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ダンツフレーム列伝 ~焔の墓標~

『迷いの代償』

 だが、サラブレッドとは、もともと競馬という戦いに特化するために生み出された種族である。そんな彼らにとって、本来「迷い」は友とすべきものではないはずだった。・・・ダンツフレーム陣営が捨てられなかった迷いは、彼ら自身が主戦騎手を失うという形で代償を支払わされることになった。

 ダンツフレームの主戦騎手は、きさらぎ賞、アーリントンCで彼の手綱を取った武豊騎手だった。ところが、ダンツフレーム陣営が皐月賞への出否そのものを迷っているうちに、武騎手の方から

「皐月賞での騎乗はできない」

と騎乗を断られてしまったのである。

 武騎手は、当時欧州への長期遠征中だった。「日本で重要なレースがある時は、戻ってくる」ということで現地のホースマンたちに了承を得てはいたものの、乗るか、乗らないかがはっきりしない状態で放置することは、彼らに対する非礼に当たる。まして、いくら皐月賞とはいっても、出走するかどうかさえ分からない1頭のために、いつまでも予定を空けておくことはできなかった。

 結局、ダンツフレームが皐月賞への出走を正式に決めたのは、皐月賞の週に入ってからだった。山内師が武騎手に代わるダンツフレームの騎手に選んだのは、新馬戦でも彼の手綱を取っている藤田伸二騎手だった。

 藤田騎手は、もともと山内師からの騎乗依頼が多い騎手の1人だった。さらに、藤田騎手には本来のお手馬としてすみれS(OP)を勝ったチアズブライトリーがいたものの、ダンツフレームと同様に中山開催を嫌い、しかもこちらは本当に皐月賞を回避して青葉賞(Glll)からダービーを目指すという僥倖も重なり、皐月賞ではちょうど藤田騎手の手が空いていた。

 藤田騎手は、チアズブライトリーとの関係もあって、「1戦限り」という約束でダンツフレームの鞍上に復帰することになった。こうしてダンツフレームは、藤田騎手とのコンビでクラシック第一冠・皐月賞に臨むことになったのである。

『ただ、戦うために』

 皐月賞当日、単勝130円という断然の1番人気に支持されたのは、無敗の3連勝で弥生賞を圧勝し、皐月賞に王手をかけたアグネスタキオンだった。これに単勝370円で続くのは、4戦3勝2着1回で唯一の敗戦はラジオたんぱ杯3歳Sでアグネスタキオンの2着だったジャングルポケットである。

 そんな強豪たちに立ち向かうため、藤田騎手とともに中山競馬場に姿を現したダンツフレームは、人気順こそ3番目ではあったものの、そのオッズは1680円と大きく離されていた。このオッズでは、せいぜい「単穴」「伏兵」という域を出ないというのが正直なところである。

 そんな雰囲気の中でのスタートではあったが、ダンツフレームは、勢いよくゲートを出たシュアハピネスがそのまま引っ張るというレース展開をにらみながら、馬群の中団へとつけた。大本命のアグネスタキオンが5番手の好位を確保して横綱競馬を展開する作戦なら、対抗のジャングルポケットは、後方での待機策をとっている。有力馬たちがそれぞれの思惑を秘めて策謀をめぐらし、戦いの火はより激しく燃え上がる。

 前半1000mを59秒9で通過する澱みのない流れは、やがてシャワーパーティーがシュアハピネスに絡んでいったことで、より激しく危険なものとなっていった。道中で息を入れることが許されない激しい戦いは、馬自身の地力・・・特にスタミナが直接問われるとともに、わずかの失策によってレースそのものが終わってしまう危険を秘めている。それが、2001年のクラシック戦線第一弾・第61回皐月賞だった。

 そんな繊細な戦いの中で、直前まで出否が決まらなかったダンツフレームには、どうしても調教が1本足りず、スタミナに不安が残りがちだった。その上、ダンツフレームは第1コーナーで、他の馬に接触される不利も受けていた。

