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ダンツフレーム列伝 ~焔の墓標~

『烈日の秋』

 通算成績8戦4勝、2着4回。皐月賞2着、日本ダービー2着。・・・100%の連対率を維持しながら、Glの栄光にはまだ手の届かないダンツフレームにとって、3歳秋は、春の雪辱をかける季節であった。

 秋のダンツフレームの目標は、菊花賞(Gl)に置かれた。それまで「母の父サンキリコ」という血統、そして彼自身の競馬内容ゆえに「距離の壁」が指摘され続けてきたダンツフレームだが、2400mのダービーで2着に入ったことにより、その懸念には一応の決着をつけた形となっていた。

 過去の春のクラシックで、ダンツフレームと同じく皐月賞、ダービーで2着に入った馬は、全部で11頭いる。このうち1968年のタケシバオーら4頭は、菊花賞には出走できなかったが、菊花賞に出走した残りの7頭のうちキタノオー、グレートヨルカ、ダイコーター、ビワハヤヒデの4頭は、見事に菊花賞を手にしている。他の3頭も、1958年のカツラシュウホウが2着、51年のイッセイが3着と立派な成績を残しており、菊花賞で惨敗したのは82年のワカテンザンの7着だけ、と言っていい。ダンツフレームの実績は、もはやそれほどの領域に達している。ダンツフレーム陣営が恐れたのは、「距離の壁」を恐れるあまり消極的となってしまい、馬が本来持つはずの実力を発揮できない危険性だった。

 彼の存在は、果たして「ビワハヤヒデ」なのか「ワカテンザン」なのか。その答えを確かめるため、ダンツフレームの秋が始まった。ダンツフレームの始動戦は、神戸新聞杯(Gll)に決まった。この日の出走馬には、ダービーでの5着敗退から巻き返しを誓う大器クロフネ、骨折で春のクラシックを断念したものの、悪夢の故障からようやく復帰を果たした無敗馬アグネスゴールド、春に移行した京都新聞杯(Glll)の勝ち馬テンザンセイザらが揃っていた。

 しかし、そんな既成勢力を押しのけて1番人気に支持されたのは、ダービー当日の駒草賞(OP)を勝った後、夏に急上昇してついに札幌記念(Gll)をも制した上がり馬エアエミネムだった。ダンツフレームは、プラス10kgと太目残しの出来だったこともあって、エアエミネム、クロフネに遅れる3番人気にとどまった。

 そして、この日のダンツフレームは、初めての「完敗」を喫した。直線で鋭い豪脚を炸裂させたエアエミネムからは1馬身以上遅れ、それどころかサンライズペガサス、クロフネにも完全に置き去りにされての4着・・・それは、ダンツフレームの生涯で初めて連対を外したことを意味していた。ダンツフレームの秋は、むしろ屈辱と不安によって幕を開けたのである。

『陥った陥穽』

 巻き返しを図るダンツフレーム陣営は、菊花賞に勝負を賭けて、ダート路線を歩むクロフネと路線が分かれたことで手の空いた武騎手を鞍上へと呼び戻した。また、ダンツフレーム自身もひとつ使った強みで調子が上向いたのか、菊花賞の頃には神戸新聞杯当時とは比べ物にならないくらい動きがよくなっていた。

 菊花賞でのダンツフレームの単勝オッズは420円で、1番人気のダービー馬・ジャングルポケット(230円)に次ぎ、神戸新聞杯を勝ったエアエミネム(450円)をも上回る支持を集めた。秋の初戦で敗れたにも関わらず、ファンは武騎手を呼び戻したダンツフレームに、熱い期待を寄せていた。

 ただ、菊花賞当日のダンツフレームは、身体が重く見えた。馬体重を見ると、ただでさえ前走の神戸新聞杯ではデビュー以来最も重かったのに、今度は前走よりさらに6kg増え、496kgもあったのである。

 しかも、いざ菊花賞のゲートが開くと、ダンツフレームは最後方から競馬を進めた。・・・それは大レースで武騎手が採ることが多くなっていた「後方一気」に賭ける作戦なのか、それとも単に動きが重かっただけなのか。真実が見えないまま、レースだけが刻一刻と進んでいった。

