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阪神3歳S勝ち馬列伝~栄光なきGI馬たち~

1983年3月18日生。死亡日不詳。牡。鹿毛。大塚牧場(三石)産。
父ボールドリック、母サチノイマイ。土門一美厩舎(栗東)。
通算成績は、9戦3勝(3-5歳時)。主な勝ち鞍は、阪神3歳S(Gl)。

=カツラギハイデンの章=

『早咲きの花』

 1985年の阪神3歳S勝ち馬・カツラギハイデンも、前年のダイゴトツゲキに負けず劣らず、印象が薄いGl馬である。しかし、カツラギハイデンに関していうならば、その影は最初から薄かったわけではない。カツラギハイデンは、「カツラギ」の冠名が冠せられているその名のとおり、日本馬として初めてジャパンCを制する偉業を成し遂げたカツラギエースと同じ馬主の所有馬だった。また、馬主だけではなく、栗東の土門一美厩舎に所属し、主戦騎手が西浦勝一騎手という点も共通していた。そのため、彼が阪神3歳Sを制したときには「カツラギエース2世」とも呼ばれ、いずれはカツラギエースと並び、そして越えてゆく期待がかけられていた。

 しかし、カツラギハイデンは、そんな周囲の期待に応えることができなかった。故障があったとはいえ、「カツラギエース2世」になるどころか、4歳以降はついに未勝利に終わってしまった。そんな彼も、やがて誰からも忘れ去られたまま、歴史の片隅へと埋もれていったのである。

 「早咲きの花は小さい」といわれることがある。人にはそれぞれの器がある。そこでいう器とは、才能の大小だけでなく、才能を開花させる時期というものも含まれる。才能を発揮するなら早いほうがいいと思いがちな我々だが、実際には、本来の時期よりも早く才能を出しすぎてしまうと、その人が本来持っていた器よりも小さな成果しかあげられないことも少なくない。その理は、人のみならず競走馬にもあてはまるという話は、多くのホースマンが肯定するところである。カツラギハイデンが4歳以降に陥った不振は、血統的には晩成型のステイヤーだったはずのカツラギハイデンが、その才能をあまりにも早く咲かせすぎたことの代償だったのだろうか。

『女の子がほしかった・・・』

 カツラギハイデンのふるさとは、三石の本桐にある大塚牧場である。大塚牧場は、明治35年開業という古い歴史もさることながら、その実績においても、第1回有馬記念をはじめ天皇賞、菊花賞をも制したメイヂヒカリ、やはり菊花賞を制し、重賞5勝を含めて通算36戦13勝という戦績を残したアカネテンリュウ、そして2002年の菊花賞馬ヒシミラクルなど、多くの名馬たちを送り出していた。

 カツラギハイデンの母サチノイマイは、そんな名門牧場が長年育ててきた、由緒ある牝系に属し、歴史を遡れば、戦前の馬産界をリードした小岩井農場が明治40年に輸入したヘレンサーフまでたどりつく。サチノイマイの祖母、つまりカツラギハイデンにとっては曾祖母にあたるプレイガイドクインの代に大塚牧場へとやってきた。自ら4勝を挙げただけでなく、繁殖入りの後も17年間で14頭の子を出し、そのほとんどが勝ち上がるという子出しのよさと底力で大塚牧場の屋台骨を支えたプレイガイドクインの力により、ヘレンサーフの牝系は、一気に広がりを見せた。プレイガイドクインの娘であるミチアサが、大塚牧場の生産馬を代表する名馬アカネテンリュウの母である。

 もっとも、1980年代に入ったころから、この牝系の成績は今ひとつにとどまっていたため、外部からは

「プレイガイドクインの系統はもう古い」

という評価も聞こえてきた。しかし、大塚牧場の大塚牧夫氏は、この牝系の底力は、まだまだ衰えていないと信じていた。実際、その後も、この牝系からはカツラギハイデンのみならず、後のオサイチジョージも輩出しており、彼の見立ての正しさが証明された格好である。

 この牝系に生まれたサチノイマイも、自身の競走成績は12戦未勝利というものにすぎなかったが、アカネテンリュウの全妹という血統背景もあって、牝系を継承する者として繁殖入りを果たした。カツラギハイデンは、そんなサチノイマイの第4子として生まれた。

 カツラギハイデンの父はボールドリックで、現役時代は英国2000ギニー、チャンピオンS優勝の実績を残している。また、種牡馬としても、フランスで供用されていた時代の産駒から愛ダービー馬アイリッシュボールや愛1000ギニー馬フェイバリット、そして日本での初期の産駒からもG制度導入前夜の1983年秋、東京3200mで行われた最後の天皇賞を制し、さらにはジャパンCに日本馬として初めて連対を果たしたキョウエイプロミスを輩出するなど、なかなかの成功を収めている。

 大塚氏がサチノイマイの交配相手としてボールドリックを選んだ際には、むしろ牧場の跡継ぎとなりうる牝馬を作ることを考えていた。ボールドリックとの交配は、牝系としての価値を主眼においての配合だったのである。

 そんな期待に反し、血統名「サチノボールド」、後のカツラギハイデンは、素晴らしい馬格をもち、いかにも走りそうな雰囲気を漂わせた牡馬だったという。

『金三角』

 「サチノボールド」の最大の長所は、気性の素直さだった。ボールドリック産駒は、父の気性難を受け継いでいることが多かったが、彼にはそうした欠陥は見られなかった。むしろおっとりした人なつっこい性格で、大塚牧場の人々が、「サチノボールド」については

