TOP >  年代別一覧 > 1990年代 > ナリタタイシン列伝~鬼脚、閃光のように~

ナリタタイシン列伝~鬼脚、閃光のように~

『変転』

 こうして「平成新三強」の日本ダービーは終わった。皐月賞、日本ダービーという2度の名勝負を繰り広げた主人公たちが次に相見えるのは晩秋の京都競馬場、「最も強い馬」を決める菊花賞(Gl)となるはずだった。彼らは三冠ロードのフィナーレを飾る最後の戦いに備え、それぞれの夏をすごすことになった。

 日本ダービー馬ウイニングチケットは、夏の間は北海道へ放牧に出ることになった。激戦の疲れを癒し、英気を養うためである。これは、春のクラシックの主役としては、最もオーソドックスな夏の過ごし方であると言えた。また、皐月賞、ダービーとも2着に敗れ、無念のうちに無冠と終わったビワハヤヒデは、レースには使わないものの、栗東トレセンに残って連日の調教で徹底的に鍛え上げられることになった。馬房に氷柱をぶら下げながら、炎天下の栗東トレセンの坂路を駆け上がり続けた彼の夏は、後世の語り草となっている。

 だが、皐月賞馬ナリタタイシンの夏は、そのいずれでもなかった。ナリタタイシンは、クラシックの主役級の馬は滅多に使われない夏競馬のレースに出走するため、調整を続けたのである。・・・こうして別々の方法で菊花賞を目指した3頭の明暗は、秋にはっきりと分かれることになる。

『すれ違う運命』

 ナリタタイシンが次走に選んだのは、当時の真夏の名物レース・高松宮杯(Gll)だった。後にスプリントGlとして行なわれるようになった高松宮杯だが、当時は中京芝2000mで行なわれる真夏の名物Gllで、さらに主催者の意図としては4歳馬が古馬と激突するレースとして位置づけられていた。

 ただ、実際にはクラシックの主役級の馬は、夏にレース自体を使うことが少なく、このレースに出走する例もほとんどなかった。1988年に当時4歳馬だったオグリキャップが出走して古馬たちを一蹴したことはあったが、オグリキャップはクラシック登録がなかったために皐月賞、日本ダービーといったクラシック競走に出走していない。もしオグリキャップが日本ダービーに出走できていたとすれば、あえて高松宮杯に出走することもなかっただろう。

 そんなわけで、春のクラシックウィナーが高松宮杯に参戦するのは初めてとのことで、ファンの注目を集めており、この日ナリタタイシンに寄せられた単勝オッズは220円という断然の1番人気に支持された。出走馬のうちGl馬は2年前の桜花賞馬シスタートウショウだけで、本当の意味での一線級の相手ではなかったが、古馬との初対決としては上々の人気と言えよう。

 しかし、この日も最後方待機に徹したナリタタイシンは、ロンシャンボーイが形成するスローペースの逃げにはまり、ロンシャンボーイを最後までとらえきれないまま2着に敗れた。ラスト3ハロンの上がりは出走馬の中で最速だったとはいえ、単勝4940円の伏兵に逃げ切りを許したことは、皐月賞馬としては不満の残る結果と言わざるを得ない。

 そして、高松宮杯の後は、涼しい函館競馬場へ移動しつつ秋の菊花賞(Gl)へ向けた調整を開始したナリタタイシンだったが、そんな彼を待っていたのがさらなる悲運であることなど、ナリタタイシンの関係者たちにはまだ知る由もない。

『崩壊の序曲』

 秋競馬、そして菊花賞戦線の始まりを告げる神戸新聞杯(Gll)は、夏を順調にすごしたビワハヤヒデの圧勝で幕を開けた。「平成新三強」の中で最も早く頭角を現しながら春のクラシックで無冠に終わった無念を晴らすため、夏の間に鍛え上げられた馬体は、競馬界の新たな潮流を予感させるものだった。

 ライバルの新しい姿を見せつけられたナリタタイシンは、ウイニングチケットとともに、京都新聞杯(Gll)に出走することになっていた。・・・だが、レースを10日後に控えた追い切りで、ナリタタイシンに異常が発生した。検査の結果判明した「運動誘発性肺出血」は、文字どおり極度の疲労が原因で肺から出血する病気である。

 ナリタタイシンは、京都新聞杯を回避に追い込まれた。・・・しかも、その影響は京都新聞杯だけにとどまらなかった。ナリタタイシンが回避した京都新聞杯では、ウイニングチケットが驚異的な末脚を見せて優勝し、菊花賞への臨戦態勢を整えていった。そんなウイニングチケットとは対照的に、菊花賞の最後のトライアルを直前で回避したナリタタイシンは、菊花賞への出走すら危ぶまれる状態に陥ってしまった。

 ナリタタイシンの菊花賞の回避が噂される中、大久保師は、あくまでも菊花賞への出走にこだわった。そして菊花賞当日、ナリタタイシンは京都競馬場へと姿を現した。だが、ナリタタイシンの体調への不安は深刻で、ビワハヤヒデの単勝が240円、ウイニングチケットが280円だったが、ナリタタイシンのそれは1110円にとどまった。それでも3番人気にとどまったのは春の実績が買われてのことだったが、それすらレース後には、過大評価だったとはっきりすることになる。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
TOPへ