 この日のレースを支配したのは、果敢に先行した11番人気・マイネルデスポットだった。その積極策で緩やかな単騎逃げを打ち、後続に4、5馬身のセーフティリードを保ってレースを進めるマイネルデスポットに、場内は大きく沸いた。

 「長距離の逃げ、短距離の追い込みに気をつけろ」とは、競馬界の有名な格言である。普通に考えれば、スタミナ勝負となる長距離での逃げ、先行馬が止まるほどの距離がない短距離での追い込みは、勝てる確率が小さいように思える。だが、そうだからこそ、常識の裏側を衝くこれらの作戦は、過去にいくつものレースで大波乱を引き起こしてきた。マイネルデスポットの逃げはあまりに緩やかで、3000mという距離を加味してもなお、先行馬に有利な展開を刻んでゆく。・・・そんなマイネルデスポットによる陥穽に堕ち、最後方のダンツフレームは、逆に抜け出し難い迷宮へと落ち込んでいった。

『遠き栄光』

 マイネルデスポットの超スローペースが功を奏し、最後の直線に入っても、後続馬たちはマイネルデスポットと差をなかなか縮めることができなかった。人気薄ゆえにマークも受けず、自らの思うがまま・・・あるいはそれ以上にいい形のレース展開を作り出したマイネルデスポットは、完全に後方の馬たちの末脚を封じ込めることに成功したのである。そして、ダンツフレームは最も無惨にその策に堕ちた1頭だった。

 マイネルデスポットと後続の差が一気に縮まったのは、ゴール直前になってからだった。エアエミネム、ジャングルポケットといった人気馬たちが懸命に迫るが、とてもつかまらない。先頭に迫るのは、中団から早めに動いたマンハッタンカフェだけである。そして、馬群の隙間を縫って上がっていくダンツフレームも、ゴールする前からはっきりと敗北を悟っていた。

 ゴール直前でマイネルデスポットをとらえて菊花賞馬に戴冠したのは、単勝1710円の6番人気・マンハッタンカフェだった。11番人気のマイネルデスポットが2着に残り、彼らの馬連は、実に46210円の配当をつけた。・・・これに対し、出走馬の中で最速の上がり3ハロン33秒9を記録したダンツフレームは、マンハッタンカフェ、マイネルデスポットらを脅かすことすらできないまま5着に敗れた。

「仕掛けからもたつき気味で、本来の切れではありませんでした。距離も不向きだったようです」

 武騎手は、そうコメントしている。3000mのレースで15頭の出走馬の中で最速の上がりを記録したのだから、一介のマイラーであるはずがない。だが、実際には秋のダンツフレームは、何かがかみ合わないまま不振が続いた。再起のためには、何かのきっかけが必要だった。

『色褪せる光芒』

 菊花賞で敗れたダンツフレーム陣営の選択は、3000mの菊花賞から一転して、1600mのマイルCS(Gl)への出走だった。3000mから一気に1600m・・・ほぼ半分の距離短縮は、勝利のきっかけをつかむためのあがきにも似た荒療治だった。

 マイルCSに揃った18頭の出走馬たちの中に、Gl馬はエイシンプレストンとトロットスターの2頭しかいなかった。Gl馬ではないが、皐月賞と日本ダービーで2着の実績を持つダンツフレームは、実績面ではトップクラスということができる。

 しかし、ダンツフレームに対する支持は、単勝860円の5番人気にとどまった。前記2頭のGl馬だけでなく、ダイタクリーヴァやゼンノエルシドといったマイルのスペシャリストたちにも遅れをとる人気は、クラシック戦線でこそ「距離不安」と言われ続けてきたダンツフレームだったが、実際に短距離戦線に挑むことへの不安と懐疑を顕著に物語っていた。

 そして、ここでのダンツフレームは、勝ったゼンノエルシドから約3馬身離された5着という結果に終わっている。確かに、掲示板は外さなかった。だが、それだけである。春まで一度も連対を外すことなく、皐月賞と日本ダービーで2着に入って栄光にあと一歩のところまで迫ったダンツフレームだった。そんな彼が、秋になってからは4着、5着、5着と馬券にすら絡めない着順が続いているのだから、それは後退以外の何者でもない。

 ダンツフレームがかつて放っていた光芒は、秋の不振の前に、次第に色あせようとしていた。ダンツフレーム陣営の表情にも、この頃から焦燥が色濃くなり始めていた。

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