バブルガムフェロー列伝~うたかたの夢~
『失墜のとき』
バブルガムフェローは、この日も好スタートを切ってそのまま好位につけたかに見えた。だが、岡部騎手だけは、バブルガムフェローの手応えがそれまでのレースとまったく違っていることに驚き、戸惑っていた。馬が馬群を避け、外へ逃げようとばかりするのである。
「どうしたんだ、バブル・・・」
しかし、彼の懸命の問いかけに、答えが与えられることはなかった。いや、バブルガムフェローの反応・・・蘇らぬ闘志こそが、バブルガムフェローのはっきりした答えだったのか。
第3コーナー、他の馬たちが勝負どころを見据えて動き始める展開になると、バブルガムフェローの変調は誰の目にも明らかになっていった。前に進もうという気配、馬の意思がまったく出てこない。第4コーナーで他の馬たちが一団となるころには、岡部騎手ははっきりと感じていた。
「今日は、もう勝負にならない・・・」
・・・そしてバブルガムフェローは、岡部騎手のムチを振るわせることさえないままに、馬群の後方へと消えていった。
『はじけた夢』
バブルガムフェローは、過去、そして生涯最悪となる13着に沈んだ。同世代の牝馬ファビラスラフインがシングスピールとハナ差の2着とほぼ互角に渡り合ったのと比べて、バブルガムフェローの結果はあまりにも無残なものだった。帰ってきた岡部騎手には、記者からこんな質問が飛んだほどである。
「壊れたんじゃないんですか?」
そう疑われても仕方がないほどに見せ場のない競馬だった。岡部騎手は、寂しそうに言った。
「壊れたのは、馬の頭だよ・・・」
岡部騎手にとって、レースまでのバブルガムフェローとは、手綱を蛯名騎手に譲った天皇賞・秋を勝ち、サラブレッドとしての完成形に近づいたはずだった。それなのに、期待とはまったく逆をいくこの日の競馬は、一体なんだったのか。彼には分からなかった。
バブルガムフェローの突然の豹変の原因が分からないのは、藤澤師ら厩舎関係者も同じことだった。
「海外遠征?白紙だね・・・」
藤澤師は、さすがに落胆の色を隠せないまま、翌年の夢も断念することを明らかにした。バブルガムフェローを「世界を狙える器」とみていた彼にとっても、この日の大敗はあまりに衝撃的なものだった。彼らが翌年目指すはずだった凱旋門賞を、この年既に勝っているエリシオは、バブルガムフェローと同じ4歳馬であり、かつ欧州外への遠征はこの日が初めてだったが、勝つことはできずとも3着同着という最低限の戦績は残している。これが世界のトップクラスの精神力というものである。それに引き替え、外国馬をホームで迎え撃ったバブルガムフェローは・・・。
「いちばん勉強しなくちゃいけないのは、調教師だよ」
それが、藤澤師の精一杯のコメントだった。だが、世界を目指せる器・・・そう信じてきたバブルガムフェローの初めての挫折は、この時彼らが思っていたより、はるかに重い意味を持っていた。
『戦いの変質』
衝撃のジャパンCの1ヶ月後、年末の中山競馬場では有馬記念(Gl)が開催され、1番人気のサクラローレルがマーベラスサンデー以下を圧倒し、1996年の年度代表馬の地位を確実なものとした。だが、その舞台の上に、天皇賞・秋でサクラローレルを破ったバブルガムフェローの姿はなかった。彼は、サクラローレルら「古馬三強」との天皇賞・秋以来の再戦となるはずだった有馬記念への出走をも早々に断念し、既に北海道での休養に入っていたのである。
「(天皇賞・秋の)目に見えない疲れがあったのかな・・・」
ジャパンCでの敗退後、藤澤師らが無理やり導き出した答えは、いったん戦列を離れることでしか解決のできないものだった。それが正しいものかどうかは、藤澤師自身も分からなかった。だが、何かの答えを見つけなければ、バブルガムフェローというサラブレッドの方向性までが失われてしまう。
後から振り返った場合、ジャパンCでの敗北は、バブルガムフェローというサラブレッドを語る上での大きな転回点となった。ジャパンCで敗れたからといって、クラシックには一度も出走していないながらも朝日杯3歳Sと天皇賞・秋を既に勝ったというバブルガムフェローの栄光が変わるわけではない。しかし、それ以前のバブルガムフェローが持っていた「無限の可能性」は、この日刻まれた戦績・・・「13」という着順によって、はっきりと限界に突き当たっていた。
バブルガムフェローは、翌97年も現役を続行し、ジャパンCの雪辱を期する。だが、それ以降の彼の戦いの目的は、それまでの「無限の頂」を目指す戦いから、見失った「無限の頂」への道を見つけ出すための戦いへと性質を変えた、とまで言い切っては、言い過ぎであろうか。