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サクラローレル列伝 ~異端の王道~

『裏切られた期待』

 目ざといファンは、新馬戦の馬柱に名前を連ねたサクラローレルを見逃してはくれなかった。世界的血統を背景に、境厩舎、小島太騎手という「サクラ軍団」の粋を集めてデビューする彼への支持は、いきなり単勝180円という圧倒的な1番人気となって押し寄せた。

 だが、大切なデビュー戦でサクラローレルが見せた競馬は、ファンや周囲の期待を大きく裏切るものだった。初めて戦いの舞台に立ったサクラローレルは、見慣れぬ環境、取り囲む大歓声、そして戦いに臨む者たちの気迫・・・それまで見たこともなかった世界へいきなり放り込まれ、すっかり平静心を失ってしまったのである。ゲート内で立ち上がって大きく出遅れたサクラローレルは、レースの流れに完全に乗り損ね、直線でもまったく伸びないままの9着に終わった。

 1番人気のあまりにもふがいない敗戦に、スタンドには沈黙が流れ、次いで罵声も飛びかった。彼に騎乗した小島騎手も

「けいこの感じからすれば、それほど抜けた馬じゃないからね。今日は人気になりすぎたよ・・・」

などと言う始末で、サクラローレルのデビュー戦は散々な結果に終わった。

 デビュー戦と同じ条件で行われた折り返しの新馬戦でも勝ち馬から0秒7離された3着に敗れたサクラローレルは、新馬戦での勝ち上がりの機会を逸し、未勝利戦に回ることになった。次走の通算3戦目でようやく初勝利をあげたものの、そのレースは、芝の中長距離路線が中心とされる日本競馬においては華やかさとかけ離れた、ダート1400mの未勝利戦だった。

 500万下に昇級したサクラローレルは、その後も芝で6着、ダートに戻って2着、3戦目でようやく優勝という結果を残した。サクラローレルの通算成績は6戦2勝2着1回3着1回、着外2回だが、連対したのはすべてダートで、芝では3戦して3着が最高である。・・・これは、とても凱旋門賞馬を父に持つ良血のエリート馬、そして後の年度代表馬のものとは思えない戦績だった。

『衝撃の皐月賞』

 当初の期待に反して思いにまかせぬ現実の前に、境師はサクラローレルをクラシック第一弾・皐月賞に送り込むことを断念せざるを得なかった。もっとも、この年の境厩舎は、無理してサクラローレルにこだわらなくても、弥生賞を勝ったサクラエイコウオーを皐月賞に送り込んでいた。また、厩舎は平井雄二厩舎で境厩舎の所属馬ではないにしろ、同じ「サクラ軍団」のサクラスーパーオーも、条件戦を2勝しただけながら、抽選でゲートに滑り込んでいた。そういった情勢からすれば、ダートでしか勝ち鞍がなく、体質にも弱さを抱えたサクラローレルを無理に皐月賞、そしてクラシック戦線に送り込まなければならない状況にはない・・・はずだった。

 しかし、サクラエイコウオーによるクラシック制覇への可能性に胸を躍らせていた境師の希望は、その皐月賞で無残に打ち砕かれた。彼の目の前で展開されたその光景は、それまで60年近く競馬社会の中で生きてきた境師の常識を、根本から覆すほどの衝撃だった。

 サクラエイコウオーは、新馬戦で大逸走して競走中止となったほどの狂気を秘めた逃げ馬だが、スローペースや並みのペースならもちろんのこと、少々のハイペースならば最後まで粘り切る能力を持っている。弥生賞勝ちの実績を買われたサクラエイコウオーは、この日も3番人気に支持されていた。圧倒的な人気を背負った本命馬は他にいたものの、レースが始まるまでの境師自身は、サクラエイコウオーと本命馬の間に、人気ほどの差は感じていなかった。

 だが、レースが始まると、先手を取りにいったのはサクラエイコウオーだけではなく、予想以上に激しくなった先行争いのせいで、レースのペースは吊り上がっていった。やや重の馬場状態の中であるにもかかわらず、1000mの通過タイムは58秒8という良馬場でもハイペースで通用する無茶苦茶なもので、これでは最後まで持つはずがない。境師があきれたとおり、苦しい展開を自ら巻き起こしてしまったサクラエイコウオーは、脚をなくして沈んでいった。彼だけではなく、彼に続いた先行馬たちも、このペースでは総崩れになるはずだった。こうなったら、「サクラ」つながりで後方待機策をとるサクラスーパーオーを応援するか・・・そんなことも考えた境師だったが、彼がその後目の当たりにしたのは、信じられない光景だった。

