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バブルガムフェロー列伝~うたかたの夢~

『古馬の厚い壁』

 第114回天皇賞・秋の出走馬たちの中で断然の本命と見られていたのは、天皇賞春秋連覇を目指すサクラローレルだった。凱旋門賞馬Rainbow Questを父に持つ彼は、多くの名馬たちの登竜門であるクラシック戦線は脚部不安のため無縁に終わっただけでなく、一般的なサラブレッドの全盛期と言われる5歳時までも、故障でまるまる棒に振っている。そんな彼が一気に花開いたのはこの年の天皇賞・春(Gl)で、馬群を突き抜けたかに見えた三冠馬ナリタブライアンに襲いかかって見事差し切ったそのレースを機に、古馬戦線の先頭へと躍り出たのである。

 その後のサクラローレルは、宝塚記念(Gl)には出走しなかったものの、秋の初戦であるオールカマー(Gll)もマヤノトップガン以下に圧勝し、「天皇賞・秋の本命はサクラローレル」という現実をまざまざと見せつけていた。

 96年に入ってからの成績はサクラローレルに見劣りするものの、実績では随一の輝きを放つのが、前年の年度代表馬でこの年も宝塚記念(Gl)を勝っているマヤノトップガンである。前年の秋に急成長して菊花賞、有馬記念(Gl)を連勝し、見事年度代表馬に選出されたこの馬は、春こそ阪神大賞典(Gll)でナリタブライアンの2着、天皇賞・春でサクラローレルの5着に敗れたものの、宝塚記念(Gl)はきっちりと制し、健在をアピールしていた。

 また、実績十分のサクラローレル、マヤノトップガンに挑む新興勢力として台頭したのがマーベラスサンデーで、京都大賞典(Gll)など重賞4つを含む6連勝で天皇賞・秋に駒を進めた彼もまた、天皇賞・秋に変革を起こす台風の目として注目を集めていた。

 サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガン・・・。そんな強豪たちが集う伝統のレースに、バブルガムフェローは4歳馬として単騎で挑戦する。

 4歳馬と天皇賞の関係の歴史を見ると、1937年の第1回帝室御賞典こそ4歳馬ハッピーマイトが勝っているが、翌38年に菊花賞が創設された影響で、この年の秋以降、天皇賞は古馬限定戦となっている。その後4歳馬に再び門戸が開放されたのは87年だが、オグリキャップも含め、4歳で天皇賞を制する馬が現れていないことは、以前に述べたとおりである。

 加えて、それまでバブルガムフェローの手綱をとってきた岡部騎手は、天皇賞・秋本番では騎乗できない。岡部騎手は、やはり藤澤厩舎の所属馬であるタイキブリザードの主戦騎手でもあったが、タイキブリザードは北米の最高峰であるブリーダーズC(国際Gl)への遠征が決まった。96年は天皇賞・秋とブリーダーズCの日程が重なっていたことから、両方への騎乗は不可能となったのである。

 タイキブリザードは乗り方の難しい馬で、たとえ現地の一流騎手に依頼したとしても、テン乗りでは乗りこなせない。また、岡部騎手も世界の最高峰への挑戦への夢をあきらめることはできなかった。こうして岡部騎手はタイキブリザードとともにブリーダーズCに遠征することになり、天皇賞・秋でのバブルガムフェローの手綱は、蛯名正義騎手に託されることになった。

 前哨戦の毎日王冠で一線級と言えない古馬たちをとらえきれないまま3着に敗れたバブルガムフェローが、果たして強い古馬たちを相手に、しかもテン乗りとなる蛯名騎手とのコンビでどこまで通用するか・・・。それは、やや悲観を含んだ未知数といわざるを得なかった。

『受けて立つ』

 さて、岡部騎手のブリーダーズC遠征のためとはいえ、突然バブルガムフェローの騎乗依頼を受けた蛯名騎手は、驚いた。一流馬からの騎乗依頼は騎手の勲章だが、その勲章には大きな責任も伴う。当時の蛯名騎手は、関東の一流騎手としての地位を固めつつあった一方で、Glの優勝経験はない。むしろ、95年の天皇賞・春でステージチャンプに騎乗してゴール前でライスシャワーに強襲をかけた時の「幻のガッツポーズ」事件で大恥をかいたことから、大舞台での勝負弱さ、というイメージすら持たれていた。そんなところに舞い込んできた騎乗依頼だけに、感じた不安も小さくなかったという。

