1984年牝馬三冠勝ち馬列伝 ~セピア色の残照~
『一族の光芒』
桜花賞といえば、今でこそフェブラリーS(Gl)、高松宮記念(Gl)のGl昇格、時期の以降によって「1年で最初のGl」と呼ばれることはなくなったものの、長らく春のGl戦線の始まりを告げる風物詩として親しまれてきた。ダイアナソロンの一族にとっては、かつてクモワカが敗れ、そしてその娘ワカクモが母の無念を晴らした思い出のレースである。さらに、1984年はグレード制度が導入された最初の年であることから、この年の桜花賞は、「日本で最初のGlレース」ということになった。
だが、日本最初のGlレースは、本命不在の大混戦でもあった。当日になってもファンの人気は非常に割れており、1番人気が4歳牝馬特別5着のスイートソフィアで単勝400円、2番人気が同2着のファイアーダンサーで430円、そして3番人気がダイアナソロンで450円・・・となっていた。ここで挙げた人気上位3頭は、いずれもトライアルで敗れた馬で、その単勝オッズはいずれも400円台で並んでいる。そんな史上まれに見る激戦模様となった彼女たちの単勝オッズは、有力馬たちの力関係の判断に迷うファンの素直な気持ちを反映していた。
ところで、この日の阪神競馬場で桜花賞が発走となる30分前に、中山競馬場でももうひとつの大レースが発走となり、ダイアナソロンと同じ一族に属する名馬が戦場に臨もうとしていた。・・・82年に中山大障害春秋連覇を達成し、その後故障を乗り越えて中山大障害3勝目を目指す、障害王キングスポイントである。「流星の貴公子」テンポイントの全弟であり、ダイアナソロンから見ると母のいとこにあたるキングスポイントは、この日は単勝120円の圧倒的人気を背負っていた。兄とまったく同じ血を持つ全弟として生をうけ、吉田牧場での兄の葬式には、馬の身ながら母とともに「参列」を許された存在でありながら、デビューしてからは無様な競馬を繰り返し、いつしか「賢兄愚弟」の代表格とされるようになったキングスポイントだったが、障害に転じた後はそれまでの内容が嘘のように連戦連勝を繰り返し、ついには誰もが認める障害王へと登りつめていた。
そんなキングスポイントを待っていたのは、あまりにも悲しい宿命だった。水濠で飛越に失敗したキングスポイントは、後脚を骨折したのである。それは、日経新春杯(Gll)で66.5kgの酷量を背負い、粉雪舞う淀のだらだら坂でやはり脚を砕いた全兄と、全く同じ箇所だった。
それでもキングスポイントは、障害王の誇りにかけて3本脚で次の障害を飛越した。死を賭して・・・否、逃れられぬ死にとりつかれながらなおゴールを目指すその姿は、人々の涙を誘った。そして、彼もまた兄と同じ宿命に殉じたのである。決して悲劇から逃れ得ぬ「亡霊の一族」の哀しみを目の当たりにしたダイアナソロンの関係者たちは、同じ血を引くダイアナソロンに何を思ったことだろう。
『勝利を信じて』
そんな一族の悲運の一方で、ダイアナソロンの仕上がりはこの上ないほどに素晴らしい状態となっていた。田原騎手は、この日ダイアナソロンにまたがった瞬間に勝利を確信したという。その後に彼が考えたのは、「勝利騎手インタビューではどう答えようか」という問題だったという。
中村好師からは、先行馬をいつでもつかまえられる位置につけるように、という指示だけを受けていた。もっとも、桜花賞では「それだけのこと」が、とても難しい。現在は改修工事によって改善されたものの、当時の阪神競馬場の芝1600mコースは、スタート直後にカーブがあって、後方からいくと位置取りが難しく、また不利も受けやすかった。おまけに最後の直線も短いとなれば、これは先行馬が圧倒的に有利な構造といわざるを得ない。そうなると、当然そんな構造を見越した騎手たちによる先行争いが激しくなり、思いどおりの位置にもつけにくくなる。実戦経験が少なく、ペースを抑えるということを知らない若い牝馬たちが集まる桜花賞は、手綱さばきが非常に難しく、騎手の腕が勝敗を分けるレースと言われていたが、田原騎手には勝利への自信があった。
そして、桜花賞のゲートが開くと、その直後からアイノフェザー、テンマプリンセス、ザミヤビレディーの3頭が果敢に先行してペースを吊り上げた。彼女たちが形成するペースは、最初の200mこそ12秒7だったものの、その後は11秒1、11秒3と激しいものとなっていく。そうした激しい先行争いを見ながら、ダイアナソロンは中団につけた。これは中村好師の指示、そして田原騎手自身の感覚に照らして、最善の位置だった。
『鮮やかに抜け出して』
スタート直後から先手を取り、激しい先行争いを繰り広げた3頭は、案の定というべきか、第3コーナーで早々に脱落した。代わってスイートソフィア、パワーシーダー、ドミナスローズらが先頭に立つ流れを見ながら、ダイアナソロンも少しずつ、しかし確実に前方へと自身の位置取りを押し上げていった。
するとハイペースのレースにありがちだが、第4コーナーで前と後ろの差は一気に縮まった。スタート直後から息を入れずに全力疾走を続けてきた先行馬たちのスタミナが切れ、先頭争いからの脱落だけでなく、コーナーを回りきれずに外へ振り回されるという現象が起こる。・・・そこで一気に前に出たのが、まさにこの機を待っていたダイアナソロンと田原騎手だった。
田原騎手が仕掛けると、ダイアナソロンも鋭く反応した。鮮やかに馬群から抜け出してあっという間に先頭に立つと、そのまま後続を大きく突き放す。その様子はまさに「後ろが止まって見える」ものだった。・・・そして、その勢いはゴールの瞬間まで衰えることはなかった。他にはロングレザー、ロングキティーといった後方待機組が追い込んできたものの、ダイアナソロンを脅かすには至らない。
結局、上位3頭の単勝オッズが400円台で並んだという激戦となった桜花賞は、ダイアナソロンの5馬身差圧勝で幕を閉じた。史上稀にみる混戦のはずが、終わってみればダイアナソロンの独り舞台となったのである。
この日の田原騎手は、馬のリズムを狂わさないことだけを考えて乗ったという。レース後の彼は、
「ダイアナソロンが演奏者で、僕が指揮者。8ビートから16ビートへ。ゴール前はフルビートで走りました。リズムに狂いはありませんでした」
とたとえ話を交えてコメントしているが、これは馬にまたがった瞬間から勝利騎手インタビューを考えていた成果だったのだろうか。
それはさておき、悲劇の桜花賞2着馬クモワカのひ孫は、こうして一族と縁の深い桜花賞を制した。そんな彼女に次に期待されるのが樫の女王、すなわちオークスであることは、自明の理だった。