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シンコウウインディ列伝~数奇なる初代ダート王~

『戦士たちの肖像』

 ユニコーンSでの繰上り優勝に続き、平安Sでの同着優勝という形で重賞2勝目を挙げたシンコウウインディは、続いて、この年初めてGlに格付けされたフェブラリーS(Gl)に出走することになった。

 フェブラリーSの前身であるフェブラリーハンデキャップ(Glll)は、1984年に新設されたダート重賞だったが、1994年にフェブラリーSと名前を改めると同時にGllに格上げされ、中央競馬のダート重賞としては最も高い格式を持つレースだった。そして、ダート戦線の整備に伴って97年の第14回フェブラリーSからはついにGlに格上げされ、ダート重賞の頂点に位置づけられることになっていた。「ダート三冠」の時点から、統一グレード制導入を前にした新体系の中でダート界の頂点を意識してきたシンコウウインディ陣営にとっては、至極自然な選択だったと言える。

 日本のダート競馬にとって、記念すべき分水嶺となる第14回フェブラリーS(Gl)は、本命不在の激しい戦国模様となっていた。当時の古馬ダート戦線で無敵の強さを誇っていたのは、前年の交流重賞を勝ちまくったホクトベガだった。しかし、彼女はフェブラリーSの11日前に行われる川崎記念(交流重賞)で交流重賞10連勝を達成し、それを最後に国内でのレースを切り上げ、世界のダート競馬の最高峰・ドバイワールドCに日本代表として出走すること。そして、ドバイワールドCが彼女の現役最後のレースとなることが発表されていた。ダート新時代の到来とともに訪れた混沌の幕開けともいえるフェブラリーSの時点で、「ポスト・ホクトベガ」を担うべき絶対的な存在は、まだ現れていなかった。

 フェブラリーSは、川崎記念との間で出走馬が分散したきらいはあるものの、バトルライン、イシノサンデーら前年のダート三冠を沸かせたメンバーだけでなく、平安Sでシンコウウインディと栄冠を分け合ったトーヨーシアトルら、ダート重賞の常連たちが名を連ねていた。また、イシノサンデー以外にも、芝の短距離Glの常連ビコーペガサス、重賞3勝馬のカネツクロスら芝の実績馬たちも参戦してきている。しかし、単勝300円の1番人気に支持されたのは、彼らのいずれでもなく、上がり馬として注目されていたストーンステッパーだった。

 ストーンステッパーは、当時根岸S(Glll)、ガーネットS(Glll)のダート重賞を含む4連勝中で、「上がり馬」としてフェブラリーSへと駒を進めてきていた。ここ2戦とも1200mというのが不安材料ではあったが、ダートで7戦6勝3着1回という戦績はけちのつけようがなく、1番人気に支持されたのである。

 これに対し、シンコウウインディは単勝1190円の6番人気にとどまった。直前追い切りで、またしても併走馬に噛みつきにいって時計が遅れた影響もあったが、前走で同着優勝だったトーヨーシアトルが単勝650円の3番人気だったことに比べると、あまりにも低い評価である。

 この日のフェブラリーSでは、鞍上に主戦の岡部騎手が復帰することになっていた。スーパーダートダービー以来となるコンビ復活にも関わらず上がらない評価は、シンコウウインディに対する評価を物語っていた。

『府中の馬場に雨は降り』

 フェブラリーS当日の朝、東京に大雨が降ったことから、東京競馬場の馬場は、コース上に水が浮く、最悪の不良馬場となっていた。馬によっては、慣れない足元に戸惑っても不思議はない。

 だが、シンコウウインディは、落ち着いていた。レースのスタートとともに、岡部騎手は、シンコウウインディを楽に好位へつけさせ、先行馬たちを見ながらレースを進めることに成功したのである。ストーンステッパーやバトルラインといった有力馬が先手をとる中で、彼らの動きを確かめながらの2番手集団につけたシンコウウインディは、大けやきのあたりから徐々に進出を開始し、前との差をじわじわと詰めていった。

 シンコウウインディが進出を図っていたころ、直線入口では、先に抜け出した馬たちの間で激しい叩き合いが演じられていた。バトルライン、アイオーユー、ストーンステッパーが、泥を跳ね上げながら栄光のゴールを目指す。その中でも最も脚色がよかったのは、ストーンステッパーである。

 もともと短距離馬といわれ、マイルは距離が長すぎるともいわれていたストーンステッパーだったが、鞍上の熊沢重文騎手は、神無月S(OP)で克服してマイルの距離を克服して優勝したとして、マイルへの距離適性にも自信を持っていた。その自信は、早めに自ら動いて先頭に立つという横綱競馬へ彼らを駆り立てていた。

