サクラスターオー列伝~消えた流れ星~
『微かな希望』
悪夢の有馬記念の後、年が明けて1988年になった。サクラスターオーのために結成された獣医団の懸命の治療の結果、サクラスターオーの容態はひとまず安定し、熱も下がった。
サクラスターオーの見舞いに行った東騎手は、
「何度も奇跡を起こしてきたスターオーだから、また奇跡を起こしてくれる。スターオーにはもう乗れないけれど、子供には乗れるかもしれない・・・」
と思ったという。
東騎手は、もともと競馬と関係のある家庭に生まれたわけではない。子供の頃に様々な動物を飼い、ある時は家族に内緒でヘビを飼っていたのを見つかって、捨てられてしまったというほどの無類の動物好きが高じて騎手になった男である。
彼が騎手への道に目覚めたのは、中学校の林間学校でのことだった。自由行動の時間に、500円で係員に引いてもらって乗ることができる観光用の馬を見つけた東少年は、何度も繰り返し乗っているうちに、たちまち手持ちの2000円を使い果たしてしまった。少年がもうお金がないことを知った係員は
「あそこの小川に連れて行って、水を飲ませてやってくれ」
と言ってくれた。少年を背中に乗せた馬は、とことこと小川へ歩いてくれた・・・。それが、騎手・東信二の原風景である。動物が好きで好きでたまらず、ついには騎手にまでなってしまった男だけに、サクラスターオーに寄せる想いも深かった。
マスコミを通じて伝えられるサクラスターオーの病状も、
「峠は越した・・・」
「種牡馬としては、再起できるかもしれない」
というもので、ファンの間にほのかな安堵が広がった。
『主役のいない表彰式』
しかし、平井厩舎の人々は、知っていた。彼らの本当の戦いは、これから始まるということを・・・。
「新聞に書かれたことは・・・おそらく、そうなってほしいという願いを込めて書かれたんだと思う。でも、あの故障は致命的なものだった・・・」
サクラスターオー陣営の人々は、サクラスターオーがどのような状況に置かれているかを知っていた。サクラスターオーの脚は、腱が伸びきったままだった。たびたび折れそうになる平井厩舎の人々の心を支えたのは、全国のファンから寄せられた激励の電話や手紙、千羽鶴、お守りなど、そしてそれらに託されたファンの願いと想いだった。
1月19日、JRAから発表された1987年の年度代表馬は、サクラスターオーだった。有力視されていたのは天皇賞・秋(Gl)、マイルCS(Gl)を制し、安田記念(Gl)、宝塚記念(Gl)で2着に入ったニッポーテイオーであり、他に二冠牝馬マックスビューティも候補に挙がっていたが、クラシック二冠、特に7ヶ月ぶりのレースで菊花賞を制したサクラスターオーの印象度が、最強古馬と希代の名牝を上回ったのである。
「スターオーも、本望でしょう。華やかな舞台に立って、華麗に散ったのだから・・・」
平井師は、涙を押さえながら語った。
「スターオーは、生きるために必死に戦っています。温かく見守ってあげてください」
平井厩舎では、サクラスターオーを救うために様々な努力がなされていた。獣医たちはサクラスターオーの脚に副木をつけ、その角度をいろいろと変えながら、少しでも脚への負担が軽くなるように、そして少しでも脚の状態が良くなるように工夫した。・・・それは、サクラスターオーが生きるための戦いだった。
『星霜』
しかし、年度代表馬に選出される前後の時期から、サクラスターオーの病状は再び悪化し始めた。故障した箇所である左前脚だけでなく、反対側の右前脚も熱を持ち始めたのである。
獣医による診断は、絶望的なものだった。サクラスターオーは、この時既に蹄葉炎まで併発しかけていた。故障した箇所をかばううちに、脚がその負担に耐えられなくなって、やがて問題のなかった箇所まで傷めてしまう。それは、サラブレッドの死への階段である。しかも、蹄葉炎とは蹄に血液が回らなくなり、そのまま腐敗し始めるという死病である。蹄葉炎まで併発すれば、サクラスターオーの運命は完全に決まる。
平井師たちは、サクラスターオーの蹄葉炎発症を防ぐために、あらゆる工夫をした。彼らは相談の結果、サクラスターオーの体重を落とすことにした。サクラスターオーの馬体重は、牡馬としてはやや小柄な450kg前後だったが、それでも3本の脚で支えるには重すぎる。だが、運動もできないサクラスターオーが馬体重を減らすためには、食事を減らさなければならない。見事なバランスを誇ったサクラスターオーの馬体は、やがてやせ衰えていった。
その頃から、サクラスターオーはあまり眠らなくなった。東騎手の夫人・葉子氏によると、そんなサクラスターオーの眼は不思議なまでに透きとおり、いつもじっと遠くを見つめているかのようだったという。彼の眼だけ見れば、死の淵をさまよっている馬とは信じられないほどの穏やかさ、優しさを漂わせていた。しかし、病魔は確実に彼の脚を、そして生命を蝕んでいた。最期のときは、刻一刻と近づいていたのである。