1984年牝馬三冠勝ち馬列伝 ~セピア色の残照~
『見えざる新星』
だが、人気薄のトウカイローマンは、中団よりやや前で競馬を進めたものの、ハイペースとなって先行馬たちがほぼ総崩れとなった先手争いには深入りすることなく自分のペースを守ることができた。その結果、最後の直線でも崩れることなく、むしろ自分の実力を出し切った彼女は、4着に食い込んだのである。勝ち馬のダイアナソロンからは約6馬身半離されていたとはいえ、この大舞台で5着以内に入ったことにより、彼女はオークスへの優先出走権まで確保した。・・・これは、トウカイローマン陣営の人々にとって予想もしない好成績だった。
トウカイローマンの予想外の4着を引き出したのは、この日が2度目の騎乗となる岡冨俊一騎手だった。デビュー当初は猿橋重利騎手が騎乗することが多かったトウカイローマンだったが、4歳になってからは岡冨騎手も騎乗するようになり、そしてこの日は猿橋騎手がパワーシーダーに騎乗するため、岡冨騎手に手綱が回っていた。その彼が好成績を残したことで、トウカイローマンの主戦騎手は決まった。
岡冨騎手は、1982年に騎手免許を取得したばかりの3年目となる期待の若手騎手である。岡冨騎手は82年のデビュー当時既に20歳を迎えていたが、平地で25勝と障害で5勝、合計30勝を挙げて、この年の新人賞に輝いた。83年にはキョウエイウォリアで阪神障害S・春を勝って重賞初制覇を飾り、さらにオークスでは、中村均厩舎のジョーキジルクムとともに参戦し、伝説の「5頭の横一線ゴール」の一角としてゴールし、4着となっている。
平地、障害の双方で実績を残す異端の実力派として売り出す岡冨騎手と、桜花賞で思わぬ成績を残してオークス行きを決めたトウカイローマン。そんな異色のコンビである彼らは、その後トライアルを使わずにオークスへと直行することになった。だが、そんなトウカイローマンに注目する人は依然として少数だった。血統的に、1600mから2400mへの距離延長は、トウカイローマンに有利に働くとは思えない。いくら桜花賞では健闘したとはいっても、4着ではしょせん馬券の対象外で、馬券にしか関心のない層にはほとんど顧みられることすらない。さらに、チューリップ賞8着の惨敗からすれば、桜花賞がフロックである可能性も捨てきれない・・・。多くの「良識ある」ファンは、トウカイローマンに対してそんな見方を抱いていた。
『彼女のための戦場』
そんなわけで、トウカイローマンのオークス当日の人気は単勝2050円と、25頭だての9番人気にすぎなかった。桜花賞での予想外の健闘によっても、トウカイローマンは、せいぜい穴馬としか見てもらえなかった。
ただ、この日の東京競馬場の芝コースは、主催者の発表でこそ馬場状態は良馬場とされていたものの、実際には関東地方の異常低温による芝の生育不良の影響で、時計がかかり、かなり力のいる状態となっていた。・・・脚部不安ゆえに良馬場よりも重馬場を好み、実際に実績も残した祖母、そして米国のダート競馬で活躍した父の血を受け継いだトウカイローマンにとって、これらは好材料だった。
オークス当日、東京競馬場に姿を現したトウカイローマンは、初めて訪れた馬場を一歩ずつ踏みしめていった。彼女にとって東京競馬場はもちろん関東への遠征自体、この日が初めてだったが、足元に広がる芝は、彼女の力を発揮できる状態だった。
その点、東京競馬場への初お目見えということは同じでも、ダイアナソロンは状況が違っていた。ダイアナソロンも重馬場のエルフィンSを勝ってはいるものの、その本質は、軽い馬場での鋭い切れ味にある。同じ馬場でも、持ち味が生きる馬と死ぬ馬がいるが、この日の東京芝コースでは、前者がトウカイローマン、後者がダイアナソロンで、それは確かにトウカイローマンのための戦場だった。
『静かなる出発』
最大限に力を発揮できる状況に恵まれたトウカイローマンは、人気薄の気楽さもあって、これといったトラブルもなくスタートを切った。
これと対照的な競馬となったのが、ダイアナソロンである。彼女はスタートでやや出遅れた上に、その後一度その位置取りを後方へと下げていった。いや、下げざるを得なかった。内枠3番で出遅れたダイアナソロンは、馬場の内側から馬群をつく競馬をせざるを得なかったが、その近辺の馬場状態は、田原騎手の予想以上に悪化していた。スムーズさを欠くダイアナソロンの走りに、田原騎手はスタミナへの危機感を感じずにはいられなかった。それゆえに、彼はダイアナソロンをいったん後方へ下げた上で、馬場のいい場所を求めて大きく外へ持ち出さなければならなかったのである。
レース自体はパワーシーダー、レイクビクトリアがハナを争う展開となったが、向こう正面に入るとペースは沈静化し始めた。ダイアナソロンはその間隙を衝き、それまでスムーズさを欠いた競馬を強いられた不利を取り戻そうとするかのように、早めに動き始めた。・・・ダイアナソロンの進出には、第4コーナーで早くも先頭に並びかけようかという勢いがあった。だが、その心の中には、自分の競馬を進められなかったことに対する焦燥も、確かに存在した。
・・・そのころトウカイローマンはというと、まだ動いていなかった。好位に位置をとりながら仕掛けを遅らせる彼女は、ダイアナソロンの中にある焦燥を的確に見抜き、桜花賞馬を差し切るための仕掛けの時期を探っていた。