「おなかの下をくぐっても平気なくらい」

と例えるほどの気のいい子馬だった。

 「サチノボールド」は、やがてカツラギエースの馬主として知られる野出一三氏の所有馬となることに決まり、カツラギハイデンという競走名を与えられることになった。

 当時、カツラギハイデンの兄姉たちは、さしたる実績を残していなかったものの、カツラギハイデンは入厩時からひそかな期待とともに見守られ、入厩先も、カツラギエースの活躍によって信頼を勝ち取った土門一美厩舎に決まった。これを受けて土門師は、カツラギエースの引退で手が空いていた厩務員を彼の担当に据え、さらに主戦騎手としても西浦勝一騎手を選ぶことで、カツラギエースとまったく同じ布陣を完成させた。

『勝ってびっくり』

 入厩当初、カツラギハイデンは慢性的なソエに悩まされていた。10月にデビューしたのも、彼のソエが治ったわけではなく、むしろ「これ以上待っても症状は変わらないだろう」という見切り発車に近いものだった。しかし、カツラギハイデンは、万全ではない体調、15頭立ての5番人気という評価を覆し、見事なデビュー勝ちを飾った。ソエの状態を知っていた土門師や西浦騎手が驚くほどの予想外の勝利だった。

 続くもみじ賞(OP)では、1番人気を裏切る6着に敗れたものの、また人気を落として4番人気で臨んだかえで賞(400万下特別)では、再度の激走を見せて2勝目を挙げた。

 中央競馬の番組構成上、この時期に2勝をあげた3歳馬が進むべき道は、かなり限られている。そんな中で土門師がカツラギハイデンのために選んだのは、関西の3歳王者決定戦である阪神3歳S(Gl)への進撃だった。

『彼女たちの時代』

 ところで、この年の阪神3歳Sには、例年にない奇妙な現象が起こっていた。出走馬10頭のうち3頭までを牝馬が占めていたのである。阪神3歳Sは当時まだ牡牝混合戦ではあったが、1975年から1984年までの優勝馬を見ると、牝馬が勝ったのは1度だけ、と言う牡馬優勢のレースでもあった。また、牝馬には出走するレースがないわけでもなく、前年のレース体系改正によって、前週にラジオたんぱ3歳牝馬S(Glll)が創設され、年末の牝馬限定路線も既に確立していた。それなのに、3頭もの牝馬が牝馬限定戦を捨てて牡牝混合戦である阪神3歳Sへと挑戦してきたことには、それなりの理由があった。

 この年の関西3歳重賞戦線は、牝馬旋風が吹き荒れていた。この年の関西3歳重賞戦線を見ると、主要どころは牝馬の独占状態であり、小倉3歳S(Glll)はキョウワシンザンが制し、デイリー杯3歳S(Gll)はヤマニンファルコン、ノトパーソでワン・ツーフィニッシュを決め、また重賞ではないもののクラシックに直結するといわれる京都3歳S(OP)も、デイリー杯2着のノトパーソが勝っていた。この結果を見ると、この年の関西は牝馬のレベルが高く、逆に牡馬のレベルが低いということになる。ならば、弱い牡馬を相手に乾坤一擲、Glの夢と賞金に挑戦したほうが、夢があるという計算が出てきても不思議ではない。牝馬3頭の出走の影には、Glの魅力のみならず、こういった裏事情もあった。

『人気に託する希望』

 前評判ではデイリー杯で牡馬を蹴散らしたヤマニンファルコンが有力視されていた阪神3歳S戦線だったが、フタをあけてみると、単勝1番人気は310円のカツラギハイデンだった。2番人気で410円のヤマニンファルコン、3番人気で490円の京都3歳S馬ノトパーソという牝馬たちが、これに続いていた。

 普通ならば、3戦2勝といっても勝ったのはいずれも条件戦、しかも前々走ではオープン特別で6着に大敗している馬が1番人気になるというのは、Glとしては異例のことである。この人気には、当時の関西ファンのある願望が反映されていたとされている。

 前にも述べたとおり、当時の競馬界は、東高西低が常識とされていた。牡馬クラシックレースの連敗は、前年もミホシンザン、シリウスシンボリという2頭の関東馬に三冠を独占されたことで、1982年菊花賞以来、その連敗は10に伸びていた。今よりも遥かに東西対決意識が強かった当時ならばなおさらのこと、関西ファンは大レースをことごとく関東馬に持っていかれることに、とても悔しい思いをしていた。

「今年こそは」

という思いは、当然この年もあったはずである。

 ところが、この年の関西の有力牡馬たちは、クラシックを待たずして、そのほとんどが強い牝馬たちの軍門に下ってしまった。例えば牡馬としてはカツラギハイデンに次ぐ支持を集めて4番人気となったハギノビジョウフは、デイリー杯で既にヤマニンファルコンによって蹴散らされている。こんな馬たちが勝ったとしても、強い関東馬は倒せない。そして、牝馬が勝つようなら、やはり牝馬に負けるような牡馬たちは三冠全部を関東馬にさらわれてしまうだろう。

 そんな状況の中で、関西のファンはまだ上位牝馬陣と対戦していないカツラギハイデンに、ほのかな関西の夢と希望、そして誇りを託したのである。

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