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ネオユニヴァース列伝~王道の果てに~

『衝撃の選択』

 日本ダービーの数日後、ネオユニヴァース陣営から流れた情報は、競馬界に衝撃と混乱をもたらした。

「ネオユニヴァース、宝塚記念出走へ・・・!」

 従来6月上旬に開催され、事実上古馬たちによる「夏のグランプリ」として行われてきた宝塚記念が「日本のキングジョージ&エリザベスll世S」を目指し、ダービー出走馬など3歳の有力馬が出走できるように開催時期を大きく繰り下げたのは、1996年のことである。しかし、本来出走が企図された3歳世代の一流馬たちは、ダービーが終わると秋に備えて休養に入ってしまうため、それまで有力と言える3歳馬の宝塚記念への出走はほぼ皆無だった。それなのに、皐月賞に続いて日本ダービーを制し、レース後に三冠宣言までしたネオユニヴァースが、菊花賞に備えて休養に入るのではなく、宝塚記念で早くも古馬との対決に臨むという。あまりに急な話だっただけに唐突な印象は否めず、当初は

「単なる観測気球だろう」

という声も少なくなかった。

 しかし、その後ネオユニヴァース陣営から漏れてきたのは、出走断念ではなく、むしろ本気であることの裏づけばかりだったため、競馬界は次第に騒然となっていった。

 宝塚記念は、年によっては有力馬たちの回避が重なり、「空き巣狙い」となることが少なくない。だが、この年の出走馬たちは違った。前年の年度代表馬シンボリクリスエスを筆頭に、前年の菊花賞に続いてこの年の天皇賞・春を制したヒシミラクル、Glハンター・アグネスデジタル、前年の覇者で連覇を目指すダンツフレーム、本格化途上で秋にはジャパンC(国際Gl)を勝つタップダンスシチーといった古馬戦線の雄たちが、軒並み出走の意向を明らかにしていた。いくら3歳馬なら古馬に比べて5kgの斤量差をもらえるといっても、相手関係はかなり厳しい。

 しかも、以前は毎年11月に行われていた菊花賞の施行時期も、2000年以降10月下旬に繰り上げられている。ステップレースを使うことも考えた場合、宝塚記念の後にしか休養入りできないとすると、菊花賞までの間、実質的な休みはほとんどなくなってしまう。

「なぜ、いま宝塚記念に出走しなければならないのか?」

 そんな疑問の声が挙がるのも、当然のことだった。

『踏み入った覇道』

 ネオユニヴァースの宝塚記念出走は、生産者である社台ファームの総帥であり、また馬主である共有馬主クラブの社台レースホースクラブ代表でもある吉田照哉氏の主導で決定されたとされている。吉田氏は、

「競馬で食べてるとね、おもしろいことがしてみたくなるんだね。みなさんと同じように、強い馬同士を戦わせてみたくなるんだね。5kgのハンデ差があれば、どのくらいやれるだろうというのを見てみたい」

と語っている。欧州競馬の最高峰のひとつとされ、時期的にも宝塚記念と同時期に行われるキングジョージ6世&クイーンエリザベスS(国際Gl)では、まさにこのハンデ差によって、3歳馬が古馬を制することが珍しくなく、本来の意味での3歳三冠が衰退した後の3歳馬の最高の栄誉「欧州新三冠」に組み込まれて論じられてもいた。

 ネオユニヴァースの様子を注意深く見守っていた吉田氏は、瀬戸口師から、ダービーの後もほとんど疲れがない、という報告を受けた。

「ネオユニヴァースを宝塚記念に出したらおもしろいんじゃないか・・・」

 ダービーを勝ったら、宝塚記念への出走も考える。それは、彼らの間ではまったく初めての話ではなく、夢・・・という形では、それ以前にも出たことがある話だった。だが、相談を受けた立場の瀬戸口師も、もとをただせばオグリキャップの時に掟破りの「マイルCS、ジャパンC連闘」を決行した過去が物語るとおり、「馬はレースに使うことで強くする」タイプの調教師である。ダービーのために再来日したデムーロ騎手の短期免許も、宝塚記念の週までだったため、宝塚記念への騎乗は可能だった。・・・こうして史上初めてとなる、3歳のクラシックホースによる宝塚記念への参戦が決まったのである。

 しかし、それはネオユニヴァースがそれまで歩んできた道とは明らかに異なる選択だった。クラシックロードという王道を歩んできたネオユニヴァースにとって、それは覇道にほかならない。

『揺れる空気』

 二冠馬・ネオユニヴァースが臨んだ宝塚記念・・・それは、予想されていた有力出走馬の故障もなく、当時の古馬陣営のほぼオールスターが揃う顔ぶれとなった。

 そんな中で単勝210円の1番人気に支持されたのは、前年の天皇賞・秋(Gl)、有馬記念(Gl)を制した年度代表馬シンボリクリスエスである。だが、デムーロ騎手を鞍上に、シンボリクリスエスら古馬より5kg軽い53kgをもらったネオユニヴァースは、シンボリクリスエスにこそ人気を譲ったものの、アグネスデジタルやタップダンスシチー、ヒシミラクルらを上回る、440円の2番人気に推された。

 ところが、それまで常に安定したレースを見せてきたネオユニヴァースが、この日はゲートのタイミングを外し、わずかながら出遅れてしまった。それまで同世代の中での中心として戦ってきたネオユニヴァースだが、この日は同世代とはまったく異なる風格を持つ一線級の古馬たちが織りなす空気に戸惑ったかのようだった。

 マイソールサウンドがよどみのないペースを刻む中で、二冠馬は後ろから3番目という不本意な位置どりからのレースを強いられた。・・・それは、第4コーナーで進路を失って窮地に陥った皐月賞とも全く異なる、ネオユニヴァースがそれまで経験したことのない苦しい競馬だった。デビュー直後の短距離の条件戦ならいざ知らず、1800m以上のレースでは常に60秒~62秒のレースしか走っていない彼にとって、1000m通過が59秒4という厳しいペースの競馬は、後半の一歩一歩のすべてが未知の領域だった。

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