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マックスビューティ列伝~究極美伝説~

『燃える秋』

 夏を越し、秋を迎えた競馬界、4歳牝馬三冠戦線の注目はただ一点、二冠牝馬マックスビューティの動向のみに集まった。「クリフジ以来」ともいわれる名牝が、自らへの評判と期待が正当なものであることを、果たして証明できるのかどうか・・・?

 当時のレース体系上、牝馬三冠の最終関門は、秋華賞ではなくエリザベス女王杯だった。桜花賞とオークスを制した二冠馬が進むべきレースも、エリザベス女王杯ということになる。

 しかし、実際には「オークス以降、エリザベス女王杯以前」にもうひとつ大きな関門があることを忘れてはならない。戦前から行なわれていて「八大競走」にも数えられる桜花賞、オークスと違い、エリザベス女王杯の前身となったビクトリアCが新設されて牝馬三冠が成立したのは、1970年のことである。それ以降に桜花賞、オークスを制した二冠牝馬は、1975年のテスコガビー、76年のテイタニヤ、86年のメジロラモーヌがおり、マックスビューティは4頭目にあたる。彼女たちのうち、メジロラモーヌはエリザベス女王杯を制して見事牝馬三冠を達成した。だが、残る2頭はどうだったかを考えると、興味深いポイントが浮かび上がってくる。

 テスコガビーは、オークスの後に脚部不安を発症し、秋にはターフに立つことさえかなわないまま牝馬三冠の夢を絶たれた。テイタニヤも、オークスの後強行軍で安田記念に出走して10着に敗退すると、その後はまったくふるわなくなり、エリザベス女王杯の叩き台に選んだ京王杯オータムハンデ、オールカマーとも、4着に敗れている。本番のエリザベス女王杯では、復活を期待されて1番人気に推された彼女だったが、その結果はディアマンテの4着という完敗だった。

 こうしてみると、牝馬三冠を目指す馬たちは、エリザベス女王杯を前に、夏をどのように越すかが大きな分水嶺となってくることが分かる。夏を無事に越して、秋に順調にターフへと姿を現すこと・・・これが難しい。テスコガビーも、テイタニヤも、それに失敗している。逆に、これを果たしたメジロラモーヌは、本番も実力どおりに乗り切って牝馬三冠の偉業を達成した。果たしてマックスビューティはどうなのか。その復帰戦が大きな注目を集めるのは、当然のことだった。

『男たちを蹴散らして』

 マックスビューティの秋の始動戦は、神戸新聞杯(Gll)に決まった。同時期に行なわれる4歳牝馬限定戦のサファイヤSとクイーンSは別定戦で、マックスビューティが出走した場合は60kg以上の斤量を背負うことになるためだった。また、後に菊花賞トライアルとして位置づけられる神戸新聞杯だが、当時は正式な菊花賞トライアルとなっておらず、1977年のアイノクレスピン、81年のアグネステスコのように、エリザベス女王杯を目指す有力牝馬がここを使って勝っている例もある。

 ただ、そうはいっても神戸新聞杯は、当時から事実上は菊花賞トライアルの役割、つまり菊花賞を目指す有力馬の受け皿としての役割を果たしていた。この日の出走馬を見ても、ゴールドシチーは前年の阪神3歳S(Gl)の覇者であり、皐月賞2着、日本ダービー4着の実績を持っている。また、ニホンピロマーチは日本ダービー3着馬、チョウカイデュールは同5着馬であり、ヒデリュウオーは春のクラシック未出走ながら、前走の中日杯4歳S(Glll)を勝って上がり馬としての注目を集めている。ダービー馬メリーナイスがセントライト記念(Gll)からの始動、皐月賞馬サクラスターオーは脚部不安からの復帰が遅れて本番への出否すら定かではないということを考えれば、8頭立てと頭数こそ寂しいものの、顔ぶれは下手なトライアルよりはるかに強力なものだった。