 蛯名騎手は、まず主戦騎手の岡部騎手にアドバイスを求めてみた。しかし、返ってきたのは

「クセのない馬だから、好きなように乗ればいいよ」

というものだった。なるほど、ビデオを見ても「先行してよし、差してよし」の自由な競馬をさせてもらえそうではある。だが、それだけでは馬のイメージはつかめない。そこで蛯名騎手は、藤澤師に直前調教での騎乗を申し出た。

 ところが、藤澤師の答えは、「その必要なし」という意外なものだった。

「先入観を持たず、真っ白な状態で乗った方がいいよ」

と言う藤澤師は、直前調教には助手を乗せて決行してしまったのである。馬を知らないまま、天皇賞・秋でいい騎乗ができるのだろうか・・・。そう不安がる蛯名騎手に対し、藤澤師はこうも伝えている。

「受けて立つ競馬をしてもらって大丈夫だから・・・」

 いくら前年の3歳王者とはいえ、半年の故障明け2走目となる4歳馬が、古馬最強の呼び声高いサクラローレル、実績随一のマヤノトップガン、成長著しいマーベラスサンデーといった当時の最強古馬たちを相手に「受けて立つ競馬」をしていいというのだから、尋常の沙汰ではない。藤澤師は、戸惑う蛯名騎手に対してそれ以上のことは伝えず、タイキブリザードのブリーダーズCを見守るために、北米へと旅立ってしまった。蛯名騎手が藤澤師の真意を測りかねたというのも、当然のことだろう。蛯名騎手は、消せない不安とともに1996年10月27日・・・第114回天皇賞・秋当日を迎えなければならなかった。

『勝利をつかむ意思』

 天皇賞・秋当日の単勝オッズは、戦前の予想どおり、サクラローレルが250円で断然の1番人気となった。「外枠不利」と言われる天皇賞・秋で17頭だて16番枠を引いてしまったサクラローレルだったが、馬に対する絶対の信頼が、多くの名馬たちを飲み込んできた「府中2000の大外」への脅威を打ち消していた。 サクラローレルに続く2番人気のマーベラスサンデーが400円で、バブルガムフェローは740円の3番人気、前走のオールカマー5着で評価を落としたマヤノトップガンが810円の4番人気というのが、ファンが下した有力馬への評価だった。ちなみに、

「もし自分が大外を引いていたら、夜も眠れなかったかもしれない」

という蛯名騎手が引いた枠番は、「2枠4番」だった。

 それでも大舞台で未知の有力馬に騎乗する緊張からは解き放たれない蛯名騎手だったが、彼を現実の世界に引き戻したのは、パドックで初めて騎乗したバブルガムフェローの感触だった。

「これは凄い馬だ・・・」

 乗り味の良さ、サンデーサイレンス産駒に珍しい気性のおとなしさ、走ることへの意思・・・。それに実際に触れた蛯名騎手は、そこでようやく岡部騎手、藤澤師の真意を知った。普通の馬が持つ未確定な要素を兼ね備えてしまったこの馬に関しては、細かい指示など無用有害なものだったのだ。

 彼の手応えは、返し馬で馬を走らせたことでより強固なものとなった。

「この馬で負けたら、それはオレの責任だ・・・」

とも感じた。この馬は、それまでのレースで岡部騎手がずっと育ててきた馬である。もし負けたら、

「岡部じゃないから負けた」

と言われるだろう。それだけは、蛯名騎手の騎手としてのプライドが許さなかった。

「必ず、勝ってみせる」

 蛯名騎手の中で、その意思がはっきりとした形になっていった。

『開かれた戦端』

 天皇賞・秋のレースは、1枠1番を引いたトウカイタローによる逃げで始まった。バブルガムフェローもやはり好スタートを切り、内枠を生かして2番手にとりつく。

「状態の良さは、しっかり伝わってきましたね・・・」

 蛯名騎手は、そう語っている。そんな彼の瞳に、サクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーの姿は映っていなかった。3頭の有力馬たちは、いずれも中団より後ろにいるはずである。ならば、ここで無理をする必要はない。というより、無理をしてはいけない。レースの後半に余力を残すため、むしろ馬の気分を、ペースを壊さないように走らせることが大事になるはず。そう読んだ蛯名騎手は、向こう正面でカネツクロスがバブルガムフェローをかわしていった時も、それを深追いすることなく見送った。

 有力馬たち、特に1番人気のサクラローレルが後ろにいる位置取りを反映し、ペースは速くならなかった。期せずして絶好のポジションを手に入れたバブルガムフェローを見ながら、マヤノトップガンに騎乗する田原成貴騎手は

「参ったなあ・・・」

と感じたという。そのころバブルガムフェローの後方、馬群の中では、蛯名騎手と無関係なところで、有力馬とその騎手たちによる激しい暗闘が繰り広げられていたのである。

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