ナリタタイシン列伝~鬼脚、閃光のように~
『皐月賞馬の敗北』
ナリタタイシンの三冠最後のレースは、無残な結果に終わった。この日の彼は、最後方待機策・・・と思いきや、実際には馬群についていくことだけで精一杯だったようで、春の豪脚を甦らせるどころか、見せ場をつくることさえできないまま、大敗したのである。18頭だての17着・・・。後ろには、レース中に心房細動を発症したネーハイシーザーしかいない。勝ったビワハヤヒデとの差は、実に9秒4もあった。あまりにも無残な競馬に、押し上げられた3番人気が悲しかった。
レースの後、大久保師のもとには、マスコミやファンから厳しい批判が殺到した。
「なぜあんな状態のタイシンを使ったのか」
「出れば人気になることは分かっている馬なのに、明らかに不完全な状態でレースに出すなんて」
だが、大久保師はそんな批判に対し、静かに目を閉じるのみだった。競馬の世界では、結果がすべてである。負けたら批判されることが分かっている使い方をして実際に大負けをした以上、どんな抗弁も言い訳にしかならないことを、彼はよく知っていた。
肺出血の傷跡と大敗の屈辱でぼろぼろになったナリタタイシンは、その後の3ヶ月間、実戦を離れることになった。3歳秋からずっと戦い続けてきたナリタタイシンは、大きな代償を支払うことで、ようやく休息の時を得たのである。
『屈辱の中から』
菊花賞の後、ナリタタイシンはしばらくの間、ターフから姿を消した。その間、体調の回復に心を砕いたこともあって、ナリタタイシンの体調は上向き、調教での動きも良くなり始めた。それを見た大久保師は、ナリタタイシンを翌年2月の目黒記念(Gll)で復帰させることに決めた。
ナリタタイシンが目黒記念に間に合うかどうかは、最後まで紙一重だったという。ナリタタイシンの動きは日を追うごとに良くなってはいたが、前年の春の状態まではなかなか至らない。また、時間が1日でも多くほしいにも関わらず、雪で調整の予定が狂ってあせったこともあった。だが、周囲の苦心もあって、ナリタタイシンは目黒記念で、約4ヶ月ぶりにターフへと姿を現した。
もっとも、ファンのナリタタイシンに向けられた視線は、疑いに満ちたものだった。目黒記念は、伝統があるとはいってもハンデ戦であり、一流馬の参戦は少ない。しかし、58.5kgのトップハンデを背負ったナリタタイシンの単勝オッズは550円にとどまり、1番人気を同世代のステージチャンプに奪われてしまった。
ステージチャンプは、リアルシャダイとダイナアクトレスの子という良血馬であり、菊花賞でも人気薄ながら2着に入っている。しかし、重賞勝ちはまだなく、主な勝ち鞍は青葉賞(OP)だった。この年に入ってからも中山金杯(Glll)2着、AJC杯(Gll)3着と勝ちきれない競馬を繰り返していたステージチャンプに単勝180円の圧倒的1番人気を奪われたのは、皐月賞馬ナリタタイシンにとっては屈辱以外の何者でもなかった。
『甦る末脚』
こうして一度栄光を極めた後に地獄を見たナリタタイシンだったが、その戦い方は、古馬になってからも変わらなかった。武騎手は、この日もナリタタイシンを後方に控えさせ、直線勝負に賭けたのである。
レースはアイビーシチーの緩やかな逃げにより、スローペースとなった。一般的には後方待機の馬にとって不利な展開だが、ナリタタイシンにはスローペースの皐月賞で豪脚を爆発させて勝った実績がある。果たしてナリタタイシンは甦るのか、それとも終わってしまうのか・・・。この1戦は、ナリタタイシンの復活へ向けた試金石だった。
そして、ナリタタイシンの末脚は蘇った。例によって直線を最後方のまま迎えたナリタタイシンだったが、武騎手がゴーサインを出してからの伸びは、まさに電光石火の鬼脚だったのである。
直線だけで10頭を抜き去ったナリタタイシンは、中団からしぶとく脚を伸ばしたダンシングサーパスがゴールに飛び込もうとしたところに襲いかかり、アタマ差だけ差し切った。
こうしてナリタタイシンは、皐月賞以来の勝利を挙げた。もっとも、相手関係が二線級だったこともあって、武騎手は
「まだまだタイシン本来の切れではありません。タイシンの伸びはこんなものではないはずです」
とコメントしたが、それもナリタタイシンへの期待が高ければこそである。何はともあれナリタタイシンは、目黒記念を勝ったことで、古馬中長距離戦線の王道に向かう強豪たちの中に、再び名乗りをあげたのである。