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ダイイチルビー列伝~女は華、男は嵐~

『女優は華やかなる舞台へ』

 前哨戦を勝って安田記念本番へと駒を進めたダイイチルビーは、単勝570円の支持を集め、短距離Glを2勝して実績面では随一の単勝180円のバンブーメモリーに続く2番人気に支持された。1番人気との差は歴然としているが、Gl初挑戦の身で2番人気に支持されたという事実は、彼女の血に寄せられた期待が並々ならぬものだったという事実を物語っている。

 ダイイチルビー・・・「華麗なる一族」の正統な後継者という宿命を背負った彼女は、4歳時の様々な挫折と苦悩の末、ついにGlの舞台に戻ってきた。その出世が遅かったゆえに、母がその名を輝かせた牝馬三冠ではオークスだけにしか出走できず、その後は牡馬たちに混じって戦わなければならなかった。それは、並みの牝馬にとっては過酷な戦いといえる。しかし、ダイイチルビーにとって、それだけは誇り高き血にかけてしてはならない言い訳である。祖母も、そして母も、古馬の壁、牡馬の壁を越えてきた。ならば彼女も、それに続かなければならないのは当然のこと。

 ダイイチルビーは、一族の宿命とも思われた逃げ、先行の脚質を差しに転換することで、その道を切り拓いた。だが、脚質は手段に過ぎないが、勝つことはサラブレッドの目的そのものである。世の中には、変えていいものと変えてはならないものがある。ダイイチルビーにとっての「変えてはならないもの」・・・それが一族の積み重ねてきたレースでの実績だった。

 ところが、そんな大切なレースで、ダイイチルビーは最初に失敗を犯してしまう。彼女は、内枠4番からの発走だったにもかかわらず、スタートで出遅れてしまったのである。

『不安に負けずに』

 一般に、内枠の馬が出遅れた場合、先手をとった馬たちがまず内へと進路をとってくるため、馬群の中へと閉じ込められがちである。東京の芝1600mコースはスタート地点からコーナーまでの距離が十分にあるが、それでも経験の浅い騎手だと、己を見失ってちぐはぐな騎乗をしてしまうことも少なくない。

 だが、百戦錬磨の河内騎手は、最初の失敗にあっても決してあわてなかった。騎手は、ひとつのレースの中で常に変化する情勢に対応し、いくつもの決断をしなければならず、そうした駆け引きの積み重ねがレース結果となって現れる。・・・逆にいうなら、たったひとつのミスが、それだけでレースを決めるということは、第三者が思うほどに多くはないことを、彼はよく知っていた。

 そして、この日の展開は、そんな河内騎手の冷静さを後押しするものだった。スピード自慢のシンボリガルーダが先頭でレースを引っ張り、ユキノサンライズ、ナルシスノワールといった本来なら逃げても不思議はないメンバーが追走することで、レースは激しいハイペースになっていったのである。前半800mが45秒8というのは、前走の京王杯SCよりも0秒1速い。さらに、1000m57秒6といえば、オグリキャップのレコード決着となった前年とほぼ同じペースである。

 これだけのハイペースになれば、有利なのは先行馬ではなく中団より後ろの馬である。河内騎手は、出遅れて中団より後ろからの競馬となったが、無理して上がっていくことなく、中団にいる1番人気のバンブーメモリーをマークしながらレースの流れに乗ることにした。それは、いまや差し脚を武器とする彼女自身の脚質、そして河内騎手のペース判断に照らしても、非常に合理的な作戦だった。

『激動の時』

 すると、河内騎手の読みどおりというべきか、スタート直後から飛ばしてレースを引っ張った馬たちは、直線に入って間もなく脱落し始めた。・・・彼らの脱落と入れ替わるように、好位につけていたダイタクヘリオスがするすると上がっていき、やがて先頭を奪う。ダイタクヘリオスも、もともとは先行タイプの馬である。ただ、いつも1番手からせいぜい3、4番手あたりでレースを進めるいつもより、この日はやや後ろの位置に陣取り、ここで満を持して動いた形となった。

 ダイイチルビーは、このダイタクヘリオスを前哨戦の京王杯SCで破っている。この時のダイタクヘリオスは、ハイペースの中でなおかかり、勝手に自滅するという無様なレースを演じていた。・・・だが、この日は様子が違う。しっかりと折り合った時の彼の実力は、わずか2ヵ月半前にマイラーズC(Gll)をレコードタイム、5馬身差で圧勝していることからもうかがえる。

 ダイタクヘリオスの動きに触発されるように、ダイイチルビーがマークするバンブーメモリーも動いた。バンブーメモリーはこの日圧倒的1番人気に支持されてはいたが、鞍上の武豊騎手は、ダイタクヘリオスがマイラーズCで圧勝した時の騎手でもある。当然、折り合った時のダイタクヘリオスの強さは、十分すぎるほど知っている。その折り合うことの難しさゆえに成績は安定しないが、武騎手は、この日のダイタクヘリオスを見て、今動かなければつかまえられなくなると考えた。彼はバンブーメモリーを外に持ち出す余裕もなく、内側の馬の壁へと突っ込んでいく。

 だが、河内騎手は、ダイタクヘリオスの動きにも、バンブーメモリーの仕掛けにも反応しなかった。彼は、ダイイチルビーの瞬発力を極限まで引き出すため、最後の最後まで追い出しを遅らせることにしたのである。それは、馬の力への完全な信頼がなければとり得ない作戦だった。そして河内騎手は、待った。ただ、追い出そうと思った時にすぐ追い出せる位置につけるため、外へ持ち出すことは忘れなかった。

『ただ1頭の背中を』

 ダイイチルビーが飛んできたのは、レースが最終局面を迎えてからだった。この時ダイタクヘリオスは、一度馬群を抜け出して、そのままゴールへと駆け込む勢いだった。武騎手とともに内を衝いたバンブーメモリーは、馬の壁に包まれてなかなか馬群を抜け出せない。場内は、単勝2870円の10番人気による奇襲に騒然となっていた。

 ダイイチルビーを外に持ち出した河内騎手は、いよいよ最後の勝負に動いた。この時彼の目に映っていたのは、ダイタクヘリオスただ1頭だったという。

「この馬をつかまえれば、なんとかなる・・・」

 河内騎手が最初にマークしていたのはダイタクヘリオスではなくバンブーメモリーだったが、この時、彼の視界から、バンブーメモリーの姿は既に消えていた。

 ダイタクヘリオスの背中に狙いをつけてからのダイイチルビーがなすべきことは、最後の瞬間までためにためた瞬発力を開放するだけだった。当時広く認識されていたかどうかは別として、ダイタクヘリオスは思いどおりに先行させれば、並外れたしぶとさを持つ一流馬である。しかし、ダイイチルビーの鋭くも華麗な末脚は、そのダイタクヘリオスをも激流に呑み込んでいった。彼女にとって幸いなことに、ダイタクヘリオスの鞍上の岸滋彦騎手は、この日のハイペースを読み誤ってやや早目に仕掛けていた。ダイイチルビーは、そんなダイタクヘリオスの限界点を衝くことに成功したのである。

 ダイタクヘリオスを並ぶ間もなくかわしたダイイチルビーは、ダイタクヘリオスに粘る隙すら与えないまま一気に突き放した。ダイイチルビー、1馬身4分の1差の優勝。それは、「華麗なる一族」の血が咲き誇った瞬間だった。

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