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ナリタタイシン列伝~鬼脚、閃光のように~

『果てしなき戦い』

 三冠の始まりを告げる皐月賞がナリタタイシンの末脚によって決着すると、競馬界の中心は日本ダービー(Gl)へ向かって動き始めた。日本ダービーは、クラシック戦線はもちろんのこと競馬界の頂点として広く認められる、日本最高の格式と権威を持つレースである。

 日本ダービーは、毎年皐月賞の上位馬同士で決着する例が多い。皐月賞で上位人気を形成したウイニングチケット、ビワハヤヒデ、そしてナリタタイシンの3頭が、すべて日本ダービーへの優先出走権が得られる皐月賞4着以内に入ったことで、ダービーの下馬評は

「ビワ、チケット、タイシンの三強決戦」

という声が大勢を占めた。皐月賞でも彼ら3頭が上位人気だったことは事実だが、3番手のナリタタイシンは、ウイニングチケットとビワハヤヒデから大きく離されていた。だが、ダービーは違う。ナリタタイシンは、皐月賞を勝ったことによって初めて、ファンから広く「三強」と認識されたのである。

 もっとも、世間が「三強」に染まっても、「三強以外」がそれで納得するはずもない。ダービートライアルのNHK杯(Gll)からはシンザン、ミホシンザンの系譜を継ぐマイシンザンが、皐月賞でビワハヤヒデに次ぐ3番手で入線しながら斜行で8着に降着となったガレオンを破った。青葉賞(OP)からは、弥生賞3着、皐月賞7着のステージチャンプが、皐月賞未出走馬たちに格の違いを見せつけた。その他にも様々な路線で実績を残した馬たちが次々と参入したこの年のダービーは、近年まれに見るハイレベルな混戦となっていた。

 この年のダービーのレベルの高さを物語る事実として、この年のダービー出走の最低ラインは、本賞金1700万円だったことが挙げられる。そのため、若草S(OP)を含む3勝を挙げて1700万円を稼いでいたロイヤルフェローが抽選に外れ、さらに2勝に加えて毎日杯(Glll)2着の実績を残していたエアマジックに至っては、本賞金1600万円ということで抽選に加わることさえできずに除外されたという異例ずくめのダービーとなった。

 そんなハイレベルな争いの頂点にある「三強」は、決戦を前にしてそれぞれの時を過ごしていた。

『決戦の予感』

 前年の朝日杯3歳S、そしてこの年の皐月賞と続けて2着に泣いたビワハヤヒデ陣営は、「皐月賞以上」という手応えを記者たちに隠さず、無念を晴らす強い意志を示していた。

「もう2着はいらない・・・」

 若葉S(OP)以降、「勝つために」岸滋彦騎手からの乗り替わりで手綱を取りながら皐月賞で2着に敗れた岡部騎手にとって、その思いは切なる願いであり、渇きだったに違いない。

 騎手生活27年目、19回目の挑戦にして悲願のダービー制覇を目指す柴田政人騎手の夢に賭けるウイニングチケット陣営は、記者たちの個別の取材は一切謝絶する「取材拒否」によって、ただひとつのレースに向けての集中力の維持に努めた。

「ダービーを勝てたら、騎手をやめてもいい・・・」

 そう公言してきた柴田騎手のダービーへの思い入れの強さ、そして普段は決して記者への対応をおろそかにしない誠実さを知る記者たちは、

「あの柴政がここまでやるとは、今年がダービー制覇の最後のチャンスと思えばこそだろう」

と語り合い、その覚悟の深さと重さに震えたという。

 そして、ナリタタイシン陣営へ目を移すと、武騎手にもなんとしても勝ちたい「理由」があった。当時の武騎手はダービー未勝利だったが、それに加え、この春に皐月賞のほか、ベガで桜花賞、オークスの牝馬二冠を制している。もしナリタタイシンで皐月賞に続いてダービーをも勝つことができれば、史上2人目の「同一騎手による春のクラシック独占」を果たすことができる・・・。

 岡部騎手、柴田騎手といえば、いずれも関東、そして日本を代表する名騎手であるとともに、旧時代を象徴するベテラン騎手だった。それに対する武騎手も、関西を代表する騎手から日本を代表する騎手への飛躍を遂げ、新時代を象徴する若手騎手と目されていた。そんな三人三色の騎手たちによる熱戦の予感に、ファンは誰もが胸を熱くしていた・・・。

『サイレント・ラン』

 1993年5月30日、東京競馬場。それは、第60回日本ダービーのために用意された神聖なる舞台となった。天気予報では「雨」と言われていたため天候が心配されたが、熱戦の予感が天を動かしたかのように雨も降ることなく、ナリタタイシンを含む1990年生まれの18頭のサラブレッドたちは、いよいよ決戦の時を迎えた。

 この日の単勝オッズは、ウイニングチケットが単勝360円、ビワハヤヒデが390円、そしてナリタタイシンが400円というものだった。1番人気から3番人気までの順番こそ皐月賞と同じだったが、その内実はまったく異なる。3頭の有力馬たちが、ないに等しい僅差のオッズでひしめいた第60回日本ダービーは、まさに「三強」による鼎立ダービーとなった。

 ファンの関心も、まずは「三強」の動向に向けられた。皐月賞では中団待機で敗れたウイニングチケットが、今度は弥生賞のような後方待機に賭けるのか。朝日杯3歳S、皐月賞と横綱競馬をしながら2着に敗れたビワハヤヒデの奇襲はあるのか。そして、皐月賞では見事に最後方からの追込みがはまったナリタタイシンだが、「ダービーポジション」の神話があるダービーでも、セオリーを無視して同じ競馬を貫くのか・・・。さらにはNHK杯の覇者マイシンザン、西の秘密兵器シクレノンシェリフ、未完の大器ガレオンといった伏兵たちの動向も相まって、この日の展開は極めて難解なものとなりつつあった。

 だが、岡部騎手、柴田騎手、そして武騎手は、少なくともこの時、既に作戦を決めていたようである。それぞれ王道を歩んできた彼ら、そしてその彼らが選んだ3頭にとって、レースとは「いかに己の力を出し切るか」というものだったのかもしれない。

 決戦のゲートが開くと同時に、1頭の騎手が落馬した。人気薄のマルチマックスに騎乗していた南井克巳騎手である。だが、他の馬たちは、真っ先に脱落した1頭のことを振り返る暇も、哀れむ余裕もないままに戦いの中へと入り込んでいった。

 アンバーライオンの逃げによってレースが形成され、戦いの形が見えてきたころには、ビワハヤヒデは馬群の中ほど、ウイニングチケットはやや後方につけていた。・・・ナリタタイシンは、一番後ろ。武騎手には、「第1コーナーで前から10番手以内にいないと勝てない」ダービーポジションのセオリーと妥協する意図などかけらもなかった。彼にあったのは、最高の舞台でナリタタイシンのすべてを燃やし尽くしたい、その思いただひとつだけだった。

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