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サクラローレル列伝 ~異端の王道~

『新たなる王者の始動』

 天皇賞・春の結果を受けて、中長距離戦線の勢力図は大きく塗り変わった。それまで大勢を占めていたのは「ナリタブライアン、マヤノトップガンの二強」という見方だったが、ナリタブライアンがターフを去ったことで、彼の位置には彼を負かしたサクラローレルがそのまま入り込むことになった。

「マヤノトップガンか、サクラローレルか・・・」

 後は、彼らの争いに食い込む新興勢力がどれだけ現れるか。それが、競馬界の大勢の見方だった。

 サクラローレルは、天皇賞・春の後、早い時期から秋の大目標を天皇賞・秋(Gl)での天皇賞春秋連覇に定めた。春競馬のフィナーレを飾る宝塚記念(Gl)には見向きもせずに休養へと入ったサクラローレルは、オールカマー(Gll)から秋を始動することになった。

 天皇賞・秋を目指す古馬の場合、ステップレースはオールカマーより後に行われる毎日王冠(Gll)か、京都大賞典(Gll)を使うことが多い。しかし、そこであえてオールカマーから始動した背景には、境師らが抱くサクラローレルに対するある不安があった。

 サクラローレルは、もともと体質が弱かった上に度重なる故障の影響もあって、疲労による負担が脚部にかかりやすく、さらに1度レースを使うと疲労がなかなか抜けない、という欠点があった。無理なレース使いは、故障の再発の原因となるにとどまらず、一度競走能力喪失とまでいわれた骨折を経験している彼にとっては、予後不良となりかねない大きな故障へとつながる危険も高かった。

 境師は、天皇賞・秋でサクラローレルの状態をピークに持っていくために、まず天皇賞・秋を基点としてそこからローテーションを組むこととした。そうすると、本番まで中2週となる毎日王冠(Gll)か京都大賞典(Gll)からの始動では、他の馬ならともかく、サクラローレルには良くない結果をもたらす。少しでも有利な形に持っていくため、少しでも余裕のあるローテーションをとりたい、という思いがオールカマーでの始動という結論を導いた。また、オールカマーから始動するとすれば、宝塚記念を使っていては、夏の休養が取れなくなってしまう・・・。サクラローレルのローテーションは、すべてが必然に従って決められていった。

 宝塚記念を使わなかったことで十分な「夏休み」をとり、他の一流馬よりも少し早めに美浦へと帰ってきたサクラローレルは、境師の青写真どおり、オールカマーから動き始めた。目指すものは、タマモクロスに続く史上2頭目の天皇賞春秋連覇だった。

『高まる期待』

 サクラローレルにとって秋の初戦となったオールカマーには、マヤノトップガンも出走してきていた。マヤノトップガンは、阪神大賞典、天皇賞・春の敗退で評価を落としたとはいえ、サクラローレルもナリタブライアンもいない宝塚記念(Gl)ではあっさりと優勝し、他の馬とは底力が違うことを示していた。ナリタブライアン去りし後、天皇賞・秋でサクラローレルの最大のライバルとなるのは、マヤノトップガンのはずだった。

 しかし、天皇賞・秋に先立つ「二強対決」は、サクラローレルの圧勝に終わった。好位からの抜け出しで、2着に2馬身半差をつけて危なげなく優勝・・・という結果と内容は、秋の大目標に向けて上場の滑り出しだった。そして、サクラローレルの2馬身半後ろにいたのは、マヤノトップガンではなく重賞未勝利のファッションショーだった(後に統一GlllのマリーンCで優勝)。

 マヤノトップガンは、サクラローレルと違って「宝塚記念も天皇賞・秋も」優勝を狙い、宝塚記念の後、オールカマーに臨んでいた。かなり過酷なローテーションと言わなければならないが、さすがに連戦の疲れもあったのか、マヤノトップガンはサクラローレルだけでなく、ファッションショー、マキバサイレントといった格下の馬たちにすら先着を許す、屈辱的な4着に沈んだ。

「ローレル以外の馬に負けるなんて・・・情けない」

 こんなものは、中長距離戦線を支える両雄の1頭の競馬とは言えない。田原騎手の歯ぎしりも、当然のことだろう。

 このレース結果は、1戦だけの結果にとどまらず、秋の勢力図全体に大きな影響をもたらした。天皇賞・春に続き、ここでもサクラローレルがマヤノトップガンに圧勝したことで、競馬界には「この2頭の勝負付けはついた」という見方が広がっていったのである。

「この馬は、本当に強くなっている」(境師)
「このまま無事にいってくれれば、自然と結果はついてくるはずです」(横山騎手)

 陣営から飛び出すのは、充実期を迎えたサクラローレルへの賛辞と、きたる天皇賞・秋への自信のコメントばかりだったことも、そんな風潮に拍車をかけた。

「サクラローレルの天皇賞春秋連覇は固い・・・」

 そんな空気が、次第に競馬界を包んでいった。

『第114回天皇賞・秋』

 第114回天皇賞・秋(Gl)は、復活をかけるマヤノトップガンのほかにも、6連勝中で、そのうち重賞が4つという脅威の上がり馬マーベラスサンデー、前年の3歳王者で春のクラシックは骨折で棒に振ったものの、前走の毎日王冠(Gll)では休み明け、古馬との初対戦ながら3着に入ったバブルガムフェローといった豪華な陣容が揃った。だが、天皇賞・秋の当日、単勝250円で堂々の1番人気に支持されたのは、天皇賞春秋制覇を目指すサクラローレルだった。

 この日のサクラローレルは、大外不利といわれる東京2000mコースで、17頭だての16番枠に入ってしまった。また、天皇賞・秋といえば、1984年にミスターシービーが1番人気で勝って以来、1番人気が負け続ける「魔のレース」である。こうした材料が重なると、どうしても疑ってみたくなるのは予想の常である。しかし、ことサクラローレルに関しては、こうした不利な要素の重なり合いにもかかわらず、その信頼は強かった。

 サクラローレル陣営の自信は、大一番を前にして強まる一方だった。6歳秋といえば、名馬と呼ばれるたいていの馬は、衰えを見せ始める時期である。しかし、故障による休養が長く、6歳といっても実際に走ったレース数が少ないサクラローレルの馬体は若く、むしろ春よりたくましく成長しつつあった。レースを直前にして報道陣に囲まれた境師は

「何もいうことはない。これで負けたら乗り役が悪い」

と、抑え切れない自信を見せた。それは、根拠のない思い上がりでもなければ、三味線でもない確かな手ごたえに裏打ちされたものだった。それまで多くの名馬を手がけてきた境師が、サクラローレルの成長、状態を十分に観察した結果、天皇賞春秋制覇という偉業達成の確信に至った。ナリタブライアン、マヤノトップガンといった強豪たちを相手に正面から戦い、そして勝ってきたサクラローレルは、この日まさに究極の状態となっていたのである。

 当日競馬場に入ったサクラローレルの姿も、境師を満足させるに足りるものだった。翌年2月に定年を控える老伯楽の天皇賞春秋制覇の夢はすぐそこまできている。「1番人気が勝てない天皇賞・秋」「大外不利の府中2000」といったジンクスすら、完全に仕上がった名馬による栄光の道を阻むことはできない。・・・そのはずだった。

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