 しかし、この時巧みに内をついて先行集団のすぐ後ろの位置に迫っていた岡部騎手は、ストーンステッパーの動きを見つつ、自分はまだ最終的な追い込み態勢に入っていなかった。いや、意図的にその態勢に入ることを遅らせた。東京の直線は、芝コースほどではないとはいえ、ダートコースでも十分長い。ジリ脚のシンコウウインディは、早く追えば必ず終いの脚が甘くなるだろう。

 関東に本拠地を置く騎手として、東京コースの特色を知り尽くしている岡部騎手は、距離不安があるストーンステッパーが相手なら、相手が動いてから追い始めても、ゴールまでには届くと読んでいた。ならば、むしろストーンステッパーには早めに動いてもらい、他の馬を潰してもらった方がありがたい。

『決着の刻』

 やがて、3頭の先行馬たちから、アイオーユーが完全に脱落した。内のバトルラインも脚が上がる中で、ストーンステッパーが逃げ込みを図っていた。後方の馬たちは、泥田のようにぬかるんだ馬場の前に、スタミナも、パワーも、そして気力も根こそぎ奪われ、後方一気の夢・・・どころではなかった。だが、アイオーユーが脱落していった内側のスペースを衝いて上がっていくシンコウウインディの脚には、他の馬にはない力強さがあった。

 そして、ストーンステッパーに内から並びかけたシンコウウインディは、はっきりと前に出る。ストーンステッパーも抵抗するが、いったん前に出たシンコウウインディは、再度の逆転を許さない。

 シンコウウインディは、ストーンステッパーにクビ差をつけたまま、栄光のゴールへと飛び込んだ。重賞3勝目ながら、初めて「まともな形で」勝ったのがGI、それもJRAの歴史に残るGlというのも、シンコウウインディの持つ「運」だったかもしれない。JRAで初めてGlに格付けされたフェブラリーSを制したことで、彼はJRAの初代ダート王になったのである。

 レース後の岡部騎手のコメントとして、

「またやるかとヒヤヒヤした」

というものが残っている。ストーンステッパーと馬体を併せた際に、岡部騎手はシンコウウインディの「癖」の再燃を心配していたのである。そんなシンコウウインディの叩き合いを懸命に応援していたという田中師は、表彰式の際、

「ところで2着は何?バトルラインじゃないの?」

などと言い出して、応援に熱中するあまり、2着馬すら把握できていない状況だったことを自ら露呈している。その翌年にはグルメフロンティアでフェブラリーS連覇を果たし、2001年にはレディパステルの優駿牝馬(Gl)でクラシック制覇も果たす田中師だが、彼にとってそれが初めてのGl制覇だった。

『絶対ならざる初代王者』

 こうしてフェブラリーSを制し、現代競馬における記念すべき初代ダート王の地位を手にしたシンコウウインディだったが、約3ヶ月の間隔を置いての復帰戦となったアンタレスS(Glll)でのシンコウウインディは、1番人気に支持されたものの、5着に敗れた。フェブラリーSの上位馬、人気馬とはあまり重ならない、層の薄い出走馬たちの中で、この日が重賞初勝利となったエムアイブランから約3馬身半の着差をつけられての敗北は、JRA初代ダート王としてはふがいない結果と言わざるを得ない結果だった。

 その後に出走した帝王賞(統一Gl)でも、2番人気に支持されたシンコウウインディだったが、いいところなく馬群に沈んで7着に沈んでいった。4月に発足した統一グレード制のもとで初めての「統一Gl」となるこのレースを制したのは、地元・大井のコンサートボーイだった。2着もやはり船橋所属のアブクマポーロであり、地方勢のワンツーフィニッシュとなった。「統一グレード制」前夜の「交流重賞時代」末期にJRA中央の強豪たちによって圧倒されていた地方勢がようやく見せた、ダートの「本場」としての意地だった。

 もっとも、コンサートボーイが勝ってシンコウウインディが敗れた帝王賞での結果は、地方競馬の復権というよりも、ダート競馬が戦国時代へと突入したことを示すものだった。ダート競馬が真の絶対王者のもとで統一されるのは、この日の2着馬アブクマポーロが完成するまでの、もうしばらくの時間が必要だった。

 ・・・そして、悲しいかな、JRAの初代ダート王となったシンコウウインディがダート界の絶対王者になることはなかったのである。

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