 展開がズバリとはまったサクラスーパーオーは、前崩れを衝いて、ゴール手前でいい脚を見せていた。例年の皐月賞なら、勝っていただろう。・・・だが、この年の皐月賞は違っていた。サクラスーパーオーの3馬身半前に、あまりにも大きく、あまりにも遠い背中があったのである。それは、想像を絶するハイペースを好位で追走しながら、他の先行勢が総崩れになる中で、潰れるどころかさらに脚を伸ばしたシャドーロールの怪物・ナリタブライアンの背中だった。

 境師は、信じられなかった。サクラエイコウオーが完全に呑み込まれた激流のようなハイペースを、好位で追走しながら直線でさらに伸びる馬がいるという現実を、彼はなかなか受け入れられなかった。

 ・・・だが、境師が目にした光景は、白昼夢ではなく確かな現実だった。ナリタブライアンの勝ちタイムは、1分59秒0。前年ナリタタイシンが樹立したばかりのレコードタイムを、一挙に1秒2も短縮していた。4歳馬の中にただ1頭古馬が混ざったといっても大げさでないほどに、次元が違う馬だった。歴史的名馬の誕生の瞬間に立ち会った境師は、震えた。

「エイコウオーはもちろん、スーパーオーをはじめとするこの中のどの馬も、100回走ってもこの怪物には勝てない」

 そう思った。こんな怪物と、どうやって戦えばいいのか・・・。

 この永遠にして絶対に見える差を埋めるためには、勝負づけがついた馬を何頭ぶつけても仕方がない。底の見えない未知の新興勢力をぶつけるしかない。・・・そこで境師が賭けたのが、谷岡牧場ではサクラエイコウオー、サクラスーパーオーより期待されていた大器・サクラローレルが持つはずの、無限の可能性だった。

『ダービーの秘密兵器』

 境師は、2勝馬のサクラローレルをダービートライアル・青葉賞(Glll)に送り込むことにした。確かにサクラローレルはいまひとつ伸び悩んでいたが、芝の長距離で走らないはずがない血統に賭けた。そういえば、これまで負けた芝のレースは全部マイル戦だった。敗因が距離不足にあったとすれば、府中競馬場の芝2400mが舞台となる日本ダービー(Gl)は、むしろサクラローレルにとってうってつけなのではないか。

 ダービー本番と同じコースで行われ、さらに上位3着に入ればダービーの優先出走権が与えられる青葉賞は、サクラローレルの実力、そして打倒ナリタブライアンの可能性を測るための試金石と位置づけられた。逆に、ここで3着にすら入れないようでは、2勝馬に過ぎないサクラローレルはダービーへの出走自体が難しくなる。やや期待が先行してはいたものの、サクラローレルは、大きな使命と希望を託されて、初めて重賞の舞台に立ったのである。

 この日もサクラローレルの手綱を託された小島騎手は、この日はダービー本番を意識して、馬群の中での競馬を経験させようと考えていた。府中の芝コースの最大の特色は、広くて長い直線である。中団からの競馬をしても、不利を受ける可能性は小さい。本番ではナリタブライアンを見ながらの競馬になるのだから、相手関係がまだ楽な今のうちに、そんな競馬を経験させておく。それが、サクラローレルを「ダービーの秘密兵器」に仕立て上げようとする小島騎手の狙いだった。

『使えなかった切符』

 ところが、小島騎手の「先を見据えたレース」は、思わぬところで手間取る原因になってしまった。ダービーを意識して馬群の中に入れるまではよかったが、不利を受ける可能性が小さいはずの第4コーナーで、内に突っ込んだ際にささったり、馬群に進路をふさがれたりして、思うように身動きが取れなくなってしまったのである。

 小島騎手とサクラローレルが慌てて進路を探している間に、エアダブリン、ノーザンポラリスといったライバルたちは、ひと足早く馬群を抜け出してしまった。ようやく進路を見つけたサクラローレルが追い上げてきた時には時既に遅く、先に抜け出したエアダブリンとノーザンポラリスをとらえることができないまま、3着に敗れてしまった。レース後の小島騎手は

「勝てるレースを落としてしまった」

と悔やんだが、後の祭りだった。

 しかも、サクラローレルの悲運は、勝てるレースを落としただけにとどまらなかった。勝てなかったとはいっても3着には入ったことで、日本ダービーへの切符を確保したサクラローレルだったが、その後球節炎を発症したことから、戦線離脱を余儀なくされたのである。ダービーを2週間後に控えての戦線離脱により、サクラローレルが手にした切符は、無駄になってしまった。

 日本ダービー当日、サクラローレルを破った青葉賞勝ち馬のエアダブリンを5馬身ちぎって圧勝したのは、大方の予想どおり皐月賞馬ナリタブライアンだった。切符を手にしながらも使うことさえないままにダービーへの夢を絶たれたサクラローレルは、洗浄に立つことすらできない悲運の中で、春と二冠馬の背中を見送ることになった。

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