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ネオユニヴァース列伝~王道の果てに~

『誇りを取り戻すために』

 三冠成らなかったネオユニヴァースが次走に選んだのは、ジャパンC(国際Gl)だった。ジャパンCの舞台となるのは、ダービーと同じ東京の芝2400mコースである。かつての栄光の場所で、失われた権威と自信を取り戻したい。そんな願いが透けて見える選択でもあった。

 当日のネオユニヴァースは、2番人気に推された。天皇賞・秋を完勝して前年に続く連覇を達成し、単勝190円の圧倒的1番人気に支持されたシンボリクリスエスに続く位置である。・・・とはいっても、オッズは700円と大きく離されていたが。ちなみに、菊花賞馬ザッツザプレンティは単勝1400円の5番人気だった。

 第23回ジャパンCは、素晴らしいスタートを切った4番人気タップダンスシチーの大逃げから始まった。佐藤哲三騎手とともに果敢に先頭を切り、そのまま後続を大きく引き離す単騎逃げに、スタンドも沸く。

 ザッツザプレンティもスタート直後から一貫して2番手につけ、シンボリクリスエス、ネオユニヴァースは中団からの競馬を採った。馬場状態までがダービーと同じ重馬場だっただけに、栄光をつかんだダービーと同じ舞台でのよく似た競馬に、復活への期待は高まっていく。

 ・・・だが、ダービーとジャパンCの間には、逃げ馬に大きな違いがあることも、厳然たる事実である。ダービーを先導したのは、条件戦を2勝しただけで3歳になってからは3着以内の経験すらないエースインザレースだったが、この日の先導役は、4番人気とはいえ既に重賞3勝、宝塚記念3着などの実績を持つ歴戦の古豪タップダンスシチーである。そこに違いが出てこないはずがない。

『戻らぬ時計』

 単騎での大逃げには、ファンの心を虜にする魅力がある。しかも、タップダンスシチーの逃げは、並のGlとは比べ物にならないほどに豪胆だった。向こう正面で後続との差を大きく広げ、第3コーナーでは後続に約10馬身をつける積極策は、ジャパンカップの歴史に残るもののはずだった。

 しかし、単勝190円の1番人気シンボリクリスエスの動向に気をとられ、ネオユニヴァースをはじめとする後続馬たちがタップダンスシチーの危険さに気づいたのは、もっと遅かった。渋った重馬場、実力はあるが人気の盲点となっている逃げ馬の単騎逃げ、後方待機の人気馬の存在、そしてそれらの複合による逃げ馬の軽視・・・。気がつくと、波乱が起きる条件はすべて揃っていた。

 第4コーナーで一度半分ほどに縮まった後続との差が再び広がり始めた時、事実上レースの決着はついていた。ザッツザプレンティが、ネオユニヴァースが進出を開始しようにも、タップダンスシチーの脚は衰えないどころかむしろ鋭さを増す一方である。・・・タップダンスシチーが後続につけたその差、実に9馬身。圧巻の勝利であった。

 その一方で、ネオユニヴァースの末脚は不発のまま終わった。それどころか、先に仕掛けたザッツザプレンティを後から追いかけ、一時は二番手に押し上げたかに見えたにも関わらず、その後盛り返されて菊花賞に続いて振り切られ、後方から追い上げてきたシンボリクリスエスにもかわされた。

「前残りの展開では仕方ない。道中はクリスエスの後ろでじっと我慢していたのだが」(瀬戸口師)
「2着はあるかと思ったが、内に切れ込んでいた。菊花賞といい今回といい、春の切れ味がなかった。最後はガス欠だった・・・」(デムーロ騎手)

 彼らのコメントが伝えるとおり、ネオユニヴァースに二冠を制した春の勢いは、残っていなかった。

『再起を願って』

 ジャパンCの敗退を受けて、ネオユニヴァースは有馬記念(Gl)を回避することになった。

「特にどこが悪いというところもないけれど、目に見えない疲れがあるかもしれないからね。いい勝負をすれば有馬とも思っていたけれど・・・春は天皇賞を目指して復帰戦を考えたい」

 それが、回避を決めた瀬戸口師の言葉である。大崩れはしないとはいえ、ネオユニヴァースは既に宝塚記念、神戸新聞杯、菊花賞、ジャパンCと4戦続けて、しかも連対もできずに敗れている。例年の3歳馬よりはるかに早く古馬と対戦した宝塚記念での4着という着順は、例年の3歳馬にとって古馬に挑戦する最初の機会であるジャパンCでも、まったく変わらなかった。それどころか、春には圧倒的だった同世代との力関係ですら、もはや絶対的なものではない。「早熟」と呼ばれる馬は、同世代の馬より早く完成期を迎えるためにその時点までは圧倒的な優位を保つことができるが、その時期を過ぎると、成長が止まり、そして下降線に入っていくがゆえに、秋を越して成長が追いついてくる同世代の追い上げを受け、安定した実力を持つ古馬との力関係も固定されていく運命にある。ネオユニヴァースの世代最強馬としての権威と誇りを大きく傷つけるものでしかない近走の結果は、そのまま彼の限界を示すものでもあった。

 ネオユニヴァースの本質を早熟性にあるとみて、その優位性を失わないうちに古馬との対戦で実績を残すための選択が宝塚記念への挑戦だったのならば、その着眼点は正しかった。その試みが成功していれば、仮に秋が同じ結果だったとしても、宝塚記念で上の世代に優越した完成度を証明したとして、名誉を保った引退が可能だっただろう。しかし、それがなかったため、瀬戸口師らは難しい選択を強いられることになった。

 早熟性による優位を失った彼の今後の戦いは、自ずから苦しいものとならざるを得ないが、だからこそ彼らは引退という選択肢をとりえなかった。見え始めた彼の限界が本当に彼の限界であるとすれば、それはネオユニヴァースへの期待とあまりにかけ離れた現実でしかなかったから。

 ネオユニヴァースは、休養に入った。それは、翌春の巻き返しを心に期しての悲壮な選択だった。

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