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エアシャカール列伝~みんな夢でありました~

『運命の日』

 2000年のジャパンCには、7頭の外国招待馬を含む全16頭が出走した。その中で単勝150円というジャパンC史上最高の支持を集めたのは、古馬中長距離完全制覇を目指す日本の総大将テイエムオペラオーだった。「魔物が棲む」といわれ、1987年のニッポーテイオーが勝って以来12年間1番人気が勝てなかった天皇賞・秋を1番人気で制し、2000年に入ってから無敵の6連勝を続ける「世紀末覇王」が、この年のジャパンC、そして有馬記念(Gl)の中心であることは明らかだった。

 「世紀末覇王」への挑戦者たちをみると、まずキングジョージで2着に入り、その後マンノウォーS(米Gl)を制してGl馬の仲間入りを果たしたファンタスティックライトが2番人気となり、その後にエアシャカール、アグネスフライトというこの年のクラシック勢が続いた。彼らの人気は宝塚記念(Gl)、天皇賞・秋(Gl)でテイエムオペラオーの2着となったメイショウドトウを上回っており、2000年クラシック世代による世代交代への期待をうかがわせる単勝オッズとなった。

 そして、この年のジャパンCが例年と異なっていたのは、「一流馬が出てこない」と批判されてきた3歳世代から、多くの有力馬が出走してきたことが挙げられる。二冠馬エアシャカール、ダービー馬アグネスフライト、オークス馬シルクプリマドンナ、NHKマイルC馬イーグルカフェ・・・。いずれも東京コースでの実績もあり、海外の強豪を退け、さらに既に古馬たちとの勝負づけを終えた感があるテイエムオペラオーを阻む新勢力として、彼らにかかる期待は大きかった。

 ・・・だが、東京競馬場へ姿を現したエアシャカールには、どことなく覇気がなかった。また、この日発表された馬体重も480kgで、菊花賞に比べてマイナス14kgという状態である。「菊花賞で重かった体重が元に戻った」というならともかく、それまで一度も490kg以下でレースを走ったことのない馬が、480kgちょうどでレースに臨むというのは、尋常ではない。この日のエアシャカールは、菊花賞に比べると、明らかにいまひとつの状態だった。

『崩壊』

 しかし、状態が悪くても、戦いの場から逃げるわけにはいかない。武騎手は、この日はダービーと同じように、後方につけて、第3コーナー手前からのロングスパートをかける作戦を採った。左回りの東京競馬場では、ラチを使って右によれることを防ぐためには外ラチ沿いを走ることになるが、コースが広い東京競馬場では、距離の大損を覚悟で外ラチ沿いに走るというのは自殺行為に等しい。この日武騎手が心がけたのは、なるべく右・・・外側に他の馬をおかないようにして競馬を進めることだった。すぐ外に馬がいなければ、右によれても他の馬に迷惑をかける可能性は少ない。

 後方待機策を採ったエアシャカールは、やがて向こう正面で一気に上がっていった。相手も歴戦の強豪ぞろいだけに、仕掛けを早めたのか。それはさておき、エアシャカールは他の馬をかわしてその位置を次第に押し上げ、第4コーナー付近では馬群の中団まで上がってきた。ダービーでは、ここからさらに伸びてきた。それまでエアシャカールが見せてきた直線での着実な末脚を再現できれば、好勝負は必至・・・そう思われた。

 だが、この日はダービーの時とは違い、エアシャカールの脚は、そこで止まった。前の馬たちには突き放され、後ろの馬たちには次々と差されていく。

 結局、失速したまま流れ込んだだけのゴール板で、エアシャカールは先頭から2秒1も離され、後ろには2頭しかいなかった。彼の着順表に刻まれたのは、「14着」という屈辱的な数字だった。それまでコース、距離に関係なく安定した成績を残してきたエアシャカールだったが、そんな実績と安定性は、この日すべて消し飛んだ。

『地に堕ちた栄光』

 しかも、この日の結果は、エアシャカールのみならず、彼と同世代の馬たちの評判を地に堕とすものだった。世代の王者たるエアシャカールが14着という結果は、それ自体が彼らの権威を傷つける。だが、エアシャカールの結果は、彼らの惨敗の中のほんのひとつに過ぎなかった。

 この日惨敗したのは、エアシャカール1頭だけではなかった。13着アグネスフライト、15着シルクプリマドンナ、そして16着イーグルカフェ・・・。ジャパンCに大挙して押し寄せた新世代の旗手たちは、立ちはだかる古馬の壁、世界の壁にことごとく跳ね返され、弄ばれ、踏みにじられた。

 彼らが惨敗したとしても、上位の着順が前評判とはまったく一致しない大荒れのレースでのことならば、その評判はそこまで傷つくこともなかったかもしれない。ところが、この日の上位の着順は、彼らの世代を除いた人気とほぼ一致していた。勝ったのが1番人気のテイエムオペラオー、2着が5番人気のメイショウドトウで、この組み合わせは1ヶ月前の天皇賞・秋と同じである。さらに3着は2番人気の外国招待馬ファンタスティックライト。・・・要するにこの日の結果は、上位人気の5頭からエアシャカール、アグネスフライトを抜いた3頭が3着までを占めた「固い決着」であり、実力をほぼ反映した結果だったのである。そんなレースで、エアシャカールらの世代が下位4頭を「独占」したという事実は、どのような意味を持つのか・・・。

「2000年クラシック世代は、実はとてつもなく弱い世代だったのではないか・・・」

 ファンの間からそんなささやきが漏れ始めたのも、無理のないことだった。彼らに対する評価は、たった一つのレース、わずか2分半足らずのジャパンCをきっかけに、無残にも地に堕ちた。これでは新時代を担うどころの話ではない。そして、彼らへの評価の暴落の影響を最も大きく受けるのは、彼らの世代を代表する強豪とされてきたエアシャカールだった。「準三冠」というエアシャカールの栄光は、彼自身の実力ではなく世代の実力が低かった幸運によるものなのではないか、という噂が流れることは避けられなかった。そして、それまで称えられてきたエアシャカールの栄光、捧げられた賞賛、そして陣営の世界への野望・・・そのすべてが、この日を境に、まるで夢であったかのように色あせ始めたのである。

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