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バブルガムフェロー列伝~うたかたの夢~

『うたかたの宿命』

 希望に満ちた1995年秋、一転して失意に沈んだ96年春、栄光と失墜を同時に味わった96年秋、そして不完全燃焼のまま終わった97年春。様々な季節を経て、バブルガムフェローは97年秋・・・彼の競走馬としての最後となる秋を迎えた。

 前年と同じ毎日王冠(Gll)を始動戦に選んだバブルガムフェローは、Gl馬不在の軽量メンバーだったとはいえ、前年にアヌスミラビリスの3着に敗れているこのレースを危なげなく制し、天皇賞・秋に向けて好スタートを切った。好位を追走し、直線で半馬身だけ突き放す競馬はそれ以前と変わるものではないが、夏の間に480kgまで戻した馬体から繰り出された末脚は、久々に余裕を感じさせるもので、

「バブルガムフェロー、ようやく復調か?」

という声も競馬界には流れ始めた。

 バブルガムフェローが秋の目標に据えていたレースは前年も制した天皇賞・秋(Gl)だったが、レースの様相は、前年とはまったく異なっていた。前年の天皇賞・秋で既に「三強」を形成し、この年の天皇賞・春でもバブルガムフェローがいない淀で覇を競った強豪たちのうち、サクラローレルとマヤノトップガンは故障を発症して引退を決め、残るマーベラスサンデーも骨折によって戦列を離れていた。フルゲートですらない16頭の出走馬たちの中で、バブルガムフェロー以外にGlを勝ったことがある馬は、2年前の皐月賞(Gl)、前年のマイルCS(Gl)を制したジェニュインと、前年のオークス馬エアグルーヴしかいなかった。そんな力関係も、バブルガムフェローへの支持を強める結果となった。

「ローレル、トップガン、そしてマーベラスすらいない出走馬たちの中では、復調しつつあるバブルガムフェローが断然・・・」

 その声はやがて競馬界の主流となり、史上初の天皇賞・秋連覇を目指すバブルガムフェローの単勝は、実に150円となった。単勝支持率は、実に51.7%。このオッズと支持率は、期待と信頼なしでは到底叩き出せるものではない。

 だが、彼を担当した厩務員は、後に明かしている。

「正直言って、満足いく状態ではなかった。4歳秋のようなググッと来る感じとは違っていた。根拠はないけど、なんとなくダメなのでは、という気がしていた・・・」

 まじめに走っていないようでも、レースになると勝っていたのが、前年までのバブルガムフェローだった。だが、「なぜ勝てるのか分からない」という彼の未知数な部分は、極限の走りによって栄光を勝ち取った天皇賞・秋を境に失われていた。既に完成されたうたかたは、あとははじけるしかなかったのかもしれない。

『1番人気の呪縛』

 天皇賞・秋でのバブルガムフェローは、圧倒的1番人気の宿命として、他のすべてに目標とされながら競馬をしなければならなかった。3番人気という立場だった前年とは、世界がまったく違っていた。

 それでも、この日の展開がもっとありふれたものならば、彼の競馬も変わっていたのかもしれない。だが、悲しいかなこの日の出走馬の中には1頭の「異端児」がまぎれ込み、この日の展開はその「異端児」によって支配されてしまった。翌年に希代の逃げ馬として中距離戦線を制圧し、そして圧倒的なイメージそのままに悲劇的な最期を遂げることになるサイレンススズカである。

 サイレンススズカが後続を大きく引き離して刻んだペースは、1000m58秒5というハイペースであり、後続との差は、一時15馬身ほどまで開いた。

 この日のバブルガムフェローは、3番手で追走していた。好位からの競馬は、彼にとってはセオリーどおりと言っていい。だが、ただでさえ圧倒的人気を背負った岡部騎手とバブルガムフェローは、その位置取りによっても他の騎手たちの視線を一身に浴びることになった。

「サイレンススズカを早く捕まえろ!」
「それは1番人気の岡部さんの仕事だ!」

 大逃げは、常に後ろの不安と焦りを誘う。サイレンススズカの大逃げによって誘発された彼らの不安と焦りは、すぐ大きな流れとなってレース、そしてバブルガムフェローを飲み込んだ。他の騎手たちは、バブルガムフェローの圧倒的人気とサイレンススズカが作った異端の流れによってがんじがらめになり、身動きが取れなくなっている。ここで岡部騎手とバブルガムフェローが動かなければ、ふたつの見えない手錠に囚われた彼らは、そのいずれからも解放されぬままにその不安をすべて現実と変えてしまうだろう。・・・それだけは避けなければならない。

 岡部騎手は、流れに押し流されるように、第3コーナー過ぎから動いた。動かなければならなかった。不利と知りつつもあえてその選択肢を採らざるを得なかったことこそが、1番人気の呪縛から逃れられなかった前年の覇者の悲劇だった。

『悲劇的な抵抗』

 直線に入り、バブルガムフェローは一気に勝負に出た。馬群を抜け、失速するサイレンススズカをかわし、いよいよ先頭に立つ。

 しかし、そんなバブルガムフェローについてくる馬がいた。2番人気のエアグルーヴである。1980年秋のプリティキャスト以来、17年間勝っていない牝馬であることを懸念されていたエアグルーヴだが、実際には前年のオークス馬であるだけにとどまらず、この年も札幌記念(Gll)ではジェニュインを相手にしなかった彼女は、もとより並の牝馬ではない。

 バブルガムフェローとエアグルーヴは、内と外に馬体を併せた。内のバブルガムフェローに、岡部騎手の渾身の左ムチが走る。

「大丈夫、差し返す!」

 スタンドで見守っていた藤澤師は、祈りにも似た願いをバブルガムフェローに託した。だが、その願いはターフには届かない。もともとの脚色の差がいかんともしがたい。他の馬たちがバブルガムフェローを見て動くのを尻目に、今この時に勝負を賭けることができたエアグルーヴに比べ、先に動いた・・・動かざるを得なかったがゆえに脚を使ってしまったバブルガムフェローの不利はあまりに大きかった。

 エアグルーヴが前に出るまで、さほどの時間はかからなかった。バブルガムフェローは、懸命に食らいつき、反攻の機会をうかがう。・・・だが、それまでである。エアグルーヴが失速すれば差し返せたのだろうが、彼女が失速せず、むしろ闘志をかきたてられてさらに伸びるという現実のもとでは、彼の最後の努力は「抵抗」、それもむしろ悲劇的な部類のそれの域を出ない。ただゴールまでの距離、そして終焉までの時間だけが削られていく。

『途絶えた道』

 バブルガムフェローは、クビ差を挽回できないまま敗れた。着差はわずかにクビ差だったが、それは永遠の差でもあった。レース後に発せられた

「こっちの手応え以上に相手が良かった。今日は相手が強かった・・・」

という岡部騎手のコメントと、

「展開に恵まれたわけでもなく、力でねじ伏せたんですからね。完勝です」

という武豊騎手(エアグルーヴに騎乗)のコメントが、彼らの立場の違いを鮮明に物語っている。

 こうしてバブルガムフェローは、牝馬の後塵を拝するという形で、決定的な敗北を喫した。彼に対する幻影の残照がこの日のオッズであったとすれば、この結果は彼に対する夢の残骸だった。残照に形はないが、残骸は形を持つ。かつて彼が見失った「無限の頂」への道を見つけ出すための戦い・・・その命脈が絶たれたのは、97年10月26日、第116回天皇賞・秋が終わったこの日だったと言っていいだろう。

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