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ダンツフレーム列伝 ~焔の墓標~

『終焉へのカウントダウン』

 ダンツフレームの荒尾競馬への滞在・・・それは、最初から「1戦限り」という条件付きだった。しかし、そんな彼が荒尾競馬に残した足跡は、決して小さなものではない。

 宝塚記念馬が荒尾にやってくる・・・そんな「事件」のもとで、荒尾競馬はダンツフレームを前面に押し出し、短期間ながらも懸命な広報活動を行った。ダンツフレームの転入をきっかけに、荒尾競馬公式HPは飛躍的に知名度を高め、HPの案内役である「若葉ちゃん」もコアなファンの心をつかんだ。それは、各地で地方競馬の廃止が相次ぎ、ともに九州競馬の一角を占めてきた中津競馬も廃止されるという地方競馬への逆風の中で、荒尾競馬が自らの歴史を未来につなぐための懸命の知恵であり、また努力だった。

 そんな荒尾競馬にてダンツフレームが迎えた復帰戦・・・それは、荒尾競馬場のダート1500mコースで行われるかんなづき特別だった。中央競馬での最後のレースとなった2003年の宝塚記念から実に16ヶ月、ダンツフレームはようやく戦場に還ってきた。

 ダンツフレームにとって、かんなづき特別は久しぶり・・・あまりに久しぶりとなる実戦だった。もともと競走馬のレベルは、数ある地方競馬の中でもそう高くないとされる荒尾で、ダンツフレームは、本来彼が同じゲートに入ることのないような馬たちと同じゲートに入り、そして同じレースを走った。その結果は、やはりこの日が転入初戦だったシゲルカミナリの2着に敗れた。

 もっとも、シゲルカミナリは、血統を見るならGulch産駒の良血馬であり、中央競馬でも2勝を挙げた実績がある。実績的には勝ってほしいレースだったことは事実だが、ダンツフレームにとって、そもそもこの日は屈腱炎を克服し、実に16ヶ月ぶりのレースである。それを考えると「善戦」とも評価できる。ファンからは「1戦限り」のはずの荒尾競馬滞在を「勝つまで滞在してほしい」という声もあがり、ダンツフレームの復活の夢は、ほんの少し勢いを取り戻したかに見えた。

 だが、結局ダンツフレームの荒尾滞在は、予定通りこの1戦限りとなり、その後の彼は、宇都宮厩舎、そして荒尾競馬に別れを告げて、浦和へと転厩していった。・・・結果的に、それはダンツフレームの競走馬としての終焉へのカウントダウンとなってしまった。

『灯火は、消えた』

 ダンツフレームが再転入した南関東競馬・・・それは全国の地方競馬の盟主的存在であり、競走馬たちのレベルも、荒尾とは比較にならないほどに高い。ようやく復帰を果たした宝塚記念馬ダンツフレームだったが、彼のいるべき場所は、ここにはなかった。

 ダンツフレームは、彼の新しい本拠地となるべき地・・・かつて雷帝トロットサンダーを送り出した浦和競馬場の浦和記念(統一Gll)に出走した。・・・だが、2番人気に支持されたダンツフレームは、勝ったモエレトレジャーから3秒1も遅れた9着に敗れ、ファンの人気を大きく裏切った。

 ダンツフレームは、その後も東京大賞典(統一Gl)、川崎記念(統一Gl)と統一Glを転戦した。これらのレースで善戦すれば、いったんは彼を追った中央競馬のレースへも再び挑む道が開ける・・・。だが、その結果はあまりに無惨だった。最下位の14着、そしてブービーの11着・・・。屈腱炎という不治の病に蝕まれた彼の脚は、もはや現役馬たちの頂点での戦いに加わることを許さない状態にまで悪化していた。結果と同じくらい悲惨なレース内容には、かつてクラシック戦線、そして古馬中距離Gl戦線を沸かせたダンツフレームの面影はどこにもなかった。

 競走馬としてはもはや通用しないと判断されたダンツフレームは、川崎記念を最後に、現役を退いた。今度こそ、「本当の」引退であった。地方のダート競馬という未知の舞台で新たな局面を切り拓こうとしたダンツフレームの夢が実ることはなかったのである。

『焔の墓標』

 中央競馬を引退した際に種牡馬になることができなかったダンツフレームの場合、その後さらに地方競馬で大敗を重ねた現在となっては、もう種牡馬入りの可能性は現実的なものではなくなっていた。彼は、地方競馬全国協会が設置する地方競馬教養センターで、乗馬としての馬生を送ることになった。

 地方競馬供用センターとは、騎手をはじめ地方競馬の未来を担う人材を育成するための施設である。ダンツフレームの余生は、「元・宝塚記念馬」として、地方競馬の未来を担う若者たちとともに生き、明日を創るものとなる・・・はずだった。

 しかし、ダンツフレームの運命は、地方競馬教養センターへの転入から2ヶ月も経たない間に暗転した。夏というのに肺炎を発症したダンツフレームは、闘病もむなしく、2005年8月28日、まるで焔が吹き消されるかのように、はかなく逝った。それが運命に翻弄され、その果てに異端の道を歩まざるを得なかったグランプリホースの終着駅だった。

