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サクラローレル列伝 ~異端の王道~

『主役たちの陰で』

 中山記念で見事に復活を飾り、1年遅れで天皇賞・春戦線の有力馬として名乗りをあげたサクラローレルだったが、競馬界の大勢の注目は、サクラローレルではなく、阪神大賞典(Gll)で壮絶な叩き合いを演じた2頭の年度代表馬に集中していた。94年の三冠馬にして年度代表馬、そして前走で復活なったかに見えるナリタブライアンと、95年の年度代表馬であり、前年の菊花賞制覇以降、進境著しいマヤノトップガンである。

 天皇賞・春を前に、阪神大賞典で早くも激突した彼らの96年最初の対決では、直線での激しい叩き合いの結果、ナリタブライアンが競り勝った。彼にとっては、ちょうど1年前の95年阪神大賞典以来1年ぶりとなる勝利である。稀代のスターホースの復活に、競馬界は騒然となった。また、そのナリタブライアンに最後まで食い下がったマヤノトップガンの評価も高く、ファンの大勢を占めたのは、

「復活を遂げたナリタブライアンが優勢、崩すとしたらマヤノトップガン」

という予想だった。

 天皇賞・春当日の単勝オッズは、ナリタブライアンが170円、マヤノトップガンが280円であり、サクラローレルは、彼らに次ぐ3番人気とはいっても1450円で、二強からは大きく離されていた。「二強」の馬連オッズは200円という圧倒的人気を集めており、「二強」ならざるサクラローレルは、「打倒二強の一番手」ではなく「その他大勢の筆頭」にすぎなかった。

『夢が現実に変わる時』

 1年間待ちに待った大舞台を前にして、さすがの境師も、かなり神経質になっており、直前追い切りの時には

「追い切りが強すぎる」

と怒り、さらにレース前日の夜にも、馬の状態を見て

「細すぎる。こんな状態で天皇賞なんか勝てるか」

と担当厩務員を怒鳴りつけたという。だが、京都競馬場に現れたサクラローレルは、完璧に仕上がっていた。関東の調教師の中ではハードな調教で知られていた境師ですら「調教が強すぎる」「細すぎる」と見えたサクラローレルは、究極の馬体という形で完成に至ったのである。

 パドックに現れたライバルを見ると、まずマヤノトップガンの方は、明らかに入れ込んでいた。ナリタブライアンの方は、一応仕上がっているようには見えたものの、2年前に競馬観が変わるほどの衝撃を受けた全盛時のナリタブライアンを知る境師の目は、三冠馬が当時の状態には遠く及ばないことを見抜いていた。

「これならうちの馬にも勝算は十分ある・・・」

 境師は、パドックの気配から、はっきりとそう感じ取っていた。2年前、はるか仰ぎ見る雲の上の名馬だったナリタブライアンの三冠制覇を阻止するどころか、同じ舞台に上がることさえできなかったこと。1年前、ようやく本格化して天皇賞・春への出走直前までこぎつけながら、悲運のリタイアで断念したこと。そして、「競走能力喪失」と診断された後の、長く不安な中で過ごすしかなかった静かな戦いの日々のこと。だが、境師はこの時、それらのすべてがこの日のためにあったことを確信した。彼の夢は、もはや夢にとどまらず、現実へ向けた第一歩を踏み出していた。

『第113回天皇賞・春』

 ゲート入りの際にも、出走馬の中でひときわ目立つのは、田原成貴騎手が激しく入れ込むマヤノトップガンをなだめるのに苦労している光景だった。だが、サクラローレルは横山騎手とともに、平常心のまま戦いの舞台へと入っていった。

「ローレルの力を信じよう。チャンスは必ずある」

 横山騎手は、そう決めていた。彼がサクラローレルに騎乗するのは、中山記念に続く2度目である。しかし、彼にはそのレースで得た手応えだけで十分だった。スタート直後、サクラローレルは中団よりやや後ろにつけたが、馬の力を信じる彼には焦りも迷いもまったくなかった。彼は、馬の力を出し切ることだけを考えればいい。結果は後からついてくる・・・。

 すると、第113回天皇賞・春はマヤノトップガン、ナリタブライアンの二強の動きによって、次第に乱ペースとなっていった。最初に流れを作ったのは、レース前からの入れ込みが目立ったマヤノトップガンだった。サクラローレルよりも後方からのスタートとなったマヤノトップガンは、1周目のスタンド前の歓声ですっかりかかったのである。

「もっと折り合いをつけてじわっといきたかった・・・」

 だが、そんな願いもむなしく、田原騎手も火が点いてしまったマヤノトップガンを抑えることはできず、マヤノトップガンは田原騎手の制止を無視して一気に進出を始めてしまった。

 マヤノトップガンの動きが3200mの長丁場を考えると早すぎることは明らかだったが、それでも「二強の一角」とされたマヤノトップガンが動いたことで、レース自体が大きく動いた。マヤノトップガンを中心に生まれた馬たちの流れは少しずつ、しかし確実に大きなものとなり、そして他の馬たちを巻き込んでいった。・・・そして、それに巻き込まれた馬の中に、ナリタブライアンもいた。

『動と静』

 マヤノトップガンが動いた当初、ナリタブライアンはまだ自分のペースを保っていた。日本競馬史上5頭しかいない三冠馬となった経験は、1頭の動きによって平常心を失うものではない・・・はずだった。

 しかし、マヤノトップガンが動いてしばらくすると、その背中に誘われたかのように、ナリタブライアンも動いた。それまではサクラローレルのやや後方か、ほぼ併走するような形でレースを進めていたナリタブライアンが、テイエムジャンボ、スギノブルボンの大逃げで道中のペースが落ち着いた・・・落ち着きすぎたこともあり、はやる心を抑え切れなくなってしまったのである。長い負傷による離脱から「ナリタブライアンにもう一度乗るために」復帰したばかりの南井騎手が、懸命に戦友を抑えようと手綱を絞ったものの、ナリタブライアンもまた、淀の2周目、長い長い上り坂で先頭との差を急速に詰めていった。

「これまで、こんなに引っかかることはなかったのに・・・」

 そんな南井騎手の焦りは、悲しいかな天皇賞が持つ独特の雰囲気に完全に呑まれてしまったナリタブライアンに伝わることはなかった。彼もまた、京都競馬場に棲む魔物の手を逃れることはできなかったのである。

 ・・・当事者たちの思いをよそに、ファンの圧倒的支持を集める「二強」が相次いで早い動きをみせたことで、レースは佳境へと入っていった。大歓声で彼らを迎えたスタンドが託すものは、阪神大賞典を超える名勝負への熱い期待だった。しかし、そんな展開の中で、サクラローレルは中団に構えたまま、あくまでもじっくりと構える姿勢を崩さなかった。横山騎手は、まだ動くべき時が来ていないことを知っていた。そして、サクラローレルも・・・。横山騎手とサクラローレルの道中の位置取りは、確かな作戦と確信に裏打ちされたものだった。

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