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サクラチヨノオー列伝~府中に咲いた誓いの桜~

『思いのままにならぬもの』

 最優秀3歳牡馬を逸したサクラチヨノオーの目標は、通常の馬がそうであるような、クラシックを勝つことではなく、自らが世代最強であることを誰もに認めさせることだった。朝日杯3歳Sを制しながらサッカーボーイより下位に置かれた無念を晴らすためには、ただクラシックレースを勝つことだけでは足りない。運とか、展開の紛れとか、そういったものを超越した絶対的な実力でもってサッカーボーイ以下のライバルをなぎ倒すことで、世代最強の実力を認めさせなければならなかった。

 しかし、世の中はなかなか思いのままにならぬものである。サクラチヨノオーが新たなる目標、そして4歳初戦として選んだ共同通信杯4歳S(Glll。現共同通信杯。年齢は当時の数え年表記)で、早くも挫折の危機に瀕してしまった。

 共同通信杯4歳Sは、もともとミスターシービーやダイナガリバー、また後にはアイネスフウジンやナリタブライアンなど、多くの春のクラシック馬を輩出した登竜門として知られているが、この年の出走馬を見ると、サクラチヨノオー以外に重賞勝ち馬はいなかった。実績面でサクラチヨノオーが断然抜けており、単勝240円のオッズが物語るとおり、負けてはいけない、否、負けるはずがないレースだった。

 だが、この日のサクラチヨノオーは、+4kgの体重以上に太め残しで、仕上がりが万全ではなかった。これは、クラシックに疲れを残さないことに気を取られた境師が、サクラチヨノオーの底力を過信して軽めの調教で臨みすぎたためだった。サクラチヨノオーは逃げたミュゲロワイヤルをとらえるどころか、後ろから来たモガミファニー、モガミナインといった格下の馬にもあっさりと差されてしまい、まさかの4着に敗退してしまった。

 本命馬の思わぬ敗北に人々は眉をひそめ、中には

「サクラチヨノオーは、府中のコースは苦手なのではないか」

という声もあがった。確かにサクラチヨノオーの戦績は5戦3勝となったが、2戦の敗北はいずれも東京競馬場でのものである。

 もし本当に「東京競馬場に弱い」としたら、それはこの年に限っていうならば救いようのない悲劇だった。なぜなら、この年中山競馬場は大改修工事のため、皐月賞も含めて春の関東での中央開催は、すべて東京競馬場で行なわれることになっていたからである。

 サクラチヨノオーがまずしなければならないことは、「東京に弱い」という声を払拭することだった。サクラチヨノオーが次走に選んだ弥生賞(Gll)は、例年は中山競馬場で行われているが、この年は東京競馬場で行われ、皐月賞とまったく同じ東京2000mでの開催となる。

 だが、移り気なファンは、もう「府中に弱い」サクラチヨノオーを弥生賞での主役とはみなさなかった。彼らの視線は、クラシック戦線への足がかりとして関西から東上してきた西の3歳王者サッカーボーイに集中した。

『対決・東西3歳王者』

 サッカーボーイは、前年の最優秀3歳牡馬であり、この年は弥生賞が初戦となる。競馬ファンのサクラチヨノオーとサッカーボーイに対する評価の違いは、サッカーボーイ160円、サクラチヨノオー550円という単勝オッズに何よりも顕著に表れていた。

 しかし、ファンからの人気が落ちたことは、サクラチヨノオーにとってはむしろ、レースの幅を広げる結果となった。共同通信杯4歳Sの敗因を反省した境師は、今度こそ同じ過ちは繰り返さないとばかりに厳しい調教で臨み、この日は万全な状態でレースを迎えていた。そうした体調に加えて、人気に縛られない作戦のフリーハンドを得た小島騎手は、朝日杯と同じように自ら先頭でレースを作る積極策に出た。

 サクラチヨノオーが先手を取ったものの、この日は朝日杯でのツジノショウグンのように、明確な意志をもってサクラチヨノオーと競り合う馬はいなかった。本来的には逃げ馬とはいえないサクラチヨノオーが逃げを打つ形となったことでペースはスローに落ち着いたものの、圧倒的1番人気を背負ったサッカーボーイが後方待機策をとったため、他の騎手たちの注意も後ろに集中した。・・・それは、サクラチヨノオーにとって願ってもない流れだった。

『戦塵再起』

 こうしてサクラチヨノオーが支配したレースも、さすがに第3コーナーあたりからは流れが徐々に速くなっていった。後方にいたサッカーボーイの内山正博騎手が大外から早めに押し上げてくると、後続もそれに合わせてサクラチヨノオーとの差を詰めにかかる。

 しかし、自らスローペースを演出し、マイペースでレースを作ってきたサクラチヨノオーは、後続の仕掛けに対してセーフティリードを保ち続けるだけの余力を十分に残していた。もともとかかり癖があるサクラチヨノオーだったが、この日は前に1頭も馬がいなかったことで、完全に自分のレースをすることができていた。

 共同通信杯4歳Sの時とは違って調教でびっしり追われ、実戦もひとつ使われているサクラチヨノオーは、今度こそ直線に入ると末脚が伸びた。逆に圧倒的人気を集めたサッカーボーイは、完全にサクラチヨノオーの術中にはまった形となった。前が止まらない展開では、後方一気の差しや追い込みは決まりにくい。サクラチヨノオーとの差はもちろんのこと、馬群の中から一歩先に抜け出したトウショウマリオとの差も思うように縮めることができない。

 そしてサクラチヨノオーは、トウショウマリオに2馬身差をつけ、見事逃げ切り勝ちを収めた。サッカーボーイはトウショウマリオにもクビ差及ばない3着に終わり、東の3歳王者は、初めての直接対決で西の3歳王者を破ったのである。

 こうして復権をアピールした東の3歳王者サクラチヨノオーは、皐月賞に向けて高らかに名乗りを上げた。それは、最優秀3歳牡馬の選定の時、そして共同通信杯の後に投げかけられた批判や疑問に対するサクラチヨノオーと小島騎手の明快な答えだった。

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