク)みたいにやんちゃな奴は、『この野郎』って覚えてるけど、『バブ』は手がかかった記憶がひとつもない」

 そんなバブルガムフェローの入厩先は、当歳のうちに関東のトップトレーナー・藤澤和雄厩舎に決まっている。その経緯について藤澤師は、

「当時からいい馬でしたね。照哉さん(社台ファームの社長)のお気に入りで、だいぶ期待していた子だったみたいですね。照哉さんから『いい馬だよ』と勧められて預かることになったんです」

と述懐している。バブルガムフェローは、社台ファームで93年に生まれたサラブレッドたちの中でも最高級の期待を受けていた。

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