 しかし、ダンツフレーム自身は、環境や戦場を選ぶことができない。彼を含めたすべての出走馬たちに課せられた使命とは、等しくただひとつの王者の地位を目指すことである。そして、王者たる者に求められるのは、いかなる条件でも、いかなる状況でも勝ち続けることである。その王者を志す彼らにとって、調整過程やレース中の不利など、使命を果たせぬ言い訳にもならない。彼らに許されるのは、ただ与えられた舞台で戦うことだけだった。

『野性の証明』

 レースが次第に佳境を迎える中で、スタンドを埋め尽くすファンの視線は、自然と大本命アグネスタキオンの方へと集中していった。そんなファンの視線・・・想いに応えるように、前年の日本ダービーを制したアグネスフライトの全弟が動き始めた。通算3戦3勝、弥生賞(Gll)とラジオたんぱ杯3歳S(Glll)の覇者であり、彼ら兄弟を管理する長浜寛之調教師をして

「新馬戦で『三冠』を意識した」

と震えさせた逸材の満を持した仕掛けに、中山のスタンドが大きく揺れる。アグネスタキオンの鞍上を務める河内洋騎手の手綱は、しびれるような手応えに震えていた。

 だが、万全の手応えで上がっていくアグネスタキオンと河内騎手の後方に、前半では彼らからかなり離されていたはずのダンツフレームと藤田騎手の姿もあった。ダンツフレームと藤田騎手は、レースの後半に入ると外を衝いて前線に進出し、第4コーナーまでにアグネスタキオンのすぐ後方につけることに成功したのである。

「アグネスタキオンを差せば、勝利はそのままついてくる」

 藤田騎手は、この日のレースを、そう位置づけていた。それを「作戦」と呼ぶのかどうかは、分からない。ただ、藤田騎手は、知性ではなく騎手としての野性によって、このレースの「本質」を確信していた。・・・彼らを待っている次の瞬間がどのようなものか、その残酷さにも気づかぬままに。

『見せつけられた力』

 ダンツフレームは、アグネスタキオンを追いかけながら第4コーナー、直線入口を迎えた。・・・だが、その時アグネスタキオンとの勝負に没入しすぎた藤田騎手は、はっと我に返る。気がつくと、自分たちはいつの間にかアグネスタキオンではない別の馬たちによって、左右を囲まれてしまっていた。

 アグネスタキオンをとらえるために、これから最後の位置どりを動かさなければならない、その時の不利だった。動かないのではなく、動けない。レースの最終局面でのミスは、あまりに重い意味を持っていた。

 好位にいたアグネスタキオンが一歩先に馬群から抜け出した時、ダンツフレームは仕掛けが遅れ、とっさについていくことができなかった。アグネスタキオンの一瞬の末脚の前に、ダンツフレームは置いていかれる。さらに外からは、後方から押し上げてきたジャングルポケットが襲いかかってくる。藤田騎手の背中を、焦燥と絶望が追いかけてくる。

 しかし、ダンツフレームは頑張った。「マイラー」という声に反発するように、それまで走ったことのない未知の距離に突入しながらも、力強い末脚を繰り出した。いったん並ばれたジャングルポケットとも、最後の力を振り絞って激しく叩き合い、ついには逆に競り落としてしまった。

 残る敵はただ1頭だった。それが、1馬身ほど前にいるアグネスタキオン。皐月賞を勝つためには、アグネスタキオンに勝たなければならない。アグネスタキオンに勝てば、皐月賞の栄冠は彼らのもの。

 ・・・だが、ダンツフレームの必死の追跡もむなしく、アグネスタキオンとの差がそれ以上縮まることはなかった。ダンツフレームは懸命に抗ったものの、最後にもう一度脚を伸ばしたアグネスタキオンの圧倒的な末脚の前に、逆に突き放されていく。

 ダンツフレームは、アグネスタキオンから遅れること1馬身半差の2着に敗れた。藤田騎手は、この日の敗北について、

「不利が痛かった・・・第1コーナーではボーンキングに当たられないように、第3コーナーから第4コーナーでは、内から外からぶつかり、ぶつけられたり・・・そういう競馬。それでも2着にくるんだから、強い馬だよ」

と悔やんだ。だが、結果は結果である。いくら悔やんでも、ダンツフレームは皐月賞馬になれず、アグネスタキオンに力の差を見せつけられた。それがただひとつの現実だった。

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