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ネオユニヴァース列伝~王道の果てに~

『二冠馬の敗北』

 それでも、第3コーナーを回ったネオユニヴァースは、みるみる進出を開始した。後方からみるみる位置を押し上げるその末脚は、ファンに

「さすがは二冠馬の競馬だ」

と感じさせるものだった。

 ・・・ところが、ネオユニヴァースの勢いは、第4コーナーで止まってしまった。いや、止まったわけではない。だが、すぐ前にいるヒシミラクルとの差が縮まらない。むしろ、広がっていく。人気薄の菊花賞、天皇賞・春を制したヒシミラクルの奇跡の末脚が、みたび火を噴いたのである。その重厚な末脚は、まるで重い鉈のように馬群と、ネオユニヴァースの希望を打ち砕く。そこにあるのは古馬と3歳馬の力の差ではなく、まぎれもなきヒシミラクルとネオユニヴァースの力の差だった。

 それでもネオユニヴァースは、ヒシミラクルに食い下がった。彼が賭けたものは、3歳最強馬の誇りである。・・・だが、ヒシミラクルとの差は縮めることができぬまま、むしろ後方から飛んできたツルマルボーイにまで、あっという間にかわされた。

 早めに先頭に立ちながらも失速したシンボリクリスエスはとらえたネオユニヴァースだったが、彼がゴールへ流れ込んだ時、彼の前にはヒシミラクル、ツルマルボーイ、タップダンスシチーという3頭もの古馬たちがいた。・・・ネオユニヴァースは、生涯2度目の敗北を喫し、古馬を抑えて一挙に競馬界の頂点を奪うという彼の野望も、仁川に散った。

「出遅れたこと、その後他の馬にぶつかったことが響いた。道中ずっと外を回されたことが、最後の伸びのなさにつながったのかな・・・」

 デムーロ騎手は、レースをそう振り返った。同世代相手なら、自らレースを作り、窮地からも自らの力で脱出するレースをしてきたネオユニヴァースも、古馬の一線級相手ではそうはいかなかった、ということだろうか。彼らが率直に認めたとおり、この日はネオユニヴァースの完敗だった。

『翳』

 3歳馬にして、二冠馬として宝塚記念に挑み、そして敗れたネオユニヴァースだったが、競馬ファンやマスコミからは、彼の参戦は概して好意的に受け止められた。

「ネオユニヴァースの参戦によって、宝塚記念がおもしろくなった」

 その指摘は、おそらく全面的に正しい。馬券の売上に至っては、実に前年比49%増を記録している。・・・ただ、従来の枠を破る挑戦が何のためになされたのかは、冷静に考えてみることも必要であろう。

「ネオユニヴァースを宝塚記念に出したらおもしろいんじゃないか・・・」

と言って参戦を決めたとされる吉田氏だが、日本の馬産界に君臨する彼が、二冠馬のローテーションを「おもしろいから」というだけの理由で決めるとは、とても考えられない。吉田氏の決断は、ネオユニヴァースの引退後・・・種牡馬としての価値を考えたものではなかっただろうか。

 7戦6勝というほぼ完璧な戦績で皐月賞、日本ダービーの二冠を制し、デムーロ騎手をして

「この馬にはできないのが言葉を喋ることだけだよ」

と言わしめたネオユニヴァースだが、血統をみると、母の父であるKrisは欧州のマイル戦線で活躍した強豪である。牝系の血統を直接伝える傾向が強いサンデーサイレンス産駒の特色を考えると、長距離への不安は小さくない。加えて、後続との着差は常に僅差、時計も平凡なまま、つまり名馬の最も基本的な条件であるはずの「ずば抜けた身体能力」を一度も実証することのないまま勝ち続ける彼の完成されすぎたレース内容は、早熟さを物語るものでもあった。

 もともと社台ファームは、長らくリーディングサイヤーに君臨してはいたものの、「質より量」が伝統と言われていた。日本最大の規模に加えてガーサント、ノーザンテーストという大種牡馬まで擁しながら、当時の社台ファームがその傘下から輩出した超一流の名馬は、極めて限られていた。そんな社台ファームに黄金時代をもたらしたのがサンデーサイレンスだったが、その彼も、前年の8月19日に死亡している。

 ただでさえ社台スタリオンステーションに社台ファームやノーザンファームで生まれた馬だけでなく、他の牧場で生まれたサンデーサイレンスの代表産駒をも次々と集め、「ポスト・サンデーサイレンス」時代の覇権を維持しようとしていた吉田氏が、その巨星自身の死によって、さらに切実に後継種牡馬を求めるようになったであろうことは、想像に難くない。彼が求めていたのは、文字どおりのサンデーサイレンスの後継者・・・完全無欠の大種牡馬だった。

 ネオユニヴァースは、この時点では、サンデーサイレンス産駒、そして社台ファームの生産馬の歴史の中で、最高傑作と呼ばれる可能性すら秘めていた。・・・だが、その彼の適性が中距離、早熟さにあるとすれば、これから迎える秋の戦いはどうなるのか。

 種牡馬の価値は、異世代の強豪との戦いを経ることによって跳ね上がる。クラシックだけでは相手は常に同世代のみであり、馬への評価も世代のレベルに大きく左右される。異世代との対決を経て実力の絶対性を示すことは、優れた種牡馬の条件となる。

 ここで、ネオユニヴァースの適性と、種牡馬としての価値を高める必要性の間に、二律背反が生じる。早熟な中距離馬であったとしても、上の世代と戦わなければ絶対的な評価は得られない。・・・それが競走馬としてのピークを過ぎた可能性もある3歳秋にわたる、どんなに危険な挑戦であったとしても。

 吉田氏は、この時点でのネオユニヴァースが持つ価値を知っていた。種牡馬としての価値を重んじる彼は、古馬との戦いなきネオユニヴァースの評価が彼の要求に及ばないことも知っていた。そして何よりも、ネオユニヴァースの本質が、菊花賞が終わるまでの悠長な時間を待ってはくれないことにも、気づいていたのではないだろうか。だからこそ、吉田氏は秋を懼れ、古馬の一線級との戦いを早めた。・・・そして、敗れた。

 宝塚記念の勝敗に関わらず、ネオユニヴァースが秋に歩むべき道は決まっている。三冠・・・それはサラブレッドの理想であるとともに、今さらの回避を許さぬほどに重く、神聖な王道である。だが、理想に忠実であろうとするあまり、クラシックロードという王道を歩みながらその領域をも踏み越えて宝塚記念という覇道にまで揺れた時、彼の運命の歯車は狂い始めたのかもしれない。

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