 しかし、そんな顔ぶれの牡馬に混じったマックスビューティは、単勝160円という断然の人気を集め、さらにレースでも、2番手から危なげのない競馬を進め、ヒデリュウオーに1馬身4分の1の着差をつけて先頭でゴールした。スローペースの逃げに持ち込みながらもあっさりと差されたヒデリュウオーの西浦勝一騎手は、

「会心のレースで負けたんですから、相手が一枚上手だった」

とあっさりと脱帽した。久々の実践で、18kg増の馬体重を見ても仕上がり途上であることは明らかだったが、それでも同世代の牡馬の一線級を完封してしまったこの日の結果は、「マックスビューティ健在」をファンに強く印象づけるものだった。

『次元の違い』

 神戸新聞杯を制して幸先のいい秋のスタートを切ったマックスビューティは、続いてローズS(Gll)に出走することになった。

 ローズSでは、春にマックスビューティと勝負づけがついた感の強い実績馬よりも未知の可能性を持った上がり馬が支持され、ドウカンジョーやトップコートを抑え、2番人気には春のクラシック未出走のハッピーサンライズが推された。・・・とはいっても、そのオッズはなんと1730円。単勝支持率約69%、オッズにして110円というマックスビューティへの支持は、神戸新聞杯で牡馬を蹴散らした彼女にとって、もう異常人気でもなんでもない。前走比6kg増、オークスの時と比べると実に24kg増となる馬体重も、「成長分」として受け止められた。

 そして、スタート直後は中団のやや前につけていたマックスビューティだったが、ペースがスローに流れると、抑え切れない闘志を表に出して、かかり気味の進出を開始した。第4コーナーを回るころには先頭をうかがう勢いのマックスビューティに、レースを見守っていた伊藤師は、脚が最後まで持つのかどうか、ハラハラしたという。

 なお、2番人気のハッピーサンライズには、この年春にデビューし、2週間前の京都大賞典(Gll)で重賞初勝利を挙げたばかりの武豊騎手が騎乗していた。武騎手にとって、武田作十郎厩舎に所属するハッピーサンライズは、自厩舎の馬となる。武騎手は、第4コーナーでもまだ中団あたりにいたが、直線ではマックスビューティとの差がみるみる縮まっていくものだから、

「もしかしていけるかも」

と思ったという。

 しかし、マックスビューティの鞍上にいる田原騎手の様子を見て、伊藤師は安心し、武騎手はがっかりしたという。周囲の騎手たちがいっせいに激しく鞭を振るう中で、マックスビューティの手綱を握った田原騎手の手は、まったく動いていなかったのである。

『王手』

 マックスビューティとハッピーサンライズとの間が半馬身差となったところで、レースは終わりを迎えた。田原騎手の手は最後までほとんど動かないまま、ただ最後に2、3回追っただけだった。伊藤師が

「もうちょっと離して勝ってくれてもいいのに、という気はしますけど、この方が疲れも残らないし、いい勝ち方だったと思う。あの手応えからいって、離すつもりになればいくらでも離せたんじゃないかな」

といえば、田原騎手も、

「あそこで出し抜けを食らわされたりしたら、3年は乗せてもらえなくなるからね。ちゃんと、オーロラビジョンで後続馬を確かめていたんだ」

と話している。そんな大胆な騎乗ができたのも、マックスビューティに対する信頼があるからにほかならない。少しでも手綱を動かせば、マックスビューティはたちまち末脚を爆発させ、ハッピーサンライズのはるか前方へと飛び去っていったに違いない・・・。そう思えばこそ、余裕を持った競馬を貫き通せたのである。

 ローズSの完勝を受け、伊藤師は

「あとは、いかに無事にエリザベス女王杯を迎えるか、やね」

と言い切った。マックスビューティは、この日の勝利でメジロラモーヌに次ぐ史上2頭目の牝馬三冠、そして各トライアルも含む牝馬三冠路線完全制覇に王手をかけた。こうして1987年牝馬三冠戦線、マックスビューティのトリプルティアラへの挑戦は、最終局面を迎えたのである。

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