『栄光は向こう側に』

　好スタートを切った後、ダンツフレームの位置どりを中団まで下げていた河内騎手は、テイエムサウスポーが作り出す予想外のハイペースの中にあっても、あくまでもじっくりと構えていた。彼は、こうした予想外の展開には、中途半端に巻き込まれることこそが一番危険であることを知っていた。

　しかし、ダンツフレームのライバルたち･･･角田晃一騎手とジャングルポケット、そして武豊騎手とクロフネは、激流の中へ自ら身を投じることを選んだ。最初ダンツフレームより後ろにいたジャングルポケットとクロフネが、やがてダンツフレームと馬体を並べ、抜き去っていく。スタート直後には前から2、3番手にいたダンツフレームは、レースの中盤ではいつの間にか後方から数えた方が早い位置まで後退していた。

　それでも河内騎手は、ジャングルポケット、クロフネから離されないように気をつけながらも、後方待機を貫いた。

「チャンスは、必ず来る･･･！」

　そう信じていた。

　すると、強引なペースでレースを引っ張ってきたテイエムサウスポーと後続との差が、みるみる縮まり始めた。やはり、暴走だったのである。壮絶に失速するテイエムサウスポーを尻目に、差を一気に縮めながら第4コーナーを迎えた河内騎手は、ダンツフレームを大外へと持ち出した。すぐ前にはジャングルポケット、クロフネがいる。彼らをかわした向こう側に、栄光のダービーのゴールがある･･･！

『届かぬ1馬身半』

　騎手たちの鞭が飛び、その手が激しく動く。馬たちは最後の死力を尽くし、そんな中でジャングルポケット、クロフネ、そしてダンツフレームの三強がゴールを目指してせめぎあう。

　最初に馬群から飛び出したのは、府中巧者のジャングルポケットだった。馬場の内では好位から伸びたダンシングカラーが懸命の粘りを見せていたが、勢いがあまりに違いすぎた。そんなジャングルポケットに続くのは、彼を取り囲むように内を占めたクロフネと、外を押さえたダンツフレーム･･･のはずだった。

　しかし、場内はすぐに異変に気づいた。飛び出したジャングルポケットにダンツフレームが続いたのに、当然ついてくるべきもう1頭･･･クロフネが伸びない。武騎手の叱咤もむなしく、3歳馬にしてはあまりに白い馬体が、もどかしくもがき、あえぐ。･･･クロフネは、終わった。

　3強の一角を占めた強豪が、沈んでゆく。そんな残酷な光景には見向きもせず、ダンツフレームはひたすらジャングルポケットを追った。府中の2400mコースを外、外と回ってきたダンツフレームだが、それはすべて河内騎手の作戦どおり。距離の不利を払ってもなお、まだ傷んでいない馬場は彼らにとって大きな価値を持っている。

　河内騎手のとった位置は、ジャングルポケットとクロフネのどちらが伸びてきても、すぐに対応できるものだった。ジャングルポケットが抜け出してクロフネが沈んだその時も、河内騎手とダンツフレームは、迷うことなく対応できた。コーナーを回る際にごちゃついて不利を受け、力を発揮し切れなかった皐月賞の悔いは、繰り返さない。彼らとジャングルポケットとの差は、わずかに約1馬身半･･･。

　だが、ダンツフレームにとっての本当の試練は、そこからだった。直線でのたたき合いでは、「先に動いたほうが不利」というのが定説である。ところがこの時は、先に動く形となったジャングルポケットに対してダンツフレームが万全の形で仕掛けたにも関わらず、その差がどうしても縮まらない。

「こんなはずじゃない･･･」

　そんなダンツフレーム陣営の焦燥は、間違いなく現実のものだった。「府中といえば、トニービン」･･･そんなトニービンの血が、ジャングルポケットの後押しをしているかのようだった。日本で一番長いことで知られる府中の直線が、この馬場を他のどの馬よりも愛するジャングルポケットの末脚の前では、むしろ短く感じられた。

『足りないものを求めて』

　ダンツフレームは、今度はジャングルポケットに1馬身半及ばず、2着に敗れた。この日の勝者と敗者を分けたのは、果たして展開だったのか、馬場だったのか。･･･否、おそらくそうした次元の何かではなく、もっと根本的なところで、ダンツフレームはジャングルポケットに及ばなかったのである。

　皐月賞に続く、日本ダービーでの銀メダルは、ダンツフレーム陣営の人々に、ジャングルポケットの強さ･･･というよりは、ダンツフレームの弱さを認めさせるものだった。

「負けは悔しいけど、最後は離され気味やったしな･･･」

　河内騎手は、レース後にそう話し、勝者を素直に讃えた。彼は、この日のレースから悟っていた。Glを勝つためには、ダンツフレームにはまだ何かが足りない。では、それはいったい何なのか･･･？最も重要な解答の部分は、秋へと持ち越された。

　宴のあとの東京競馬場では、勝者ジャングルポケットの勝利の咆哮が、ウイニングランのさなかに激しくこだました。ただ1頭の勝者と17頭の敗者･･･そんな明暗を鮮やかに映し出した華やかなスポットライトの陰で、敗者ダンツフレームは、静かに厩舎へと引き揚げていった。

「秋こそは、あの賞賛の中心に立つ」

　そんなダンツフレーム陣営の人々の思いを、その背中に背負ったままで。

　ひとつの戦いの終わりは、また新しい戦いの始まりである。ダンツフレーム陣営は、決意を胸に秘めながら、秋を飛躍の季節とするための闘志を熱く燃えたぎらせていた。