マックスビューティ列伝~究極美伝説~
『究極美の敗北』
タレンティドガールの鬼脚は、並ぶ間もなくマックスビューティをとらえ、そしてかわした。瞬く間に前に出るタレンティドガールに対し、マックスビューティも追いすがる・・・いや、追いすがろうとするものの、彼女の脚はタレンティドガール、そして彼女を支える人々の願いについていくことができない。彼女たちの間の差は、たちまち開いていった。
タレンティドガールとマックスビューティの差が2馬身まで開いたところで、戦いは終わりを迎えた。マックスビューティ、エリザベス女王杯2着。・・・この年の彼女は、年明け以降8戦を無敗のまま走り抜き、桜花賞は8馬身差、オークスも2馬身半差で圧勝していた。秋の戦績も順調で、もはや絶対に見えたマックスビューティ・・・その彼女が、牝馬三冠最後の関門・エリザベス女王杯で敗れた。この敗北によって連勝は止まり、牝馬三冠の夢も途絶えた。メジロラモーヌに次ぐ2年連続の三冠牝馬誕生の夢も、幻に終わった。
淀のスタンドは、予想もしなかった結末に息を呑んだ。それにしても、「究極美」マックスビューティを破ったのが、「才媛」という意味の名前を持つタレンティドガールだったというのも皮肉な話である。ちなみに、このタレンティドガールという馬名は、オーナーブリーダーの千代田牧場が、豊かな才能を持ちながら大学生の時に夭折した娘のことをしのぶためにつけたものだという。
・・・究極美は、才媛の前に敗れ去った。マックスビューティが3着トップコートにつけた4馬身差・・・それも、夢破れた結果の前では、悲しいばかりだった。
『敗れの理由』
「マックスビューティに正攻法で挑んで勝ったんだから、何も言うことはない」(栗田博憲師)
「マックスが直線でもたついていた時には、これはひょっとするとかわせるかも、と思いましたけど・・・。本当によく走ってくれました」(蛯沢騎手)
タレンティドガール陣営がそうして喜びを分かち合っている一方で、戦いを終えた田原騎手は
「マックスビューティのレースはできた。それで負けたんだから、相手の方が上だったということ」
と話し、タレンティドガールの強さと成長力を称えた。・・・ただ、伊藤師の見解は、田原騎手とは異なっていた。
「春から予想以上に力をつけていた。今日はどんな競馬をしても、あの馬には勝てなかっただろう・・・」
とタレンティドガールのことを称えた伊藤師だったが、その一方で、
「(敗因は)能力のない馬に合わせた競馬をしてしまったこと。引っかかったときに、無理に折り合いをつけようとして、馬とけんかをしてしまった」
とも分析した。それは、田原騎手の騎乗の批判にほかならない。彼は、田原騎手について
「マックスビューティのスピードをもっと信じてほしかった。(結果は)負けでも、攻めのレースをしてほしかったね・・・」
と漏らしている。
田原騎手と、伊藤師。彼らはいずれもマックスビューティというサラブレッドの実績を語る上で欠かせない2人のホースマンだが、その彼らの間に、この日、このレースをきっかけにほころびが生じ始めたことは事実である。・・・後に、田原騎手はマックスビューティから降板し、それはマックスビューティ1頭の問題にとどまらず、伊藤厩舎の田原騎手への依頼自体が見られなくなっていった。1頭の名馬の存在は、いつの世も多くの人の心を惑わせる。伊藤師と田原騎手の間の間隙も、マックスビューティがあまりに非凡だったが故に生じたものというべきだろう。
『黄昏』
閑話休題。マックスビューティは、敗れた。エリザベス女王杯の敗退は、単に牝馬三冠を果たしえなかったことだけにとどまらず、マックスビューティというサラブレッドによる「究極美伝説」の終焉でもあった。
牝馬三冠を果たしえなかったマックスビューティだったが、伊藤師は有馬記念(Gl)への出走、そして翌年の現役続行を表明し、ファンを喜ばせた。
1年前に牝馬三冠を達成したメジロラモーヌは、その後挑戦した有馬記念で9着に敗れると、そのレースを最後に、競馬場を去っていった。ファンは華のある名牝の早すぎる引退を惜しみ、残念がっていた。その点で、競走生活を続けることを選んだマックスビューティの選択は、
「マックスビューティの走りをもっと見てみたい」
というファンの要求に応えるものだった。
ただ、ファンの声に応えることが、サラブレッドにとっての幸福につながるとは限らない。伊藤師の選択は、マックスビューティにとって苦難の道の始まりとなった。