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バブルガムフェロー列伝~うたかたの夢~

『歩むべき道』

 競馬界の1年は、明け4歳馬たちの夢の舞台であるクラシック戦線の幕開けとともに始まる。1996年もまた、年明けの競馬界を彩るのは、クラシック戦線の話題だった。

 前年の朝日杯3歳Sを制し、JRA最優秀3歳牡馬にも輝いたバブルガムフェローは、当然のように翌春のクラシック戦線の有力候補と評価されていた。だが、この年のクラシックロードには、他に3頭もの有力なサンデーサイレンス産駒がいた。ダービー馬ウイニングチケットの弟で、ラジオたんぱ杯3歳S(Glll)を制したロイヤルタッチ、オークス馬ダンスパートナーの弟で、社台ファームではバブルガムフェローと並ぶ評価を得ていたダンスインザダーク、降雪でダートに変更となったジュニアC(OP)を圧勝したイシノサンデー・・・。ファンは、彼らをバブルガムフェローと合わせて「サンデーサイレンス四天王」と呼んでいた。

 この年の春のクラシック戦線は、この4頭を中心に争われるというのが大方の予想だった。そんな「サンデーサイレンス一色」に見えたクラシック戦線に新風を吹き込んだのは、サクラホクトオー産駒の父内国産馬で、京成杯(Glll)、共同通信杯4歳S(Glll)を連勝したサクラスピードオーだった。こうして舞台に立つ役者たちが徐々に出揃い、1996年の「クラシック・ロード」は幕を上げる。

 クラシック・ロード第一弾・皐月賞(Gl)のステップレースとしては、当時、弥生賞(Gll)、若葉S(OP)、スプリングS(Gll)の3つのレースが設けられていた。これらのレースの結果によって、皐月賞、そしてクラシック・ロードははっきりとその顔を現し始める。

 これらのレースのうち弥生賞では、「SS四天王」の一角であるダンスインザダークが快勝した。だが、続く若葉Sでは、鉄板と思われたロイヤルタッチが伏兵ミナモトマリノスに敗れている。96年クラシック・ロードがそれまでの予想とは違った顔を見せ始める中で、皐月賞の最有力候補とされるバブルガムフェローは、最後のステップレース・スプリングS(Gll)に向けて出陣した

『幸せすぎた春』

 スプリングSの出馬表を見ると、「SS四天王」をはじめとする他の有力馬たちが弥生賞、若葉S(OP)に回ったため、相手関係は手薄となっていた。バブルガムフェローの単勝オッズは150円という、断然の1番人気である。

 この日のレース展開は、1000m通過が61秒3という、朝日杯とは打って変わった緩やかな流れ・・・スローペースとなった。そんな展開の中で中団からの競馬を進めたバブルガムフェローは、やがて直線半ばから鋭い末脚を繰り出し、チアズサイレンスを半馬身かわしてゴールした。

「やっと思いどおりの競馬ができるサンデーの子に巡り会えた・・・」

 レースの直後、名手・岡部騎手はそうコメントした。先行して良し、差しても良し。何が起こるか分からないのが実戦の恐ろしさだが、自在の脚質で展開に対応できるバブルガムフェローならば、予想外の展開になってもそれに合わせた競馬が可能だし、レースが始まった後に思い切って作戦を切り替えることもできる。その手応えに、岡部騎手は震えた。

 勝利によって仕上がりの万全さをファンに証明した彼の戦績は、これで5戦4勝となった。デビュー戦こそ敗れたものの、その後の4連勝は非の打ちどころがない内容である。前哨戦で敗れたイシノサンデーとロイヤルタッチ、弥生賞を制したとはいえまだ内容的には荒削りさが残るダンスインザダークに比べても、その安定性と信頼感は突出している。バブルガムフェローは、この日の勝利によって、皐月賞での1番人気をほぼ確実なものとした。

 ・・・ところが、好事魔多し。皐月賞へ向けて意気上がるバブルガムフェロー陣営を待っていたのは、思いもかけぬ突然の悲報だった。

『幻の季節』

 スプリングS後のバブルガムフェローの調子は、皐月賞本番が近づくにつれて、ますます上がっているように見えた。藤澤師や岡部騎手を初めとするバブルガムフェロー陣営の人々の手応えも、ますます確かなものとなっていった。

 彼らが高揚から一転、失意の底へと暗転したのは、皐月賞の1週前追い切り後のことだった。追い切りを順調に終えたバブルガムフェローだったが、その翌日、彼の歩様に異常が発生したのである。

 検査の結果、右後脚の骨折が判明した。

「いつ、どこでやったのか分からない・・・」
「順調にいってくれさえすれば、と思っていたのに・・・」

 そう嘆く陣営の人々に対し、獣医は「全治6ヶ月」という残酷な事実を伝えなければならなかった。3年前に藤澤厩舎を襲った無念・・・クラシックを前にしての故障というヤマトダマシイとクエストフォベストの悲劇は、やはりこの季節に繰り返された。こうしてバブルガムフェローの96年春・・・生涯でただ一度だけの皐月賞、ダービーに挑む機会は、永遠に失われたのである。

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