シンコウウインディ列伝~数奇なる初代ダート王~
『自業自得の逸冠』
サンライフテイオーとの差を思うようには縮められないシンコウウインディだったが、それでも残り1ハロンの標識では、その差はわずかになったように見えた。サンライフテイオーの脚色は、もう一杯である。態勢を立て直して後方から迫るイシノサンデーも、届きそうにない。このままいけば、シンコウウインディがゴールまでに先頭に立つことは十分に可能・・・にも思われた。
ところが、シンコウウインディは、突然並んだサンライフテイオーに襲いかかり、嚙みついてしまった。岡部騎手も驚き、あわてたが、勝負が最高潮を迎えたところでの突然のアクシデントには対応しきれない。
しかも、この動きによってシンコウウインディの速度が大きく落ちた一方で、突然の攻撃を受けたサンライフテイオーは、驚いてもう一度加速した。・・・いったんほぼ並ぶかに見えたところから、サンライフテイオーは1馬身差の勝利を収めたのである。通算2勝目がスーパーダートダービーとなった彼にとって、これが生涯最後の勝利となった。
一方、自業自得とはいえ、嚙みつきに行った結果として敗れたシンコウウインディは、イシノサンデーの追い上げこそしのいで2着は死守したものの、ユニコーンSとは正反対の意味で、納得のいかないレースとなってしまったのである。
『ダート三冠戦線最終章』
スーパーダートダービーの敗戦によってダート三冠の夢を断たれたシンコウウインディだが、ダート三冠の戦いは続き、舞台を盛岡競馬場のダービーグランプリ(交流重賞)へと移すことになった。
ダービーグランプリは、ダートグレード構想の実現が迫る中で新設されたユニコーンSとスーパーダートダービーとは異なり、その創設は、1986年まで遡る。地方競馬の全国交流競走として新設され、この時点で既に10回開催されて「地方競馬の世代別王者決定戦」に向けて歩み、優勝馬は南関東3勝、笠松2勝、北海道・金沢各1勝、そして盛岡・水沢で計3勝・・・というものだった。11回目を迎えたこの年、その門戸が初めてJRAにも開放されたのである。
また、この年の盛岡競馬は、新競馬場「オーロパーク」が完成したばかりで、盛岡競馬のホースマンや競馬ファンは、新時代への期待に満ちていた。ダービーグランプリの出走馬もフルゲート12頭が埋まり、JRAからはシンコウウインディ、イシノサンデー、チアズサイレンス、ユーコーマイケル、他地区からはサンライフテイオー以外では笠松のフジノハイメリット、北関東のレイカランマンと新潟のラストヒットが出走してきていて、残りは地元馬たちである。
約2ヶ月の間に中山、大井、そして盛岡と各地を転戦する96年ダート三冠において、そのすべてのレースに皆勤したのは、シンコウウインディだけだった。地方馬にしてみれば、地元以外の開催の際に「他地域」枠にまとめられるため、地域のバランスという観点から自地区の代表馬を複数送り込むことが難しい・・・という宿命はあったにしても、ユニコーンSへの地方馬の出走が極めて低調だったこともあって、入れ替わりが激しかった出走馬たちの中で、ひとつの道を貫いたシンコウウインディは、ユニコーンS優勝、スーパーダートダービー2着の安定した成績がようやく認められたのか、イシノサンデーを抑えてようやく1番人気に支持された。
『混戦の中で』
この日のシンコウウインディの鞍上に岡部騎手の姿はなく、代わりに田中勝春騎手の姿があった。この日のダービーグランプリは土曜開催で、中央の3場開催と日程が重なり、岡部騎手も東京のメインレース・キャピタルS(OP)にプレストシンボリで参戦するため、館山特別以来となる田中騎手が鞍上に復帰したのである。
ただ、こけら落としからそう時間が経っていない盛岡競馬場だけに、騎手たちの間にも、騎乗方法は確立されていない。サンライフテイオー、イシノサンデーが先行する中で、シンコウウインディはレースの序盤こそ好位につけたものの、小回りなコースに戸惑ったのか、やがて後方へと下がっていく。・・・小回りコースの中で、馬たちの進路も明らかに交錯する中で思うように進出もできず、競馬のスムーズさを欠いている。
イシノサンデーが第3コーナー手前から仕掛けて第4コーナー手前では先頭に立つ積極的なレース運びを見せたのに対し、シンコウウインディは前に向けた進路を確保することに汲々とし、第4コーナーを回って直線に入るまで、「前に向かってまっすぐ走る」態勢づくりの段階で苦しんでいた。・・・この差は大きいと言わなければならない。
『みちのくに散った夢』
シンコウウインディは、見せ場らしい見せ場も作れないまま、先に抜け出したイシノサンデーの背中を見送るばかりだった。結局シンコウウインディは、イシノサンデーどころか、2着ユーコーマイケルからも4馬身遅れての3着に終わった。3着と言っても、内容的には惨敗だった。
シンコウウインディのダート三冠は、繰り上がり優勝、2着、3着という結果となった。この年唯一のダート三冠皆勤馬になるとともに、そのすべてで上位に入った安定性は、評価されてしかるべきものである。だが、そのひとつの「優勝」が繰り上がり優勝だったこと、ふたつの敗北が「無駄な敗北」と「完敗」だったことは、シンコウウインディ陣営にとっては何か釈然とせず、フラストレーションを募らせる結果となった。
4歳時のダート三冠でのシンコウウインディは、一定の戦績は残したものの、能力の高さだけではなく、気性的な弱さや脆さをもさらけ出す結果となってしまった。完成の時期は、まだ訪れていなかった。