 宝塚記念馬ダンツフレームは、地方競馬教養センターでは落ち着いた生活をする暇もなく逝ってしまった。もっとも、同センターは敷地内にダンツフレームの墓標を立て、その功績を永く称えているという。かつて焔の名を与えられ、全力で時代を駆け抜けながらも時に利あらず、ついに燃え尽きたサラブレッドの墓標は、地方競馬の未来をつなぐものとして、果たして若者たちにどのように語り継がれているのであろうか。

『天の焔、生命の光』

 日本のトップサイヤーの1頭とされるブライアンズタイムを父に持ち、日高の牧場に生まれたダンツフレームは、最初「馬体のみてくれが悪い」「母の父がサンキリコでは、距離は持たない」などと言われ、彼を管理する山内師からさえ「なぜ走るか分からない」と評されていた。それでも彼は、クラシック戦線で善戦を続け、3度にわたるGlでの2着の果てに、ようやく宝塚記念でGlのタイトルを手にした。

 ダンツフレームの中央競馬での戦績は、22戦6勝である。数字にすると平凡に見えるが、このうち彼が掲示板を外したのは、わずか3戦のみで、「堅実で大崩れしない」という言葉が実によく似合う戦績といえよう。

 グランプリホースの栄冠を手にしたダンツフレームだが、安息と幸福へと導かれることはなかった。これは、「血のロマン」を標榜する競馬が直面する深刻な矛盾を物語っている。

 競馬はもともと「種牡馬(繁殖牝馬)選定競走」という性質を持っており、実戦で実績を残した馬たちの子孫を後世に残すことで、より速く、より強いサラブレッドをつくることを目的としている。その目的は、思わぬ副産物・・・父から子へと受け継がれる血のドラマ、あるいは血に託された下克上の夢といった、他の競技にはない競馬だけのロマンを生み出した。過去に幾度か存在した競馬の黄金時代は、競馬を他と区別する「血のロマン」と無縁には語れない。「競馬人気の低下」が叫ばれる現在に至るまで、日本で走った父の血を受け継ぐ「父内国産馬」や、予想もしないマイナー血統から突然現れた有力馬の人気は常に根強く、競馬人気を支えてきたのである。

 だが、ダンツフレームのように、基幹競走を勝ちながら「マイナーな血を持つ」がゆえに種牡馬になることさえできずに消えてゆく馬が増えれば、競馬を競馬たらしめてきたロマンは失われてしまう。・・・そこには「ダンツフレームの子」に託す思いもなければ、「雑草血統の下克上」の夢もない。

 ブライアンズタイムのライバル・・・というより生産界の唯一無二の巨星であったサンデーサイレンスは、ナリタブライアンが三冠を達成した94年に初年度産駒をデビューさせ、翌95年には早くもリーディングサイヤーの地位を奪い、大種牡馬としての栄光をほしいままにした。2002年8月に彼が死亡した後も、ディープインパクトをはじめとする後継種牡馬たちがその地位を守り続けた。だが、そんなサンデーサイレンスの後継種牡馬たちの血統は、憎々しいまでに最新流行の世界的名血、超一流血統ばかりが並んでいる。その後にブライアンズタイムの後継種牡馬たちの血統を見ると、あまりの違いに愛おしさすら感じてしまうほどである。・・・そんなブライアンズタイムの血を引くダンツフレームの運命は、すべてのマイナー血統の馬たちが直面する危機である。

 近年、「三大始祖」と呼ばれる血統の間でもさらなる寡占化が進み、ダーレーアラビアン以外の二系統はもはや存続の危機にさらされている事実が知られるようになった。「父ブライアンズタイム」の血統ですら、母の父によって「マイナー血統」として切り捨てられた時代の中で、生き残ることが許される血統の多様性など、いかばかりのものがあるというのだろうか。

 馬は、自らの意思で生きる道を選ぶことができない。ただ、自らの力で生きる道を勝ち取るのみである。だが、自らの力で栄冠を勝ち得たとしても、生まれる前から定まった別のものによって切り捨てられるとしたら、それほど悲しいことはない。ダンツフレームは、そんな悲しい運命をたどらざるを得なかった。

 自らの意思の及ばぬ大きな力に翻弄されながら、無情の流れに懸命に抗い、その向こう側に新たな地平線を切り拓こうとしたダンツフレーム。・・・だが、そんな彼の願いはついに時代に許されることなく、あたかもその存在すら許されなかったかのように、あまりに早い死を迎えてしまった。そんな彼を、私は悼む。

 競馬とは、人の夢である。だが、夢は人が自分自身のためになすものでしかない。ならば、人ならざるサラブレッドたちが夢の狭間でなくしたものを、彼ら自身がその手に取り戻す時は、果たしてあるのだろうか。彼の生涯の中に、そんな問いを投げかけずにはいられない。

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