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エアシャカール列伝~みんな夢でありました~

『欧州遠征』

 ダービーで2着に敗れ、二冠はならなかったエアシャカールだが、森師はキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(国際Gl)への遠征を予定どおり決行する、と発表した。敗れたとはいえ、ダービーのレース内容は決して恥ずべきものではなかったし、何よりも日本のクラシック戦線から世界に通用する馬を出したいという森師の強い希望があった。

 森師といえば、フジヤマケンザンのころから海外志向が強い調教師として知られており、また生産牧場の社台ファーム・吉田照哉氏も、サンデーサイレンス産駒での世界制覇を誰よりも強く望んでいた。日本馬のレベルアップを世界に証明することを目指し、特に日本産の日本調教馬での遠征という点に価値を見出していた彼らにとって、3歳馬の斤量が古馬に比べて有利なキングジョージは格好の舞台だった。

 ・・・だが、キングジョージといえば、欧州競馬の上半期の総決算となる大レースである。この年はわずかに7頭立てだったが、それはこの年の出走馬に、前年の凱旋門賞(国際Gl)を制した欧州年度代表馬モンジューの名前があったことが大きい。前年に仏愛ダービーを制覇し、日本の夢を背負ったエルコンドルパサーを一蹴して凱旋門賞をも勝った欧州の王者。この年もタタソーズゴールドC(愛Gl)、サンクルー大賞典(仏Gl)を連勝している彼は、この日まで通算11戦9勝2着1回、連対を外したのは前年のジャパンC(国際Gl)のみである。ほかにも、この年のドバイシーマクラシック(国際Glll)を勝ち、いよいよ本格化の兆しを見せつつあったファンタスティックライト、日本産で欧州のステークスレースを勝ったことで話題を呼んだシーヴァの名前も見える。

 そんなメンバーの中で、エアシャカールは3番人気に支持された。欧州の競馬ファンにとって、日本馬は彼らの前に姿を見せることが少ない、非常に遠い存在だったが、それでも近年は進境著しく、ジャパンCでは96年のシングスピール、97年のピルサドスキーという欧州のチャンピオンホースに肉薄し、98年にはモンジューを負かしたということくらいは知っていた。そんな極東の島国からやってきたエアシャカールは、彼らの好奇心と射幸心をそれなりには刺激したようである。

『衝撃の一日』

 しかし、その結果はあっけないものだった。4番手から競馬を進めたエアシャカールは、一度最後方まで後退し、その後追い上げたものの、この日もササって体勢を崩してしまった。もっとも、この日に限ってはササった以前に実力の差があったことも事実で、ついに争覇圏に食い込むことはないまま、勝ったモンジューから8馬身ほど遅れた5着に敗れた。欧州・・・というより当時の世界最強馬だったモンジューの勝ちっぷりは圧倒的で、現地の新聞が

「モンジューはキャンターのまま勝った」

と報じたほどだった。一方、エアシャカールは、厳しい現実に直面し、分厚い世界の壁に跳ね返された形となった。

「エアシャカールは素晴らしい馬だ。だが、今回は力を出し切れなかったようだ」

というモンジューの管理調教師J.ハモンド師のコメントがむなしく響く完敗だった。

 こうしてクラシック馬といえども欧州の一線級にはまだ通用しない現実を見せつけられた森師だったが、レース後も

「機会があったら(エアシャカールを)また海外へ連れて行きたい」

と語っていた。一度は跳ね返された世界の壁だったが、日本競馬の宿願は、二度、三度と挑まなければ果たせるはずもない。早くから海外遠征の経験を持つ森師は、そのことを知っていた。・・・この時点でのエアシャカールの前には、間違いなく世界への夢、野望が広がっていた。キングジョージでの敗北は、未来へとつながる名誉ある敗北となるはずだったのである。よもや、この遠征がエアシャカールの最初で最後の遠征になるなど、当時の森師には知る由もない。

『狂った果実』

 英国遠征はキングジョージ1戦で切り上げ、そのまま帰国したエアシャカールだったが、この年から菊花賞の実施時期が早められた関係もあって、彼に休息をとる余裕はなかった。返す刀で帰国後の初戦となる神戸新聞杯(Gll)に出走することになったエアシャカールは、ここでいきなりダービー馬アグネスフライトと激突することになった。皐月賞馬とダービー馬による対決が、本番を前にして早くも実現するのである。

 ところが、そんな彼らの対決への期待は、あっさりと裏切られることになる。エアシャカールとアグネスフライトの両雄の末脚は、先行した夏の新興勢力フサイチソニックの前に、あっさりと封じ込められてしまったのである。しかも、調整過程で順調さを欠きながら、底力で2着を確保したのはアグネスフライトの方で、エアシャカールは夏もレースに使われてきた強みがありながら3着に敗れた。この日のエアシャカールは、直線であまりに何度もよれ、武騎手も満足に追うことすらできなかった。それは、菊花賞へ向けて暗雲漂うレース内容だった。

 皐月賞馬、ダービー馬が秋の初戦で敗れ、夏の上がり馬が勝ったという神戸新聞杯の結果は、菊花賞の波乱を予感させるものだった。ちなみに東のトライアル・セントライト記念では、前年のダービー馬アドマイヤベガの全弟にあたる良血馬アドマイヤボスが勝ち上がり、菊花の舞台に役者は揃うかに見えた。

 しかし、菊花賞でエアシャカールのライバルとなるべき馬たちは、次々と消えていった。まずフサイチソニックは、菊花賞ではなく天皇賞・秋(Gl)に進むことを表明したあげく、結局天皇賞・秋にも菊花賞にも出走することないまま左前脚に浅屈腱炎を発症して戦線を離脱し、そのまま引退してしまった。またアドマイヤボスも、距離適性を考慮して菊花賞を回避、アルゼンチン共和国杯(Gll)から有馬記念(Gl)を目指すことになった。

 ライバルたちが次々と消えた菊花賞は、結局エアシャカールとアグネスフライトの再戦、一騎打ちというのが大方の予想となった。だが、トライアル勝ち馬が不在となったことでアグネスフライトとの一騎打ちとなっても、エアシャカールが抱える問題点は、決して軽くなるわけではない。むしろ本番が近づくにつれ、彼らの心は苦悩に沈んでいった。

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