TOP >  年代別一覧 > 1990年代 > ダイイチルビー列伝~女は華、男は嵐~

ダイイチルビー列伝~女は華、男は嵐~

『見えない敵』

 マイルCSでの完敗により、「短距離界最強馬」の地位をつかみ損ねたダイイチルビーは、その後スプリンターズS(Gl)へと進むことになった。ダイイチルビーはこの年の春秋のマイルGlではそれぞれダイタクヘリオスと1着、2着を分け合った形となったが、Gll、Glllでの戦績を見ると、ダイイチルビーがGll1勝、Glll1勝であるのに対し、ダイタクヘリオスはGll2勝となり、ダイタクヘリオスにわずかながら先行を許している。また、同じGl勝ちとはいっても、安田記念よりもマイルCSの方が着差も大きく、さらに秋に行われた分印象度も強い。負けたレースの内容ではダイイチルビーのほうが安定しているものの、この時点での最優秀短距離馬争いでは、ダイタクヘリオスに先行を許してしまった、といっていい。

 幸いというべきか、ダイタクヘリオスの次走は、スプリンターズSではなく、有馬記念(Gl)に進むとされていた。短距離界についていえば、最大のライバルが今年これ以上の栄冠を上積みすることはない。現状では半歩か4分の1歩後れを取っていることは確かでも、スプリンターズSを勝ちさえすれば、最優秀短距離馬の栄冠は、文句なしにダイイチルビーの上に輝くだろう。

 ・・・もっとも、それまで中長距離戦線からマイル戦線、と戦場を移動させてきたダイイチルビーの場合、「電撃戦」とも呼ばれる1200mは、それまで一度も走った経験がなかった。1200m戦は極限のスピードを競うレースとして特殊な分野とされており、距離初挑戦がGlというのは、とてつもなく大きなハンデとなる。だが、ダイイチルビーにとってそのレースは、それまで何度も死闘を繰り広げてきた宿敵に先んじるために、決して欠かせないものだった。

 ダイイチルビーは、スプリンターズSに登録した。発走枠が決まる前の新聞等の出馬表は、出走見込みの馬名の50音順で並べられ、登録のない馬や回避予定の馬は掲載されない。ダイイチルビーとダイタクヘリオスの場合、同じ「ダイ」で始まる関係でいつも隣同士の馬柱に並べられていた。京王杯SC以降5戦続けて隣同士の馬柱に並べられ、同じレースを走った宿命のライバルといえるダイタクヘリオスの名前が、今度は彼女の隣に並んでいない。・・・それでも、ダイイチルビーが戦うべき相手は、最優秀短距離馬の地位を賭けて激しく争うダイタクヘリオスの幻影だった。

『ひそかな自信』

 この年のマイルGlで連対率100%を誇るダイイチルビーだったが、スプリンターズSでの単勝は、300円の2番人気にとどまった。単勝220円で1番人気に支持されたのは、マイルCSの3着馬であり、それまで1400m以下のレースで次々とレコードタイムを連発してきたスプリント戦のスペシャリスト・ケイエスミラクルだった。

 しかし、ダイイチルビーは人気とは裏腹に、絶好の状態となっていた。このレースの後、しばらくダイイチルビーが出走すべき大きなレースはない。伊藤師は、後のことを気にせずダイイチルビーを目一杯仕上げることができたし、またダイイチルビーもそれに応えた。マイルCSから6kg絞った馬体は、極限の仕上がりの証だった。

 ダイイチルビーとともに戦いに臨む河内騎手も、ダイイチルビーの仕上がりには確かな自信を持っていた。河内騎手は、レース前に中山競馬場の芝の状態を十分に確認した。「良馬場」という漢字3文字では表現しきれない絶好の馬場状態は、ダイイチルビーの瞬発力を最大限に発揮しうるものだった。

「これなら、後方からのレースで実力を発揮しきれる・・・」

 河内騎手は、そう確信していた。ただひとつの課題・・・出遅れさえないままスタートを切ることができれば。1200mの短期決戦となるスプリント戦では、わずかな出遅れも致命傷となる。

 だが、この日のダイイチルビーは、出遅れもなく無難なスタートを切った。極限の仕上がりは彼女の全身を研ぎ澄まされた刃と変え、その刃はゲートが開く一瞬の空気の変化にただちに反応したのである。

『分水嶺』

 さて、課題のスタートを無事にクリアしたダイイチルビーだったが、河内騎手は先行集団にとりつくことなく後方へと下げていった。そして、この判断は後から考えると、実に的確なものだった。トモエリージェントが作り出したこの日のペースは、狂気のハイペースだったためである。

 この日の前半3ハロンの通過ラップは、実に32秒2を刻んでいた。これをハイペースといわずして何をハイペースというのか、というとてつもないペースである。河内騎手は、常識外れのハイペースが逃げ馬だけでなく逃げ馬を追いかける先行馬たちをも巻き込んでいくのを見ながら、悠然と自分の競馬を進めることができた。逃げ馬がハイペースを刻むレースといえば、ダイタクヘリオスとの戦いで幾度となく経験していた。経験に裏打ちされた競馬は、間違いなく彼女の心を、そして競馬をより強く確かなものとしていた。

 ・・・だが、人気馬の中には、そうもいかない馬もいた。1番人気に支持された年若き快速のスプリンター・ケイエスミラクルも、その1頭だった。

 マイルCSではダイイチルビーのマークに徹したケイエスミラクルだったが、この時の彼は、ダイイチルビーよりも前にいた。これは、むしろ彼本来の競馬に近いものだった。ただ、祭り上げられた1番人気の地位は、彼の競馬から自在性を奪っていた。マイルCSとは逆にマークされる側となった彼は、ハイペースの中でもある程度のところで上がっていく競馬をしなければならなくなった。彼の鞍上は老獪な岡部幸雄騎手だったが、ケイエスミラクルにはこの日が初騎乗で、まだこの馬を手の内に入れていない。ハイペースのレースに対応した経験に支えられる動きの違い・・・それが、ダイイチルビーとケイエスミラクルとの明暗を分ける分水嶺だった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
TOPへ