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ダイイチルビー列伝~女は華、男は嵐~

『解き放たれて』

 洛陽Sで勝利こそ逃したものの、末脚を生かす作戦に目覚めたダイイチルビーは、続いて京都牝馬S(Glll)に出走した。一族の宿命とされる「先行」という名の呪縛から解放されたダイイチルビーの進撃は、この日いよいよ始まりを告げた。

 この日は後方ではなく中団で競馬を進めたダイイチルビーだったが、「瞬発力を生かす」という発想の転換を果たした上で進めた競馬は、それまでとはまったく意味合いが違っていた。河内騎手の手綱に導かれたダイイチルビーは道中でじっくりと折り合い、伝家の宝刀の切れ味を見せる瞬間を、虎視眈々と狙う。

 ・・・そして、直線で内を衝いたダイイチルビーは、じっくりと、しかし余裕を持った仕掛けで抜け出した。上がり3ハロン34秒3の鬼脚を見せ、ユーセイフェアリーを半馬身抑えた彼女は、見事に重賞初制覇を飾った。彼女が記念すべき勝利を挙げたこのレースは、かつて母も制したレースであり、母子二代制覇の快挙も達成された。・・・4歳時には母が制したレースに振られ続けた形の彼女に、ようやく風が吹き始めた。

「ようやくたくましさを身につけつつあります・・・」

 そうコメントする伊藤師も、確かな手ごたえをつかみつつあった。この時彼の視線には、もう安田記念(Gl)がはっきりと見えていたのである。

『紅玉、紅に輝く』

 その後、中山牝馬S(Glll)に出走して3着となったダイイチルビーは、続いて京王杯SC(Gll)へと進むことになった。京都牝馬特別では見事な末脚を見せたダイイチルビーだったが、まだその切れ味を安定して見せられる完成にまでは至っていなかった。だが、京王杯SCは、安田記念のステップレースの中でも最も重要な位置に置かれたレースとされている。前年のマイルGlは、安田記念はオグリキャップ、マイルCS(Gl)はパッシングショットの勝利に終わっていたが、その2頭は既に現役を退いている。歴史的名馬と、短距離界を長く沸かせた女傑なき後のマイル戦線は、傑出馬不在の混戦模様になるかと思われた。そんな中で、この日人気を集めたのは、前年のスプリンターズS(Gl)を勝った最優秀短距離馬バンブーメモリー、復活を目指す元3歳王者のサクラホクトオーであり、ダイイチルビーは彼らに続く3番人気だった。

 さて、この日のレースはインターシオカゼがスタート直後から飛び出したものの、ユキノサンライズ、シンボリガルーダといったスピード自慢も負けじとついていき、ハイペース模様となっていた。ハイペースとなれば普通は先行馬たちはかかりにくいはずだが、先行馬たちのすぐ後ろには、天を仰いで口を割っている馬もいる。気がつくと、1000mの通過タイムは57秒8という先行馬たちにはつらい流れとなった。

 もっとも、こうした流れは切れ味勝負に賭けるダイイチルビーには望むところである。ダイイチルビー自身はこの日は中団よりやや前で競馬を進めていたが、河内騎手はシンボリガルーダを目標にしつつ、抜け出そうと思えばいつでも抜け出せる態勢を作って直線へと流れ込んでいった。・・・そこからは、ダイイチルビーの時間である。残り200m地点で先頭に立ったダイイチルビーは、そのまま後続の追撃を抑えてレースを押し切った。2着ユキノサンライズにつけた1馬身4分の3差は、完全なセーフティ・リードだった。

 この勝利によって人々は、紅玉の名を持つ名家出身の牝馬が、その名のとおり気高く美しい輝きを持っていたことを確信するようになった。ダイイチルビーの本格化は、この時初めて、誰からもはっきりと認知されたのである。

 ところで、ダイイチルビーが華麗に駆け抜けていった直線で、前半にめちゃくちゃなレースをした挙句、彼女の横で沈んでいった1頭の牡馬の姿があった。壮絶なハイペースなのに、なぜか天に向かって口を割るほどにかかり、鞍上をいいように引きずり回した青いメンコの馬は、最終的にはダイイチルビーから4馬身ほど遅れた6着に敗れたものの、競馬の内容を見れば

「よくぞ6着に残った」

という方がピンとくる。そんな彼こそ、後にダイイチルビーの宿命のライバル・・・というより、「恋人」などとも噂されるようになる「へそ曲がりのマイル王」ダイタクヘリオスだった。

『ダイタクヘリオス』

 ダイタクヘリオスは、「皇帝のライバル」ビゼンニシキを父、カブラヤオーの一族であるネヴァーイチバンを母に持ち、そのしぶとく粘り強い先行力を評価されてきた。血統こそ人の目を惹くものではなかったものの、雑草のようにたくましく力強い走りで実績を残し、その実力のみによって名を売ってきた個性派である。「名を売る」といえば無名馬のような印象を受けるが、彼の場合は前年にクリスタルC、この年はマイラーズCを勝っていて、レース前の時点では、Glll1勝馬のダイイチルビーよりも実は格上である。

 「牝馬の岸」・・・「牝馬の河内」よりはるかに新しい二つ名を持つ若手のホープ・岸滋彦騎手を主戦騎手とするダイタクヘリオスは、そんな岸騎手の手綱をもってしても・・・というより岸騎手のときに限ってレース中にかかってしまうという問題児だった。

 生まれながらに日本競馬の王道ともいうべき血統から生まれたダイイチルビーにとって、ダイタクヘリオスはあらゆる意味で対照的な存在だった。脚質は、逃げに近い先行。所属厩舎は、関西でもせいぜい中堅どころとされる梅田康雄厩舎。そして何より、時代の主流を離れ、自ら実績を残すことによってしか注目を得ることができないその血統。

 この時点では、ダイタクヘリオスは、ダイイチルビーのライバルですらなかった。というより、そもそも「この2頭を比べよう!」などということを考える人間自体がどこにもいなかった。当時の彼女と彼は、それほどにかけ離れた存在だった。

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