サクラスターオー列伝~消えた流れ星~
『運命の刻』
思わぬアクシデントによって幕を開けた有馬記念だったが、東騎手によれば、この日のサクラスターオーは、スタートこそ後方からの競馬になったものの、手応え自体は決して悪いものではなかったという。
サクラスターオーは、第2コーナーまでは後方のまま周囲の流れに身をゆだねた。ところが、向こう正面に入るころになって、彼はまるで勝負どころが近づいていることを知っているかのように、自ら進出を始めた。
この時東騎手は、迷っていた。彼はこの日の馬場状態を知っていた。ただでさえ例年よりも状態が悪い中山の芝コースは、開催を重ねて馬たちに踏み荒らされるうちに、さらにひどいものとなっていった。東騎手は、最初は第3コーナーあたりでサクラスターオーを馬場のいい外へと持ち出すつもりだった。
ところが、東騎手とサクラスターオーは、第3コーナー付近で外に持ち出すことができなかった。同じようにゴール、そして栄光を目指すライバルたちが築いた壁によって、その機会すら見出すことができなかった。
「このままでは、馬群の中に閉じ込められてしまう・・・」
そんな時、彼らの前・・・内側に、ぽっかりと馬1頭分の進路が空いた。馬群に閉じ込められるかもしれない状況にいた東騎手にとって、あまりにいいタイミングだった。
東騎手は、とっさに感じた。
「勝つには、ここしかない!ここを衝けば、勝てる!」
考えるのが先だったか、それとも反応するのが先だったか、それは分からない。確かなのはその直後にサクラスターオーがその空間に飛び込んだという事実であり、その後に訪れた歴史だけである。
『砕けた夢』
待望の空間に飛び込んだ東騎手の思惑は、
「ここでじっと我慢して、直線に向いたら勝負を賭ける。これで、菊花賞の時のように勝てる」
というものだった。
「さあ、どこから抜け出そうか・・・」
彼がサクラスターオーにハミをかけた、その瞬間だった。サクラスターオーが突如バランスを崩した。
この時サクラスターオーのすぐそばにいたメジロデュレンに騎乗していた村本善之騎手は、「バキッ」という音を聞いたことを覚えている。
「サクラスターオーがスパートをかけた、と思った瞬間、鈍い音が聞こえた・・・」
だが、メジロデュレンの騎手として勝利を目指す義務を背負った彼は、降り返る間もなくサクラスターオーの進むはずだった空間へと飛び込んでいった。
その一方で、東騎手は、起こってしまった事態の重さに慄いていた。
「やったか・・・」
誰よりも恐れ、誰よりも心配していた事態だった。そして、有馬記念を前に良くなっていた脚の状態の前に、忘れていた事態だった。彼の目の前は、真っ暗になった。
東騎手は、懸命に手綱を操ってサクラスターオーを止めようとした。サクラスターオーは、止まるのを嫌がった。・・・だが、彼の脚は、もう彼自身の言うことを聞いてくれなかった。7ヶ月前、皐月賞で先頭集団、そしてスターダムへと上がっていった中山の第4コーナー手前で、サクラスターオーは馬群から脱落していった。それが、サクラスターオーのあまりにも短い競走生活の幕切れだった。
東騎手は、ただちに下馬した。彼が見たサクラスターオーの左前脚は、球節より下がほぼ直角に折れ曲がっていた。あまりに残酷な光景を見た東騎手は、すべてを悟った。
「もう、来年はないな・・・そして俺にも・・・」
それまで「代打屋」として人々の注目とは無縁な位置にいた東騎手は、
「こいつと一緒なら、少しは華を見られる。夢を見ていける」
と、サクラスターオーとの出会いに夢を託し、この日の有馬記念についても、
「故障がなければ、楽勝していた」
と語っている。・・・だが、その夢は終わった。東騎手は、悔しさとやるせなさのあまり、自分自身のヘルメットを地面に叩きつけた。そんな彼らの横を、スタート直後に落馬したメリーナイスが、とことこと走り抜けていった・・・。
『慟哭の空』
レースの後、東騎手はうめいた。
「こんな有馬記念があったのか、こんな悪夢のドリームレースが・・・」
故障の原因について聞かれた東騎手は、
「穴ぼこに脚を突っ込んだようだ」
と答えている。
東騎手は、サクラスターオーが故障した場所が、当時の中山の芝コースの中で最も馬場状態が悪い場所であることを知っていたという。勝つためには、そこを通るしかない・・・そんな状況に追い込まれて一瞬その事実を忘れてしまった東騎手は、この有馬記念のことを思い出すたびに、
「どうしてあそこを通ったんだろう・・・」
という後悔の思いにとらわれるという。この日の有馬記念を制したのがサクラスターオーの故障によって空白となったポジションへ突っ込んだメジロデュレンだったことは、東騎手の騎手としての選択が誤っていなかったことを証明している。しかし、そのことを救いとするには、東騎手が失ったものはあまりにも大きかった。
レースを見守っていた平井師と全氏は、レース直後、これからのサクラスターオーを待っている運命を思って泣いた。中山のスタンドを埋めた観客たちも、突然目の前に広がった悲劇に言葉を失った。有馬記念・・・「ドリームレース」とも称される華やかな祭典で、最も多くのファンの期待を乗せた本命馬が迎えた、ゴールではない形の終焉。そして、彼らの誰もが、馬や人の様子から、その後訪れるであろう結末を予感していた。
『悲しいアイロニー』
サクラスターオーに対して下された診断は、ファンの不安と東騎手の絶望を裏付けるものだった。「左前脚繋靭帯不全断裂、第1指関節脱臼」・・・通常ならば、すぐに安楽死処分となる重傷だった。
だが、サクラスターオーのもとへと駆けつけた全氏は、
「なんとか生かしてやって下さい、費用はなんとでもします」
と獣医に頼み込んだ。サクラショウリとサクラスマイル・・・自分の所有馬の間から生まれた二冠馬に対し、並々ならぬ愛着を抱いていた。後に、サクラスターオーについて問われた全氏は、こう答えている。
「あの馬は、私にとって息子も同じ存在なんです」
サクラスターオーの馬主というより「サクラ軍団総帥」として知られていた全氏は、馬主としてのキャリアも長く、競馬界でよく知られた存在だった。脚を失った馬がどのような状況に陥るか、知らないはずはない。だが、ある日突然息子が不治の病に倒れたとして、すぐに気持ちを切り替えて安楽死を望む親が、どれほどいるだろう。たとえ無駄になるかもしれないと分かってはいても、ひょっとしたら起こるかもしれない奇跡にすがりたい・・・それが彼の思いだった。
サクラスターオーが中山競馬場から美浦トレセンへと戻ったのは、翌日のことだった。平井師は、厩務員とともに、サクラスターオーの馬房に泊り込み、寝ずの看病をしたという。平井師は、皐月賞、菊花賞の時は、脚に不安のあったサクラスターオーにもしものことがあった場合のために、あらかじめ馬運車を手配していたが、脚の状態が良かった有馬記念当日は馬運車を手配していなかったため、帰りが翌日になったのである。それは、あまりにも悲しいアイロニーだった。