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シンコウウインディ列伝~数奇なる初代ダート王~

『良血軍団の安馬』

 ローズコマンダーが酒井牧場に残した最後の子馬は、成長するにつれて均整の取れた馬体に育ち、やがて2歳の時には「ラブコマンダー」という名前で「北海道7月特別市場」に送られ、700万円のお台でセリにかけられた。

 この時「ラブコマンダー」に目をつけた人々の中に、「シンコウ」の冠名を持つ馬主の安田修氏、田中清隆調教師らの一行がいた。

 安田氏が所有していた競走馬と言えば、1993年のマイルCS優勝馬シンコウラブリイや97年の高松宮記念優勝馬シンコウキング、98年の同優勝馬シンコウフォレストなど、良血の外国産馬というイメージがある。しかし、それは新興馬主だった安田氏が国内の庭先取引で期待馬を手に入れようとしても、なかなか取引してもらえなかったことから、やむなくしがらみのない外国産馬に活を求めたところ、その中から成功馬が相次いだ…という話のようである。

 安田氏と「シンコウ軍団」にとってのこの時期は、ちょうどシンコウラブリイがターフを去り、「英国ダービー馬の弟」という触れ込みでデビューしたシンコウキングもなかなか結果を出せなかった時期である。安田氏と田中師は、それまで庭先取引を中心に探していた内国産馬についても、初めてセリに参加してみることにした。

 安田氏は、内国産馬の庭先取引では、一番いい馬は売ってもらえず、売ってもらえる馬は血統に振り回され、「高い買い物」をさせられてきたため、あまりいい思い出がなかったという。この日のセリを前にした安田氏と田中師は、そんな過去への反省から、

「血統は度外視して、馬体だけで決めましょう」

と話し合っていたという。そんな中で田中師が目をつけた「ラブコマンダー」は、一見した印象はひょろっとしていて力強さを感じさせないが、腱の感じがしっかりしていて、「筋肉がつく余地があるように思えた」という。こうした馬は鍛えがいのある素材で、しっかりと鍛えればそこそこ稼ぐのではないか…というのが、田中師の見立てだった。

 セリに入って田中師が手を挙げたところ、他にも手を挙げてくる相手が2人ほどいたものの、吊り上がる価格の幅は小刻みで、最終的には890万円で落札することに成功した。

 ちなみに、この日のセリで落札された2歳馬たちは46頭いて、最高値は父ダンシングブレーヴ、母マックスビューティの牡馬の1億100万円だった。「ラブコマンダー」の値段は、高い方から24番目だったという。安い価格で落札された馬は地方競馬に入厩することも多いため、シンコウウインディは、JRAに入厩する馬としてはかなり安価だった。

『遠いデビュー』

 こうして安田氏の持ち馬となり、「シンコウウインディ」と名づけられたこの馬は、自分を競り落とした田中師のもとで、競走馬としての第一歩を歩み始めることになった。

 しかし、シンコウウインディは、もともと気性が荒い上に、すぐに気を抜いて走るのをさぼる癖があった。田中師にとっても扱いの難しい馬で、落札価格の手ごろさに加え、血統的には妙味のない馬だったため、

「中堅クラスまで行ければいいか・・・」

というのが、偽らざる評価だった。田中師が想定していたのはあくまで「中堅クラス」、つまり条件戦を何勝かすれば御の字というレベルで、重賞級、ましてやそれ以上の活躍まで期待していたわけではなかった。

 同期の馬たちがデビューを控えた3歳夏、田中師がシンコウウインディに会いに行ってみた際、馬体自体は仕上がっていて、追い切りでの時計も出ていた。・・・しかし、それ以上に目立つところもない。田中師は、

「まだ馬が自分で走る気を出していない」

と判断し、シンコウウインディの入厩を先送りにして、育成にとどめおいたという。名馬にありがちな「調教師が手元から離さず成長を見守りたがる」というエピソードなど、そのかけらもない。

『示された可能性』

 シンコウウインディのデビューは、4歳1月までずれこんだ。しかし、東京ダート1200mの新馬戦に岡部幸雄騎手が騎乗してデビューしたシンコウウインディは、好位から抜け出す競馬で逃げ馬シンキイッテンをきっちりととらえ、4分の3馬身差でデビュー勝ちを飾った。デビュー前の評価からすると、新馬戦を勝ち上がったというのは予想を大きく超える成果である。競走馬として、まずは順調なスタートを切ったということができる。

 しかし、デビュー戦の後にソエが悪化したシンコウウインディは、

「クラシックを意識する馬でもなかったから」

というひどい理由で、しばらく休養することになった。その後しばらく芝のレースを使われたシンコウウインディだったが、後方から進出しても、ゴール板までの差し切りには届かない・・・という競馬を繰り返し、なかなか2勝目をあげることができない。馬群から一気に抜け出す瞬発力を持たない彼は、要するに「ジリ脚」だった。

 そんなシンコウウインディの進路を決定づけたのは、通算5戦めとなるあさがお賞(500万下)だった。中山ダート1800mコースで行われたこのレースは、シンコウウインディにとってはデビュー戦以来2度目となるダート戦であり、鞍上にもデビュー戦以来となる岡部騎手が戻ってきていた。

 すると、シンコウウインディは、ここであっさりと好位につけて勝負どころで抜け出すと、後続を3馬身半も突き放してゴール板の前を駆け抜けた。それまでの停滞が嘘のように見事な2勝目だった。

 この勝利によって、シンコウウインディが歩むべき道は、はっきりと示された。芝で3戦未勝利、ダートで2戦2勝というダート適性の高さを示したシンコウウインディは、その後はダート路線を中心に歩んでいくことになった。

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