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シンコウウインディ列伝~数奇なる初代ダート王~

『ダート三冠戦線』

 シンコウウインディが目指した96年の「ダート三冠路線」は、JRAのユニコーンS、大井のスーパーダートダービー、盛岡のダービーグランプリから成り立つ世代別ダート王決定戦である。

 それまでの日本競馬では、JRAはJRA、地方競馬は主催者ごとのレース体系の中で、それぞれの王者を決めてきた。しかし、細分化された小さな単位ごとの「王者」で満足しているだけでは、レベルがそれ以上に上がることはない。芝を中心とする日本競馬の伝統的価値観の中で「二軍」扱いされていたダート競馬の地位を高めるためには、小さな競馬場単位での「王者」ではなく、彼ら同士の対戦によるさらなる切磋琢磨によって、「日本のダート王」という本当の意味での王者を生み出すことが、絶対に必要だった。

 90年代前半というと、JRAと地方競馬の間での交流重賞が拡大され、ライブリマウントやホクトベガの連勝によって、ようやく話題と注目が集まり始めていた。「世界最強馬決定戦」「世界最高賞金額」の大レースとして創設され、大きな話題を集めたドバイワールドCが、ダート2000mに設定されて96年に第1回が開催されることが決まるという追い風たこともあって、日本の競馬界においても、ダート競馬の再編の必要性を意識する風潮は強まった。

「世界のダート競馬、そしてドバイワールドCに通用するような本当に強いダート馬を送り出したい!」

という志の下、JRAと地方競馬の協議は進み、JRAや各地のダート重賞を「統一グレード」という新しい体系に組み込む「統一グレード制」の導入も間近と意識される中で(97年4月から発足)、旧4歳馬たちについては、新制度の理念を先取りする形で、96年に、JRA・中山(Glll)のユニコーンS、大井のスーパーダートダービー、盛岡のダービーグランプリからなる「ダート三冠路線」が発足した。JRAのダート路線、そして各地方競馬の世代別チャンピオンホースが、これら3つのレースを通じて直接対決することで、各地のダート馬たちの力関係を明らかにし、より質の高い競争を実現させる。それが、「ダート三冠」の理念であり、初年度のこの年に三冠馬が誕生した場合、1億円のボーナスが支給されることも発表された。

 芝では実績を残せなかったが、安定した戦績を残してきたダート戦線の新しいひのき舞台に参戦することで、「全国統一の世代別ダート王」への道、そして日本のダート競馬の新時代を切り拓く・・・。それが、シンコウウインディと岡部騎手に課せられた任務だったのである。

『理念と現実のはざまで』

 もっとも、JRAにおける「ダート三冠」の戦場として新設されたユニコーンS(Glll)だったが、記念すべき第1回の出走馬たちのレベルは、「理念通り」とはいかなかった。

 もともと「ダートは芝の二軍」という既成概念に風穴を開けるために創設されたのが、ダート三冠である。この段階で、芝の一線級がダートのレースに集まってくれるのであれば、そもそもダート三冠新設の必要性自体がない。

 JRA勢については、重賞優勝馬はもちろんのこと、勝ち負けした馬すら出走してこなかった。重賞出走歴がある馬すら、朝日杯3歳S(Gl)、弥生賞(Gll)とも12着のフィールドプリンス、4歳牝馬特別・西(Gll)11着のシルクフェニックス、京成杯(Glll)10着のマイネルスピリットの3頭だけで、1桁着順に入ったことのある馬すらいなかった。

 もっとも、JRA勢のダートへの認識はそうであっても、地方競馬の認識は違う・・・はずだった。「ダートは芝の二軍」とは言われていたが、古くはハイセイコー、そして80年代後半のオグリキャップに代表されるように、地方競馬出身でJRAでも輝いた名馬たちは少なからず存在した。より深刻だったのは、馬ではなく人である。

「地方競馬出身の馬はJRA移籍によって日本の頂点に立つことができるが、地方競馬のホースマンは、日本の頂点に立つチャンスすら得られない」

それが、当時の競馬界の残酷な現実である。ここでは、「地方はJRAの二軍」ですらない。二軍選手は努力によって実力をつけることで一軍に昇格することができるが、地方のホースマンにはその機会すら与えられていなかったからである。そんな格差に苦しめられ続けてきた地方競馬関係者にとって、JRA勢との直接対決はまさに悲願であり、だからこそ各地のトップホースたちが大挙して集まってくるはずだ。そんな見方は、決して珍しいものではなかった。

 ・・・しかし、実際に第1回ユニコーンSへと出走してきた地方馬は、東京ダービー馬セントリック(大井)、北関東ダービー馬レイカランマン(高崎)、南部駒賞馬テツノジョージ(水沢) の3頭だけにとどまった。このうち、春に各地のクラシックレースと位置づけられたレースを勝ったのはセントリックとレイカランマンだけであり、しかもセントリックは通算10戦2勝、つまり2勝目が東京ダービーという戦績で、レイカランマンもこれ以前に弥生賞(Gll)に挑んで11着と惨敗していたことから、期待されていた水準にはほど遠いと言わざるを得なかった。

「JRA勢にひと泡吹かせてやろう!」

という地方のホースマンたちの夢は、確かにあった。しかし、そんな夢は、それより少し前のライブリマウント、ホクトベガというJRA所属馬による交流重賞での圧倒的な連勝劇という現実で完膚なきまでに叩き潰されたばかりだった。彼らの誇りは完膚なきまでに蹂躙され尽くしてまだ回復してはいない。アブクマポーロ、メイセイオペラという二枚看板による地方勢の反攻は、もう少し先のお話である。

『立ちはだかるもの』

 閑話休題。JRA勢が圧倒的優勢という見方が有力とみられた14頭の出走馬たちの中で、ダートの戦績が3戦2勝2着1回という安定した実績を残すシンコウウインディは有力馬の1頭とされ、単勝810円の3番人気に推された。

 96年の「ダート三冠路線」でユニコーンS以後の「ダート三冠」となるスーパーダートダービーとダービーグランプリでは、所属ごとの「枠」、すなわち主催者に所属する馬の枠、その他の地域に属する地方枠がそれぞれ3分の1ずつ与えられており、JRA所属馬の出走枠は残りの3分の1程度だった。これは、JRAと地方の賞金体系が全く異なるうえ、JRA、地方の双方から出走を希望する馬が多数出た際に、単純な収得賞金で決めようとすると、賞金が安い地方馬たちはほとんど出走すらできなくなるおそれが強くなるためである。

 これは、JRA2勝馬のシンコウウインディが今後の「ダート三冠」戦線に挑戦し続けるためには、ユニコーンSで最低でも本賞金を加算できる2着以上に入らなければならないことを意味する。この日のJRA出走馬のうち3頭は、既に3勝を挙げている。その中でも、この日単勝支持率にして50%以上の圧倒的支持を集め、単勝150円の圧倒的1番人気に支持されたバトルラインは、半兄にケンタッキーダービー馬サンダーガルチを持ち、さらに1400m以上のダート戦では3戦3勝の戦績を残し、最大の壁とみられていた。

 さらに、現在芝で走っている別路線組がダートに路線転換してくる可能性を考えれば、ユニコーンSに挑むシンコウウインディは、ここでは何よりも結果が求められる立場にあった。

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