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サクラローレル列伝 ~異端の王道~

『一瞬の歓喜』

 マヤノトップガンは、2周目の下り坂で早くも先頭に立った。ナリタブライアンも、第4コーナー付近でマヤノトップガンに外から並びかけていった。二強それぞれの動きに、淀のスタンドは大きく沸いた。阪神大賞典では、ここから2頭の叩き合いとなった。天皇賞・春でもその再現、いや、それ以上の熱戦になるのではないだろうか・・・。

 だが、ファンの期待とは裏腹に、この時マヤノトップガンの鞍上田原騎手は、もう絶望的な心境に陥っていた。道中で折り合いを欠いていたマヤノトップガンは、この時既に手ごたえを失いかけていたのである。

 田原騎手は懸命に追ったが、馬の反応は鈍かった。直線入り口で2頭が並んだところまでは前走と同じだったが、その後はナリタブライアンがあっさりと前に出た。食い下がるはずのマヤノトップガンは、ナリタブライアンに食らいつくことができない。むしろ、ずるずると後退していく。

 期待した名勝負にはならなかったが、先頭に立ったナリタブライアンにより、場内の歓声はさらに白熱していった。かつて五冠の栄光を手にしたナリタブライアンが、夢にまで見た天皇賞で、ついに先頭に立ったのである。それは、彼らが待ちに待った光景だった。名勝負の再現への期待から、三冠馬の復活への祝福と歓喜へ。・・・だが、そんな予定調和の背後に、まったく異質のものが迫っていることにファンが気づくまで、それほどの時間はかからなかった。

『逆転の時』

 ファンが気づいた異質の何か・・・それは、ナリタブライアンの背後に外から迫る、もうひとつの影だった。そこにあるはずのなかったものが、確かにそこにあった。ただあっただけならともかく、その影は、馬群をあっさり突き抜け、そればかりかナリタブライアンとの距離をみるみる縮めていく。

 全盛期におけるナリタブライアンの競馬の最大の特色は、トップスピードに入った後は後続をみるみる突き放す、圧倒的な加速力にこそあった。「3馬身半、5馬身、7馬身」。このキャッチフレーズが物語るとおり、ナリタブライアンは、クラシック三冠のすべてで後続に圧倒的な着差をつけ、レースのたびに着差を拡げていった。全盛時のナリタブライアンを知るファンにとって、直線とは「ナリタブライアンのための場所」のはずだった。

・・・ところが、この日は様子が全く違っていた。確かにマヤノトップガンのことは、あっさりとかわした。他の馬たちも、寄せつけない。しかし、後ろから迫るひとつの影・・・すなわち目の前の現実は、彼らが作り上げた理と幻想を何よりも強力に否定していた。残り200m、これから伸びるはずの場所で、ナリタブライアンは伸びない。逆に、飛んできたピンク色の勝負服に追いつめられ、苦しんでいる。彼らのナリタブライアンを追い詰めているのは、誰なのか?

 この期に及んで、ようやく場内の大観衆は、サクラローレルのことをはっきりと認識した。飛ぶが如く駆けてくるその末脚は、確かに彼のもの。そして、サクラローレルがナリタブライアンをとらえた瞬間、スタンドからはいくつもの新聞が飛んだ。・・・だが、ナリタブライアンをとらえてなお、サクラローレルの脚は、止まる気配が微塵もない。

 前走ではマヤノトップガンとの馬体を併せた叩き合いになったナリタブライアンだが、相手は同じく年度代表馬であり、さらにナリタブライアン自身も長い不調にあえいでいた中での戦いだった。この日はその最大の敵を早々に競り落とし、完全復活したナリタブライアンの独壇場となるはずだった。蘇ったナリタブライアンを追い詰めることができるような馬など、いるはずがない。・・・だが、現実には、いるはずのない馬がいた。それが、サクラローレルだった。

『そして、時代が動いた』

 サクラローレルは、一気に突き抜けた。ナリタブライアンを並ぶ間もなくかわすと、そのまま引き離しにかかる。そして、ナリタブライアンには、もはや抵抗する余力は残されていなかった。

 ナリタブライアンをかわした時、横山騎手ははっきりと勝利を確信した。彼は、かつてはるか雲の上に仰ぎ見た名馬を打ち破ろうとしている。どんなに状態が悪くても、ナリタブライアンに勝てる馬など、そうそういるはずもない。だが、その数少ない例外である彼の馬がナリタブライアンを差し切ろうとしている。ならば、レースの行方は決まったも同然ではないか・・・。

 サクラローレルの末脚は、ナリタブライアンのそれを完全に凌駕していた。ナリタブライアンは、マヤノトップガンを競り落とした時点で既に末脚を使い切っており、2頭の差はたちまち残酷なまでに開いてゆく。大観衆が目にしたのは、宿命のライバル同士の死闘でもなければ怪物の復活でもなかった。それは、ひとつの時代を築いた名馬の時代が終わり、そして新しい王者が誕生する瞬間だった。

 ナリタブライアンに永遠の差をつけてゴールした瞬間、横山騎手はスタンドに向けて左腕を高々と差し出した。サクラローレルは、横山騎手が思い描いていたとおりの競馬で、古馬の頂点に立ったのである。勝ちタイムの3分17秒8は、天皇賞・春史上2番目の好タイムであり、五冠馬ナリタブライアンに2馬身半差をつけたその勝利は、どこからもけちのつけようがないものだった。

『長き闘争の果てに』

 ナリタブライアンは、1年前に天皇賞・春を目前にして故障を発症して戦線を離脱しており、この年の天皇賞・春の焦点は、悲願の盾を勝ち取れるかどうかだった。だが、盾を渇望していたのはナリタブライアンだけではない。サクラローレルもまた、1年前の天皇賞・春を不本意な形で断念していた。彼は、競走能力喪失ともいわれた重傷により、一時は引退の危機にさらされたのである。

 しかし、サクラローレルは地獄の淵から蘇った。盾を悲願とした2頭の明暗を分けたのは、状態の差もさることながら、実は見てきた地獄の深さだったのかもしれない。その日、サクラローレル陣営が凄まじい歓喜に包まれたことは、言うまでもない。

「とにかく今日は、サクラローレルの力を信じて乗りました」

 そう語ったのは横山騎手だったが、彼が繰り出した豪脚は、彼が想像した以上のものだった。サクラローレル陣営の長い戦いの日々は、この日大きな成果となって花開いたのである。桜の季節というには遅すぎる京都競馬場だったが、この年は冬の異常寒波の影響で、若干の桜がいまだ散ることなく残っていた。淀に残ったそんな桜の花は、遅すぎる開花の時を迎えたサクラローレルの戦いを象徴していたのかもしれない。

 こうして同期の怪物ナリタブライアンを破って古馬最強の地位に登りつめたサクラローレルの戦いは、その後新たな局面に入っていった。彼に敗れたナリタブライアンは、ファンの誰もを驚かせ、非難を浴びせられた高松宮記念(Gl)への出走と敗戦を経て戦場を去り、その後二度とサクラローレルとあいまみえることはなかった。ナリタブライアンを力で打ち負かし、王者の地位を取って代わったサクラローレルは、それからは挑戦者ではなく、中長距離戦線の王者として、他の馬たちからの挑戦を受けて立つことになった。

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