サクラスターオー列伝~消えた流れ星~
『己を知る』
第47回皐月賞・・・同じ1984年に日本で生まれたサラブレッドたちの頂点を決めるクラシック三冠の第一関門となるレースでのサクラスターオーのスタートは、むしろ緩やかなものだった。激戦を勝ち抜いてゲートにたどり着いた20頭が一斉に飛び出す中で、サクラスターオーはむしろ後ろから数えたほうが早い位置にいた。
東騎手によれば、サクラスターオーは、第2コーナーで一瞬かかりかけたという。だが、それも一瞬のことで落ち着きを取り戻すと、その後はスムーズに競馬を進めることができた。
1番人気のマティリアルも、サクラスターオーとそう離れていない位置にいた。単勝オッズが物語るとおり、ファンの期待を集めていたのは、むしろこちらの方である。スプリングSで見せた豪脚を、もう一度見せてくれ・・・。
ただ、マティリアルはもともとスタートが下手な馬なのに、この日はよりにもよって1番枠からのスタートだった。スプリングSの時も、伝説の末脚を演出する立役者となったのは、不本意な出遅れだった。しかし、少頭数だったスプリングSとは違う20頭だてという多頭数の中では、出遅れは致命傷となる。
マティリアルの調子自体は悪いとまでは言えないまでも、最高潮だったスプリングSを境に、下降線へと入りつつあった。スプリングSでのマティリアルには、少なくともはじけるような力強さ・・・一歩間違えれば騎手にも馬自身にもコントロールし切れなくなる激しさがあったし、最初の出遅れと最後の瞬発力も、その激しさの裏返しだった。ところが、この日のマティリアルからは、脆さと紙一重ともなる彼の最大の特徴が、感じられなかったという。マティリアルがマティリアルの競馬をせずに、なぜマティリアルの名を輝かしめることができようか・・・。マティリアルがシンボリルドルフではない以上、今さらシンボリルドルフの競馬をすることなど、できるはずもないのである。
最大のライバルのひそかな変調を尻目に、東騎手は、サクラスターオーを第3コーナーで外へと持ち出した。すると、サクラスターオーもそれに応えて次第に押し上げていく。もはや、マティリアルも敵ではない。サクラスターオーが輝くために何より必要なものは、他の馬を気にせぬサクラスターオー自身の競馬であることを、彼らは知っていた。
『そして、風が吹いた』
レースが大詰めを迎える第4コーナー付近では、サクラスターオーはまだ中団付近にいた。しかし、東騎手の手綱は軽い。
「第4コーナー手前で行こうかな、と思ったらスッといったんで、これじゃあ行き過ぎちゃうって感じで我慢しました」
「あとは、ばてて下がってくる馬をどうやってよけるかに一番気をつけました」
彼が心を砕いたのは、むしろサクラスターオーの末脚を最後まで温存することと、力尽きた先行馬に邪魔をされないよう走ることだった。
そして、その後しばしの時を経て、かたまりとなった馬群から風が吹いた。あまりにも軽やかで、あまりにも力強い一陣の風。抜けてきたのは、サクラスターオーと東騎手だった。
サクラスターオーと後続の馬たちの差は、みるみる開いていった。馬券を買った人の数はマティリアルの方がはるかに多かったはずだが、彼らが馬群の中にマティリアルの姿を探すまでもなく、サクラスターオーの勝利は明らかとなった。
サクラスターオーは、8万人の大観衆が見守る中で、先頭のままゴールを駆け抜けた。勝ちタイムは史上4番目に速い2分1秒9、2着のゴールドシチーにつけた差は、2馬身半。他の馬たちにつけ入る隙を与えない完勝だった。ダービー馬サクラショウリの子は、父が果たしえなかった皐月賞制覇を果たしたのである。
『いくつもの想いの中で』
戦いを終えて戻ってきた東騎手は、
「これほどに力強い馬に乗ったのは、初めてだ・・・」
と漏らした。かつてアンバーシャダイに騎乗して有馬記念を勝った経験もある東騎手だが、サクラスターオーはこの時点で既にそれを超える手応えがあったということであろうか。レース後の表彰式で、東騎手は高々と人差し指を天に掲げた。それは、3年前の84年に三冠を達成したシンボリルドルフで、鞍上の岡部幸雄騎手が演じたパフォーマンスにならう三冠宣言にほかならなかった。
平井師は、開業2年目でクラシック制覇という快挙を達成したことになるが、
「ほっとしましたね。なにせ、これまでこんなに取材を受けた経験のない人間なので・・・」
と笑った。しかし、平井師の勝利はこの言葉によって語り尽くせるものではない。平井師、サクラスターオーとも深い因縁を持つ境師は、
「うちの厩舎にいたら、皐月賞を勝てたかどうか・・・」
と話している。境師は、当初は境厩舎に入厩予定だったにも関わらず、平井厩舎の開業のご祝儀として平井師に譲られたサクラスターオーについて、素質の高さを認めてはいたが、それと同時に脚部の外向による仕上げの難しさも感じていた。それだけに、境師は皐月賞という大舞台に合わせて完全に仕上げてきた平井師の努力と苦労を思い、素直に頭を下げた。
サクラスターオーの勝利を見届けた人々の中には、生産者である藤原牧場の人々も含まれる。だが、早く母を亡くした彼のために、誰よりも彼のことを優しく思い、誰よりも彼のために多くの手をかけ、そしておそらくは誰よりも強くその未来に期待をかけていた藤原氏は、もういない。
「主人が生きていたら、どんなに喜んだでしょう」
藤原氏の未亡人の思いは、藤原牧場のすべての思いだったことだろう。彼らは、サクラスターオーの晴れ舞台を見ることなく逝った藤原氏のことを思い返しては、涙した。
多くの人々の思いを背負ったサクラスターオーは、皐月賞馬として日本ダービー(Gl)へ駒を進めることになった。平井師は、レース後しばらく様子を見ても異常がなかったことから、皐月賞の1週間後、すべてのホースマンの憧れである日本ダービーへの参戦を、正式に決定した。
「ダービーまでに、この馬をさらに鍛え上げます・・・」
サクラスターオーを取り巻くすべての人々の心は、日本最高のレースに挑戦するという興奮に燃えていた。